浮世絵残酷物語
劇場公開日:1968年9月7日
解説
羽黒童介の原案を、「戦後残酷物語」の武智鉄二がシナリオ化し、監督した風俗もの。撮影は深見征四郎。
1968年製作/84分/日本
原題または英題:Ukiyoe
配給:大映
劇場公開日:1968年9月7日
ストーリー
浮世絵師長春は老中堀田相模守から、枕絵の依頼を受けた。輿入れ近い堀田の娘香織姫が、結婚を嫌っていたため、長春の名画を見せて気を変えようというのだった。長春は矢場女のお喜多をモデルに描いたものの、長春のイメージにはどうしても合わなかった。自然らしさ、品格というものが、どうしても絵に現われないのだ。思いあまった長春は娘のお京を呼んだ。だが、男を知らぬお京の身体には歓びの表情がない。長春はお京が秘かに想いを寄せている一笑に、自分の娘を抱かせようとしたが、一笑は吉原の紫山との逢瀬で留守だった。そこで長春は別の弟子勝重にお京を抱かせ、その様を写生したのだ。やがて絵は完成した。その絵には涙と怒りの中に、美しさと愛しさと、喜悦の表情が溢れていた。香織姫は長春の労作を見て、結婚を恐れずに、嫁いでいくことが出来たのだった。浮世絵師としての長春の名はそれ以来、有名になった。そんな長春に、日光東照宮の彩色補修の大仕事が舞い込んだ。堀田は幕府おかかえ絵師狩野春賀にこの仕事を命じたのだが、長年の安逸をむさぼってきた狩野派にもはやその技倆はなかったのだった。長春は精魂こめて、この仕事に打ち込んだ。やがて一年。色彩補修はぼぼ終りに近づいていた。長春の見事な仕事ぶりを見た狩野春賀は、激しい嫉妬に駆られ、堀田から預かった賃金を長春に払わなかった。長春は門弟たちのためにもと、春賀に談判にいったが、逆に弟子たちに取り囲まれ、大切な指を折られた挙旬、重傷を負った。知らせでお京は狩野の宿所に駆けつけたがさんざんなぶり者にされた上、凄惨な最期を遂げたのだ。お京の兄は門弟たちとともに、春賀の宿に殴り込んでいった。その有様を知らぬげに、改装なった東照宮は、豪華絢爛たる光を放っていた。