「靴みがき」「自転車泥棒」の名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督の実質的には最後のネオレアリズモ映画にあたる作品を漸く鑑賞する。独り身の年金生活者の悲哀が切実に描かれていて、人事とは思えないくらいに感情移入して見入ってしまった。デ・シーカ監督の盟友チェーザレ・サヴァッティー二の脚本の素晴らしさと、殆ど素人を使ったデ・シーカ監督の演出の巧妙さは、前記の名作に少しも劣らない。特にこの作品は、主人公が飼っている犬のフライクの健気で愛らしい従順さの存在が、孤独な主人公の唯一の生きて行く心の拠り所になっている点で重要であるし、それがこの映画独特な共感と感動を生んでいた。名犬フライクがもう一人の主人公になっているストーリーに心惹かれる、とても悲しくも心温まるイタリア映画の逸品である。
主人公が家賃滞納をするアパートの生活感ある描写の細かさ。兵士に騙される田舎出身のメイドの何処や投げやりな仕事振りが、より主人公の孤独を浮かび上がらせる。台所に侵入する蟻を火の付いた新聞紙で焼き払うシーンがいい。若さゆえの未熟さを心配して親身になって助言するも、彼女に届かない不甲斐なさに包まれる主人公。誰にも必要とされていないこの初老の無常観。長きに渡り公務員の仕事を務め上げても満足に生活できない年金受給者の経済的な困窮だけではない描き方に、人生ドラマの深さがある。また、胸を患い自ら救急車を呼び病院に駆け込むエピソードの時代を窺わせるところも興味深かった。敬虔なクリスチャンを大目に見て入院を引き延ばすのは、この時代の人道的な数少ない救済政策であったのだろう。野良犬を管理する保健所の場面も、この時代に機能していたことに感心するし、また民間で犬の世話を代行する貧しい夫婦のリアリズムも印象に残る。この場面を挟んでラストシーンに繋げる作劇の上手さ。心の余裕を持てず、金銭的にも苦しい主人公のウンベルトがアパートの改装工事で追い出される絶望の場面では、軋む音を響かせ通りを進む路面電車を見下ろす主人公をクローズアップする。アレッサンドロ・チコニーニの音楽が、主人公の心理に同調した伴奏音楽のようにショットとリンクして映像を語る。デ・シーカ監督の演出の意図を汲み取りアフレコした、このチコニーニの音楽の精緻さも素晴らしい。
意固地ながら常識人の主人公ウンベルトを演じたカルロ・バッティスティは、実はフィレンツェ大学の教授という。このベテラン俳優のような演技を観ていると、如何にデ・シーカ監督の演出が素晴らしいかが分かる。それとメイド役のマリア・ピア・カジリオの無表情な演技は無理のない演出だが、却ってそれが不思議な存在感を醸し出していた。冷血な女将役の人はプロの女優であろう。
永く気になっていた作品だったが、期待を上回るいい映画だった。この作品を観て、改めてデ・シーカ監督に尊敬と愛着が募ることとなる。