鳥のレビュー・感想・評価
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母に代わって息子の恋人を襲う鳥の心理学
(1) 作品の狙い――パニックの奥に潜むもの
子供の頃、初めて観た時は特殊撮影が売り物のパニック映画だと思った。
しかし、大人になって、この作品は母性の自己防衛を描いた、ヒッチコックの好きな「心理学映画」だと気づいた。
(2) 強固な母子関係とそれを脅かすヒロイン
男性主人公のミッチはハンサムで高給取りの弁護士。まだ独身なのは、彼に近づく女性は母親に排除されてしまうからだ。
父が他界した後、母は息子に依存し、二人は強固な母子関係で結ばれている。母にとって息子は自分一人のものであり、彼に近づく若い女性は自分から息子を奪う敵である。
そんな息子に近づいてきたのがヒロインの富豪令嬢メラニーだった。
彼女はイタズラを仕掛けるためにミッチの住まいを訪問するが、家に近づくと突然、一羽の鳥が彼女にぶつかってくる。母親のテリトリーに侵入するなという警告である。
傷の手当をした後、メラニーは母親に紹介される。疑念に満ちた表情で彼女を凝視める母親。
若く美しい、教養と機知に富んだメラニーは、息子にとって申し分のないパートナー候補だ。それを見てとった母性は、いっきに警戒心と攻撃本能を全開にする。
(3) 攻撃本能を全開にしヒロインを襲う母性
① 女性教師宅での会話
ミッチ宅でディナーを摂ったメラニーは、地元小学校の女教師宅に一泊することになる。居間で寛ぎ簡単な身の上話をするうちに、教師はかつてミッチと付き合ったが、母親に排除された一人だと分かってくる。訳知り顔でメラニーを眺める教師の、諦念と皮肉と嫉妬の交差する表情から、母親の絶大な支配力がひしひしと伝わってくる。
② 母性を憎むヒロイン
翌日、ミッチの妹の誕生パーティ会場で、メラニーとミッチは母性について興味深い会話を交わす。母と強い絆で結ばれるミッチは、メラニーには母親の愛情が必要だと語る。しかし、彼女の母親は11歳の時に娘を捨て、他の男と駆け落ちしてしまった。そのためメラニーは母性なるものと激しく対立する考えを持っており、母親の愛情など邪魔でしかない、というのである。
その直後、二人の会話を盗み聞きでもしたかのように鳥が会場に襲来し、子供たちに襲い掛かってくる。
鳥の集団はその夜、ミッチ宅のディナーにも押し寄せ、煙突から無数の鳥が飛び出してくる。幸いにも大事には至らなかったが、恐怖の中でメラニーがミッチや妹と接近すればするほど、母は険悪な目付きになっていく。
③ 怒り狂う母性
三日目に入ると、周囲一帯は鳥パニックに陥ってしまう。近所の知人を訪ねると鳥に両目を抉られて死んでいる。
学校には夥しい鳥の群れが取り囲み、子供たちを襲い、街の中心部でも通行人や店、車を襲い、ガソリンスタンドまで爆発してしまう。
母性はミッチを失う不安に怒り狂い、怒りは炎となって燃え上がる。街全体が鳥に覆われ、鳥はありとあらゆる人々を攻撃し、ミッチ宅も攻撃してくる。その中で多数の鳥に襲われたメラニーは、手酷い負傷を追ってしまう。
ここまでくると鳥の襲来は危機を察知した母性の自己防衛と、敵であるメラニーへの攻撃本能の象徴であることが、観る側にも伝わってくる。
最後に鳥たちが穏やかになるのは、息子のヒロインへの愛の深まりに気づいた母性が、自己の敗北を悟ったからに他ならない。
(4) 「サイコ」の続編としての性格と優れた人間ドラマ
