父ちゃんのポーが聞える
劇場公開日:1971年9月24日
解説
現代の医学では治療の方法すら発見されていない、筋肉が萎縮してしまうハンチントン舞踊病という病気と戦いながら、ベットの中で綴った松本則子という一少女の詩集『父ちゃんのポーが聞こえる』の映画化で、死に直面しながらも、けなげに生きようとする少女の心理を追求する。脚本は「昭和ひとけた社長対ふたけた社員」の笠原良三。監督・撮影も同作の石田勝心と志賀邦一がそれぞれ担当。
1971年製作/88分/日本
原題または英題:I Hear the Whistle
配給:東宝
劇場公開日:1971年9月24日
ストーリー
蒸気機関車の運転手杉本隆は、やがて、二度目の妻初江を迎えようとしていた。長女恵子、次女則子も、父の選んだ人だからと心よく承知して、その日からまた、親子四人の平和な暮しが始まった。だが則子はちょっとしたはずみでよく転び生傷がたえなかった。そのことを心配した隆は、則子を連れて金沢の鉄道病院を訪れ、偏平足が原因と聞かされ安心して帰ってきた。しかし、学校での則子は、他の生徒と一緒に勉強ができず、市民病院の中にある、肢体不自由児が治療しながら教育を受ける「こまどり学園」に移された。学園に移ってから、何かと沈みがちの則子をやさしく指導する元橋先生の努力で、彼女は日ましに元の明るさを取り戻していった。そんな則子を隆はたびたび訪れ、励ました。則子も、何より父の訪問を喜んだが、その父も、近い将来蒸気機関車が姿を消し、気動車に変るためしばらくの間名古屋の鉄道学園に学ばなければならなかった。父が名古屋に行っている間、吉川道夫たちが絵の指導に来るようになった。絵具を手につけて困っている則子の手を道夫はきれいに拭いてくれた。則子は、生まれて初めて父以外の男性にふれられ、秘かに胸をはずませた。則子は次第に絵を描く楽しさを覚えるようになった。その頃、則子のカルテには、ハンチントン舞踏病と記入され、則子のような重症患者のための治療設備がないために、人里離れた越山療養所に移ることになった。則子は隆におんぶされ、想い出を胸につめるように機関車を見て歩いた。さみしいがらんとした療養所の個室で、隆が線香花火を則子に見せている。花火が散ると、則子の目から涙があふれ、家に帰りたいと泣き叫ぶ。返す言葉のない隆はやっとの思いで「これから週二回、療養所の下を通るたびに必ず汽笛で合図を送る、それが父ちゃんの挨拶だと思っておくれ」と説得するのだった。則子は不自由な左手でせっせと詩を書き綴った。ポーッ・ポッ・ポーッ!/汽笛がこだまする/空に小さく消えてゆく/朝五時五十分ちょうど/父だ/父のひいている列車が療養所の下を走っているのだ/ポーッ/胸の奥でひそかに、則子も声のない汽笛をあげる。数日後、隆の運転する列車にダンプカーが飛び込んできた。病室で気がついた隆の前で、初江があふれる涙をおさえて「則子が今日一人ぼっちで……」それ以上言葉にならなかった。