道(1954)

ALLTIME BEST

劇場公開日:2020年8月3日

道(1954)

解説・あらすじ

イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの代表作のひとつで、旅回りの芸人たちの悲哀を描き、第29回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した古典的名作。貧しい家庭に生まれ育った知的障害の女性ジェルソミーナは力自慢の大道芸人ザンパノに買われ、彼の助手として旅回りに出る。粗暴で女好きなザンパノに嫌気が差したジェルソミーナは彼のもとから逃げ出すが、捕まって連れ戻されてしまう。そんなある日、2人はサーカス団と合流することになり、ジェルソミーナは綱渡りの陽気な青年と親しくなる。青年の言葉に励まされ、ザンパノのもとで生きていくことを決意するジェルソミーナだったが……。「アラビアのロレンス」のアンソニー・クインがザンパノ、フェリーニ監督の公私にわたるパートナーであるジュリエッタ・マシーナがジェルソミーナを演じた。1954年製作で日本では57年に劇場初公開。2020年、フェリーニ生誕100年を記念した「生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭」(2020年7月31日~8月20日=東京・YEBISU GARDEN CINEMAほか)でも上映。

1954年製作/108分/イタリア
原題または英題:La strada
配給:コピアポア・フィルム
劇場公開日:2020年8月3日

その他の公開日:1957年5月25日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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映画レビュー

5.0 フェリーニで一番わかりやすい作品

2025年12月13日
PCから投稿

正直に言えば、この作品は脚本そのものが際立って優れている映画ではないと思う。クライマックスがどこなのか分かりにくく、物語としては消化不良の感覚が残る。プロットだけを追えば、決して整理された構成とは言えない。
しかし――
それでもこの映画は疑いなく素晴らしい。
理由ははっきりしている。『道』は「物語の強度」で成立している映画ではなく、映画という表現そのものの質感で成立している作品だからだ。とりわけ決定的なのが、イタリア語の響きと演出の相性である。ジェルソミーナの孤独、寂しさ、哀れさ、そして無垢。それらが、イタリア語特有の柔らかく、どこか哀感を帯びた響きと完全に溶け合っている。もしこれが別の言語だったら、この感情の質感は成立しなかっただろう。

映画の醍醐味とは、その監督にしか出せない「持ち味」を画面に刻み込むことだと思う。
その意味で『道』は大成功している。脚本の弱さを、演出・空気・言語・俳優の存在感で押し切ってしまう映画なのだ。

そして興味深いのは、フェデリコ・フェリーニという監督が、作品ごとにまったく異なる持ち味を持っていることである。

『道』の静かな孤独

『カビリアの夜』の痛々しい希望

『甘い生活』の退廃と倦怠

『8 1/2』の内省と混乱

そして 『ジンジャーとフレッド』の、老いとテレビ社会への皮肉

特に『ジンジャーとフレッド』は、かつての輝きと現在の滑稽さ、ノスタルジーと冷笑が同居した作品で、『道』とは正反対のトーンを持ちながらも、フェリーニの視線の確かさだけは一貫している。
これほど作品ごとに顔を変えられる監督は、映画史の中でも極めて珍しい。
『道』は、その中でも最も静かで、最も孤独で、最も哀しいフェリーニの表情を刻んだ一本だ。

脚本の完成度を超えた場所で、「映画とは何か」を感覚として理解させる作品。
それが『道』だと思う。

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KIDOLOHKEN

3.0 道に落ちている小さな石

2025年8月1日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

ずーっと前から観たくて観たくて、やっと観れた。

観たくなった理由は、

「この道に落ちている小さな石だって存在する意味があって、神様が置いている」みたいなセリフがあると。

それで観たくなった。

実際に観てみたら、そのようなセリフは出てきたけど、映画全体としては退屈で眠かった(笑)

やっと観れたし名作だと有名みたいだけど、

個人的には、まあまあ(笑)

音楽は、まあ良かったかな(笑)

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RAIN DOG

5.0 一生の起承転結

2025年7月13日
PCから投稿

二十歳前後のとき、映画史に残る名作と思って初めて観たときの印象は、不愉快、意味不明、退屈といったものだったと思います。以来観てなかったのですが、先月観た「国宝」(25)の中で、主人公の喜久雄(吉沢亮)が失意のドン底でビル屋上をさまようシーンを観ながら、何故かふと、今作のことが思い出され、DVD観賞しました。身体に巻き付けた鉄の鎖を断ち切るという野暮な芸で生計を立てているザンパノ(アンソニー・クイン)は、女好きで酒癖が悪く、乱暴で粗野な男です。若い頃は嫌悪感しかなかったのですが、今みると、彼の生い立ちが想像され、ある種の人間味や逞しさ、そうせざるを得ない哀しさが感じられ、僅かながら共感できるものもありました。一方、ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)の方は、知恵の遅れがあり、器量はよくないし、料理もできない、醜い道化のようですが、すぐにラッパを覚える器用さがあったり、くるくる変わる表情のように、現実をあるがままに感じて喜怒哀楽を表現する姿には愛おしさも感じられました。貧しく厳しい運命の起承転結の「転」となるのが、綱渡り芸人イル・マット(リチャード・ベイスハート)との出会いだったように思います。華麗な芸をもつマットは、ザンパノをからかい、笑いものにしますが、どこかで彼のことを理解していて、だからこそジェルソミーナに対して、小石にも存在理由があり、彼にはあなたが必要というような言葉で彼女を励ましたのでしょう。この辺りからの展開、ニーノ・ロータの美しい旋律、海辺でのラストシーンを観て、映画史に残る名作といわれる所以をようやく理解することができ、心の奥にひっかかっていた棘がとれたように思いました。

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赤ヒゲ

2.0 イラついてしまった

2025年4月17日
スマートフォンから投稿

なんか有名な映画だったよなと観てみた。

荒くれ男について回るしみったれた年齢不詳の女に始終イラついてしまった。

時代が違うからか人物の情緒が伝わってこない。

ラストシーンでこの荒くれ男が主人公だったと気づいた。

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さちめり