ヒッチコックの心理学への傾倒はよく知られており、同じティッピ・ヘドレンの「マーニー」や、グレゴリー・ペックの「白い恐怖」はフロイトの精神分析学入門の趣きを呈している。
そして、本作の前の作品が「サイコ」であることも忘れてはいけない。その最後で、主人公ノーマンの殺人動機はどう説明されていたか。
「ノーマンの半分は母親となり、彼が女性に惹かれると嫉妬心を燃え上がらせ、その女性を殺してしまった」
ノーマンの「母親」は自分で殺人に手を染めたが、ミッチの母親は嫉妬を鳥に仮託させてティッピを殺そうとしたように見える。つまり、本作は「サイコ」の続編と見ることもできるのである。
そしてこうした背景があるからこそ、女性たちの意味ありげな視線のやりとりから濃密なドラマが形成される。本作は人間ドラマとして傑作たり得ているのだ。
(5) おまけ
町の中心部が襲われた時、レストランで住民たちが怪しげな蘊蓄を傾け合うシーンが小生は大好きなのだが、中でイスラエル民族の罪を糾弾したエゼキエル書等を引用する酔っ払いがいて笑わせる。
同書は「パルプ・フィクション」でも奇怪極まる引用がされており、あるいは本作の遠い影響があるのかもしれない。
鳥、キライ
鳥の声だけでおっそろしい
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金持ちお嬢様の主人公が鳥のペットショップで知り合った男に会いに、ある町へ行くと鳥が人々を襲うという怪事件が発生する話。
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冒頭から鳥の鳴き声で始まるんだけど、ただの鳥の鳴き声じゃなくてめちゃくちゃ不安を煽るようなうるさい鳴き声。これも掴みが最高特に私の場合プロジェクターの音声をMAXにしてたので鳥の奇声が爆音で流れて冒頭から死にそうになりました。
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なぜ鳥が人間を襲うのかの説明は全くないんだけど、なんとなく私的に幸せの鳥(?)を町に持ち込んだことで攻撃されちゃってるのかなと思った。仲間を返せ!って鳥たちが逆襲してるんかと。主人公もずっとその鳥と同じ色の緑の服を着てるしね。
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劇中世界中の種類の違う鳥が団結したら大きな驚異になるって言っていたけど、人間だって全人種が団結したらめちゃくちゃ強いと思う。でもそんな事ができる可能性は限りなく0に近いと思う。鳥が団結するか人間が団結するかどっちのが可能性あるんでしょうかね。
鳥に襲われる恐怖
屋外ではカモメが群れをなしていた。ティッピーへドレン扮するメラニーダニエルズのペットショップへつがいのラブバードを求めに来た男性がいて何故鳥を籠に入れるのかと聞いて冷やかしてきた。裁判所で会った事があると言われた。メラニーは、車のナンバーから男性の身元を調べ、ロッドテイラー扮するミッチブレナーとつきとめラブバードを置いていこうとしたが1週間留守と分かり鳥を持って滞在先までやって来てボートまで借りてラブバードを黙って家に届けた。帰りがけカモメがメラニーを襲い怪我したところミッチと店に入ってミッチが消毒した。ミッチブレナーは弁護士だった。ミッチは、ラブバードのお礼としてメラニーを夕食に招いた。果たしてこの先ふたりはどうなる? よっぽどプライドが高いのか、よっぽど暇なのか、ちょっとからかわれただけでこんなに執着するかな。一目ぼれ以外理解出来ない行動だ。それにしてもカモメやカラスに襲われるのも家で大多数のスズメが侵入するのも恐いもんだな。鳥の恐怖の中でティッピーへドレンは、ブロンドが綺麗な素敵な女優さんだったね。
