私はシベリヤの捕虜だった

劇場公開日:

解説

製作はシュウ・タグチ。「若人の誓い」の沢村勉が脚本を書き、「大空の誓い」の阿部豊と「月が出た出た」の志村敏夫とが共同で監督に当たっている。撮影は「風雪二十年」の藤井静。出演者の主なものは、「風にそよぐ葦 前編」の北沢彪、「慶安秘帖」の石黒達也などのほか、有木山太、富田仲次郎などの中堅、松本光男、近藤廣、高原駿雄、鮎川浩、若月輝夫、重光彰、土屋嘉男など、東宝、東映、俳優座、文学座の若手である。

1952年製作/86分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1952年4月3日

ストーリー

元キャメラマンの藤村、元学生の吉田、元楽士の林、元商人の松本、元炭坑夫の金子の仲の良い戦友五人は、敗戦と共に捕虜となり、シベリアの流刑囚のいた建物に収容され、原始林伐採の強制労働へかり立てられた。寒気と空腹とを堪えながら苦しい作業に、体力の乏しい金子は倒木の下敷となって死に、彼らに同情した炊事係の加賀は私刑を加えられて死んだ。林は脱走を企て、自動小銃の音に追われて広原の果てに姿を消した。帰国「ダモイ」という言葉だけを頼りに、残る三名は新しい収容所へ移されたが、そこには将校に代わって民主委員という独裁的暴力者があって、彼等の生活をいっそう暗くおびやかすのであった。空腹に堪えかねた松本は野草を探して禁制区域へ知らずに立ち入り銃殺された。ある時、捕虜で組織された慰問演芸団がやって来たがその中に乞食のようになった林の姿があったが、便乗主義者の密告で彼が脱走者であることが知られ、トラックで何処かへ連れ去られた。広野に幾度目かの春が来て。残った吉田と藤村とはようやく「ナホトカ」へ運ばれた。そこにも民主グループのけわしい眼が光っていて、彼等に最後まで同意しなかった吉田は、日の丸をかかげた迎えの船を眼前にあとへ残された。幾多の苦難を経た藤村だけが、四名の戦友の暗い運命を想いつつ輸送船のタラップをのぼって行くのだった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

映画レビュー募集中!

この作品にレビューはまだ投稿されていません。
皆さまのレビューをお待ちしています。
みんなに感想を伝えましょう!

レビューを書く