三里塚 五月の空・里のかよい路
劇場公開日:1977年9月14日
解説
一九六八年以降、三里塚に常駐し、三里塚農民の成田国際新空港反対闘争を撮影し続ける小川プロの「三里塚」シリーズ第七作。四年ぶりに三里塚に還ったスタッフが、土に愛着する農民たちの姿を描くドキュメント。(16ミリ)
1977年製作/81分/日本
配給:その他
劇場公開日:1977年9月14日
ストーリー
三里塚の空港反対闘争は、十一年目の春を迎えた。五月一日。四年振りに三里塚・辺田集落を訪れたスタッフは、集落の産土神社-面足神社を御参りした。御神体の埴輪は、以前と変わらず集落を見守っていた。毎年この頃、赤風が数回にわたって北総台地を襲う。赤風は、農民の丹誠した肥土を吹き飛ばしてしまう。宿集落の柳川初枝さんが語る。「北総台地には大昔から、この風が吹いていた。でも、百姓は負けてはいられないから、毎年堆肥を入れて、作物を育ててきた。」岩山集落には、五年間滑走路を睨みつけるように鉄塔が立っている。春先から撤去攻撃に備えて、鉄塔の補強が日々強化されていた。五月六日。抜き打ちの鉄塔破壊。田植えの真最中であった村人たちは、植えかけのままかけつけたが、早朝から敷かれた機動隊の壁に全く近づく事さえできなかった。この日撤去に集まった警察、公団、報道のヘリコプターは、鉄塔脇の岩沢さんの畑の上を何度となく旋回した。そのためビニールは飛ばされ、スイカのツルはからんでしまい、岩沢さんは莫大な被害を受けた。岩沢さんは怒りを抑えて、むしろ、つぶやくように、百姓でなければ、この気持ちはわからないと言う。スイカの花つけをして、一番の実が成り始めていた時であった。五月八日。三里塚に大量の毒ガス弾が打ち込まれた。多数の人を殺傷し、その上、畑の作物まで枯らした。毒薬はクロロアセトフェノン。米軍の枯葉作戦に使われたものと同質である。五月十四日。再び、岩沢さんを訪ねる。「山は削られてしまって、鉄砲水と共に土砂が流れ込む。収量は減ってきた。手間はかかる。でも、これから新しい土地へ行ったら、百姓の土にするのに十年はかかる。十年もかけたら、私の人生は終りです。この百姓の気持ちをわかって欲しいから反対しているんだ。」と言う。