ぐは…
ヒッチコックだから映画に出来たパニック映画のお楽しみ
人間を襲う動物なら、1950年代のウィリアム・ディターレの「巨像の道」からバイロン・ハスキンの「黒い絨毯」と、大きな象から小さな蟻まであるが、どちらも恐怖感を与えるものではなかった。ヒッチコック監督が素晴らしいのは、原作が有るとはいえ、鳥が人間を襲うのをよりリアルに描けるのか、の映画に対する挑戦の姿勢であろう。作品としてのクオリティーを損なわず、当時の撮影技術を駆使して創り上げた、このパニック映画の価値は不変だ。ただ「サイコ」から始まる60年代のヒッチコック監督はハリウッドから冷遇されていた。お気に入りのスターを使えなかったのではないか。さすがにグレース・ケリーのような女優を鳥の餌食には出来なかったであろうが、ロッド・テイラーとティッピ・ヘドレンのキャスティングが一寸恨めしい。
鳥が恐ろしくなった
DVDで鑑賞(吹替)。
原作は未読。
ある日、鳥が人類に牙を剥く。理由も分からず、成すすべも無い。突如、無数の殺意に晒されると云う理不尽な恐怖。…
アルフレッド・ヒッチコック監督がお得意のサスペンス描写でスリリングに描き出す、動物パニック映画の名作である。
冒頭からしばらくは、メロドラマでも始まるのかと訝しく思うくらい、メラニーとミッチが惹かれ合う様子を、ミッチの母親や元恋人アニーとのやり取りを交えながら描いていく。
少し退屈な時間だったが、なんの変哲も無い恋愛劇に、メラニーがカモメにつつかれたり、アニーの家にカモメがぶち当たって憤死するなど要所要所で不穏さを醸し出す演出が見事。
中盤以降は鳥の襲撃がどんどんエスカレートしていって、ついには死者が出てしまう。そして、小学校がカラスの大群に襲撃されると、小さな港町は次第に恐慌状態へ突入していく。
(煙草を吸うメラニーの背後のジャングルジムに1羽、2羽…とカラスが止まり、彼女が気づいて振り返ると無数のカラスが止まっているシーンはあまりの不気味さに鳥肌が立った)
じわじわと不安を煽っておいてから迎える、カモメの大襲撃が本作のハイライトだろう。住民たちは一挙にパニックに陥った。ガソリンスタンドが爆発し、人人は鳥に殺害される…
パニック時の集団心理は、この理不尽な事態に理由を求め、メラニーへ責任追求の矛先を向ける。理解出来ないままでは怖いからだ。メラニーに詰め寄った主婦は鳥より怖かった。
鳥の襲撃に波があるのも恐怖を煽る。何故急に止むのか。何故今は襲い掛かって来ないのか。その理由も分からない。分からないことだらけが、さらなる恐怖を生み出していく。
ラストシーンの衝撃も凄まじい。何も解決せず、鳥の群れを映し出して唐突に終わる。なんと秀逸なプロットだろう。ヒッチコックの巧みな演出も相まって、恐怖が余韻として残る。
本作を観てから、鳥が木に群がっていたり電線に並んで止まっているのを目の当たりにすると本作を連想し、目を伏せて遠ざけるようにしている。とにかく鳥が恐ろしくなった。
[以降の鑑賞記録]
2024/12/08:Blu-ray(吹替)
※リライト(2024/12/08)
ヒッチコックの偉大さにひれ伏す作品
怖い、本当に怖い、何度観ても怖い
これ程怖い映画も本作が作られてから何十年も経っていても未だに本作を超える事ができたのはそういくつも無いのではないか?
