神々の寵児

解説

「嘆きの天使」につぐエミール・ヤニングスの主演映画で脚本組立は「嘆きの天使」「悪魔の寵児」のロベルト・リープマン、「最後の歌」「モンテ・カルロ」のハンス・ミューラーの二人が協力してあたり、監督は「ニーナ・ペトロヴナ」「悲歌」のハンス・シュワルツが受け持ち、撮影は「嘆きの天使」「悲歌」のギュンター・リッタウが担当した。助演者は舞台出のレナーテ・ミューラー、「トロイカ(1930)」「美はしの人生」のオルガ・チェホーワ、「嘆きの天使」のエドゥアルト・フォン・ヴィンターシュタイン、ハンス・モスターなどの顔ぶれ。

1930年製作/112分/ドイツ
原題または英題:The Darling of God Liebling der Gotter

ストーリー

神と人との寵を一身にうけた者、それはテノール歌手のアルバート・ウィンケルマンである。アポロの肉体とミネルヴァの芸術とを兼ね備え、人生を楽しみ快楽を求め、堪能してなおも飽きるを知らない。その黄金の声は惜しみなく奥へ、降りそそぐ美女の愛は怯みなく受け入れる。まこと彼こそは乙女の偶像、女性の恋人。そして妻のアガテにとっては「案じれる」夫であった。今夜も彼の楽屋には、それらの女性が彼を取り巻いている。そして妻のアガテも。彼は今宵のオセロを最後にウィンナの都をたち、遠く南アメリカへ演奏の旅に出るのであった。今宵の彼はひとしお陽気である。見知らぬ国には幾多の冒険と名声と恋とが彼を待っているのだ。新しいものに望む好奇と古きものをさる幽かな、そして快い哀愁とが彼にシャンペンの杯を重ねさせていた。その華やかなざわめきの中にアガテはたたずんでいた。今みる夫の姿は幸運と健康に恵まれている。併しその後に来るべき正反対の運命をさとくも妻の純愛は直感していた。南アメリカの旅。太陽の直射。空気の乾燥その幾日の後、舞台に立ったウィンケルマンは疲れていた。晴れの舞台に悲しい道化の唄を唄いながら彼は倒れた。意識と同時に黄金の声を失って。--声を失った大歌手は故郷の都に帰って来た。その恐ろしい秘密を胸一つにかくして。今こそ彼は妻を思った。喜びも悲しみもともにするただ一人の妻を--。いたましい秘密をきかされた時アガテは優しく夫を抱いた。アガテは幸福だった。妻の求めるものは夫の名声ではない。すべてを失って自分に帰って来た素裸な夫そのもである。アガテの愛がウィンケルマンの傷ついた胸をいやした。彼もまた舞台と酒と恋との他にもう一つの人生があることを知った。朝まだき妻とともに牛の乳を搾りながら彼は幸福というものを爽やかな朝の空気と共にしみじみ味うのだ。彼の唇には愉快なときに口にするいつもの小唄がいつの間にか口づさまれていた。併しどうしたことだろう。かすれていた彼の声が次第に澄み、力強くなり、今彼は立派なフォルティシモで唄っているのだ。今こそ失われた彼の芸術は再び帰って来てくれたのだ。彼はもう一度舞台に立つことを妻に語った。アガテは優しく夫を抱いた。夫は再び去っていく。併しそれは夫の喜びなのだ。妻の幸福が夫にあるように芸術家の幸福は舞台の上にあるのだ。ウィンケルマンは再び熱狂せるウィンナの聴衆を前に舞台に立つ。光輝く勝利の鎧を身にまとって。彼は今五百一回目のローヘングリンを演じようとしているのだ。アガテは舞台裏に立った。そして夫の唄う白鳥への別れの唄を、その白鳥の気持ちで聞いているのであった。

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