何しろ劇伴音楽が映画の始めから終わりまで一切ないのだ
その静かな中で、スリルとサスペンスが次第に沸き立ってくる
じわじわとゆっくりと温度が上がってくるのを我々は異様な緊迫感の中で体験していくのだ
恐ろしいまでの計算と構成力でヒッチコックは一切集中力を途切らせることなくラストシーンまで一気に連れていく
ミッチーの家に立て籠り鳥の襲撃に怯える無言の長く続くシーン、続く危険を予感させて総毛立たせておいて、待ち構える以上の怖いシーンをぶつけてくる
ヒッチコックは正攻法で正面突破してくるのだ
逃げもひねりもこけ脅しも無い
ただただヒッチコックのとんでもないほどの技量に一方的に押しやられてしまうのみだ
動物パニックものというジャンルを打ち立てた金字塔ということになるが、そんなチャチな話ではない
スリラーの金字塔なのだ
ワンコ連れたヒッチコック発見
原作未読。ダフネ・デュ・
モーリア原作で脚本はエヴァン・ハンター(=エド・マクベイン)というオールドミステリマニアには二度美味しい話。特撮が、今見ると陳腐に見えるところがあるのは、もうしょうがない。が、中盤の学校の外、以降グロなしで恐怖を盛り上げるあたりすごい怖いうまい。人間サイドの解釈は気にしなくてもいいかな。
スペース
#アルフレッドヒッチコック (#AlfredHitchcock) 映画シリーズ第2弾。
今回取り上げるヒッチコック作品の特徴は、スペース。
ここでいうスペースは、時間的スペースで、視聴者が見ている間に感じる間のようなものを2時間の映画の中で大きく捉えたものとしましょう。
最近の映画で、なんだか話の内容がよくわからずに終わってしまった映画はないですか?ミステリーなのに解決しなかったり、ヒーローものなのに敵を倒さずに終わってしまったり。。。
そういう映画のほとんどは、その映画を通して婉曲的にテーマを伝えたいという作品ばかりです。
ヒッチコック作品の中にも、いくつか想像を裏切るストーリー展開のものがありますが、この作品 #鳥 はその最たるものでしょう。
多くの視聴者は、このような映画を見た後に、
「なにこれ?全く意味わからんわ。見て損したー。」
という人もいれば、
「これは深い、奥に眠っているテーマを考えると、社会情勢や監督の伝えたいことがわかる。」
という人もいます。
どちらも、監督が意図した視聴者の感想ではないため、そういう映画は素晴らしい映画とは言い難いでしょう。しかし、そういう映画がたくさんあるのも現実。
そういう、深すぎ映画と一線を画すのがヒッチコック映画。
この映画を見て見ても、おそらく、ながら見だったり、携帯片手に見ているようでは、「なにこれ?」状態になるでしょう。
しかし、120分、映画を享受することができれば、途中60分程度で、これはミステリーではない。この鳥たちの謎解きはないな。と感じることができるはずです。そうすれば、そこから視聴者の目線は、鳥たちに襲われる人々へと向くはずです。それを、映画評論家は「鳥の目線」と呼びます。
その映画の途中で、この作品はミステリーではないと感じさせるもの、そしてそこから映画内の人物たちに焦点を当てさせるものが、”スペース”です。
なにがスペースを生むのかというと、それはカメラワークであり、編集であり、音楽であり、演技であり、色々な要素があります。
例えば、カメラワークだと、必要以上の長回しがあったり、どこまでもキャラクターについていくような動きがあったりします。この不自然さに視聴者は気がつき、そこから、無意識にキャラクターの内側に思考を移すことになります。
映画の中での時間経過は5日間。それ以外のことはほとんど語られませんが、その不自然なスペースの間に、視聴者はそれまでの情報を整理し、さらにはそのスペース自体からもそのキャラクターを感じ取り、キャラクターを作り上げていくのです。
音楽でもわかりやすいですが、この作品の音楽ちょっとでも口ずさむことができますか?
このように、違和感を自然に作り上げることで、意識下でヒッチコックのリズムに乗せられちゃうんですね。
だから、終盤のホラー演出は際立ってるし、エンディングにも納得がいきます。
スペースがない映画というのは、コメディーやアクションに代表されるように、気分爽快!日常は忘れよう!系映画です。そこにもいい面はたくさんありますが、もし、ドラマやサスペンス、サイコロジカルスリラーのような映画でスペースをかっこいい映像とかで埋めてしまうと、視聴者は情報や感情を整理し構築する余裕がなくなり、「なんじゃこりゃ?」だったり、「思ったのと違ったー」となってしまうのです。
映画は視聴者が受け身ではなく、積極的に思考していくことで、映画体験というものが生まれるものです。「思ったのと違ったー」と「やばいこの映画」の違いはそれほど大きくありません。
視聴者の期待を裏切りながら、視聴者の感情を塗り替えることができるかどうかの違いだと思います。
そこにこのスペースというものはなくてはならないもの。それをただ編集で間を取るだけでなく、カメラ・演技・音楽が相互に影響しあうことで、映画の世界に引き寄せるスペースを生むのです。そのスペースを埋めるのは視聴者、それを自ら埋めることで、自ら映画の世界に足を踏み入れるきっかけになることは間違いないでしょう。
パニックホラーの原点にして頂点
「映画通っぽいオッサンがよく褒めてるよね…。通が通ぶるために褒めてるだけだろ?」って先入観で見てみたらクソ面白かった系の古典。すべてのパニックホラーの原点にして頂点。
日常と非日常の境界線のボカし具合が素晴らしい。この作品のあらすじだけを見ると荒唐無稽なのに、いざ観てみると日常をじわじわと侵食し始める異常と恐怖が非常に自然にできていて、気が付くと作品世界に囚われている。
鳥たちの脅威の塩梅も丁度良い。凡百のパニック映画にありがちな無敵最強のクリーチャーやゾンビではなく、一羽一羽は弱い鳥が群れなして形作る災厄は、状況によっては子供ひとり殺さないが、しかし時には大人たちを逃げ惑わせて大怪我をさせ、場合によっては死に至らしめる。この“致死率100%ではない脅威”が、恐怖をよりリアルなものにしている。
特に印象的なシーンは、タバコを吸ってる後ろでじわじわ増えていく鳥。メラニーと校庭のジャングルジムを交互に撮しながら、だんだん増えていく鳥…じりじり高まる緊張感。そして何度目かの画面転換で、ぶわっと増えている鳥! 嫌な予感が静かにスムーズに結実するこのテンポ!うしろうしろー!
見ている間もやけに静かだと感じていたが、調べてみるとほとんどBGMも効果音も使っていない作品だった。
上記のシーン含めて、仰々しい効果音や品のない芝居がかった叫び声などよりもこの無音と絶句こそが、人が真に脅威を感じ追い詰められた時の正常な反応なのだ。
鳥たちが狂った理由を明示しないというだけでなく、冒頭でその要因を匂わす程度に触れているという塩梅も素晴らしい。謎の病原菌が蔓延していることを自然と想像させるが、少女の言うようにラブバードが特別な鳥だと考えるロマンチックな解釈もできるし、いずれのものでもないのかもしれない。この港町だけの局地的な出来事かもしれないし、世界中の鳥が狂っているのかもしれない。空想の余地が美しいバランスで残されている。
ラブバードが目的なのか?
「鳥」字幕版 Amazonプライムで鑑賞。
*概要*
鳥たちが突然人々を襲いかかるパニック映画の原点といえるヒッチコック作品。
*主演*
ティッピー・ヘドレン
ロッド・テイラー
*感想*
ヒッチコックの作品巡りの第二弾!「サイコ」に続き、もう一つ気になっていた「鳥」!
動物パニック映画の原点ですね。いやぁ~鳥が恐ろしい恐ろしい…(^^;
物語進行が「サイコ」に比べて、テンポが非常に悪いんですが、物語がシッカリしてました。
鳥が人々を襲いかかるシーンは、怖い。ダンっていう男が一番酷い殺され方されてましたし、後半にかけてからミッチが本領発揮する所がまた良いw
後半、学校の生徒の母親がメラニーに向かって「あなたが元凶よ!悪魔!」って罵られて思わずメラニーが母親をビンタするんですが、母親の言い分は一理合ってると思います。だって、ミッチが探してたラブバードをメラニーが驚かせようと、こっそりラブバードを持って、ミッチの家に置いてきてその辺りからカモメやカラスとかに襲われるんですから。だから、原因はメラニー本人ではなく、彼女が持ってきたラブバードじゃないの?(鳥たちの目的はひょっとしてラブバード?)
ラストの籠城戦はビビりますね~ 大群の鳥がびっしりいるんですから…鳥が嫌いになりそう。。(笑)
単純なストーリーですが、まぁまぁ面白かったです。テンポが悪かったかな…(^^;
デジタル処理って奴ですかね、映像が妙に綺麗でリアリティがあるような...
まぁまぁ
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