そして父になるのレビュー・感想・評価
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フランス映画『もうひとりの息子』とテーマは全く同じ
フランス映画『もうひとりの息子』とテーマは全く同じ。だがしかし『もうひとりの息子』はその深刻度が全く違う。どちらの国(日本、パレスチナ)でも、あり得ない話しではあるが、主旨は同じで、この映画はフランス映画の後に公開されている。それでいて、この映画だけ、カンヌ国際映画祭は無いと思う。
出身階級に上下を作り、上の者が下の者を俯瞰した目で見下した話にしか思えない。
『貧乏人は仕事をしない』そんな事は無いだろう。
『金持ちは仕事をする』そんな事は無いだろう。
この事件は完璧な刑事事件になるし、看護師資格が永遠に剥奪になるし、その経緯を噛みしめると、看護師の行動が全く破綻していて、全く理解出来ない。つまり、
この演出家の良くやる手法である。
『愛せるとか愛せないとか、そう言った事にこだわるのは、子供と繋がっていない男だからだ』と一方の母親が言い切るが、この演出家は男だったはずだ。こんなあり得ない状況に陥るケースでは、現代の日本では犯罪以外あり得ないが、女性がこう言ったケースに陥った時、本当にそう考えるのだろうか?
男の立場で、他人の子と血の繋がった子を見た時、他人の子は仕草などはカワイイと思うが、泣いている他人の子供はうるさく感じる。しかし、自分の産んだ子供は泣こうか、喚こうが愛する事を止める訳にはいかないと聞く。それが子育何じゃないかと感じる。と男の私は感じる。
但し、養子縁組に反対する事とは別である。また、この映画はそう言った養子縁組にも懐疑しているように見える。
この映画を見て、女性の方々は本当に泣けるのだろうか?永遠に自分の産んだ子を他人に育て差せて、中二病を迎えて反抗期を迎えた他人の子を愛せる自身があるのだろうか?
また、俳優の方には申し訳ないが、父親になる俳優を入れ替えて見てもらうと、割に容易に理解できると思う。
子供は親の都合で育つ訳では無いと感じる。つまり、やっぱりこの映画の結末は怪しい。
女性がどう考えるか、男なので分からないので、0.5にする。
勿論、父としては全く理解出来ない。
グレン・グールドのビアノ曲はハミングが聞こえる。さて、それを良しとするかうるさいとするかは、賛否両論の様だ。私はあまり好きになれない。この映画の様に。
アイロニーとしての父を描ききれていないと感じる。アイドル映画だと思う。
いきなり"演技してる演技"から始まるあたり只者じゃない感がすごい。...
いきなり"演技してる演技"から始まるあたり只者じゃない感がすごい。カードを切るタイミングがこちらの心を見透かしてるんじゃないかって程絶妙で怖いくらいでした。是枝監督のフィルモグラフィの集大成とも言うべき作品ですね。期待以上。
出生から6年経過して子どもの取り違えが発覚した。 病院側は「交換」...
出生から6年経過して子どもの取り違えが発覚した。
病院側は「交換」などと能天気なことを言うが、家族にしてみればそんな形式的に解決できる話ではない。
私の感覚では、もう取り返しがつかないのでそのままでいくのが良いと思うのだが、2組の家族は血縁関係を重視し、「交換」しようとする。
しかし、子どもの気持ちは完全に無視されている。
子どもたちからすれば、「他人」と家族になるのは理解できないだろうから。
血か、一緒に過ごしてきた時間か。 全く正反対の父親を描くことで、心...
血か、一緒に過ごしてきた時間か。
全く正反対の父親を描くことで、心情がわかりやすかったと思う。
母親の心情も辛いものがあった。
何が正しいと言えない難しい内容。いろいろ考えさせられた。
子供の自然の演技が良かった。
どぎまぎした感じとか、何気ない普段のやり取りとか。
是枝監督はこういう自然の表情を撮るのがやっぱりうまいですね。
62点
2020年上映作品朝が来るを鑑賞し、同形作品である今作を鑑賞。
二つの家族の両親4人、特に主演の福山雅治の脇を固める3人がまあ演技派かつ顔から雰囲気、臭さまでまるでハマりやくでした。
福山雅治はある種キムタクみたいなキャラクターだと思っているので、あえて触れませんが彼の今までの役の中では硬派で仕事至高主義の父役はぼちぼちあってたんじゃないかなあ
一つだけどうしても引っかかるというか、それ故評価が下がってしまったことで、愛する息子が入れ違いていたことを知り動揺し思わず二人とも引き取ると言い出した時は、物語冒頭ながら脚本に愕然した。信じられないね。
同じ思いで苦しんでいる人が同じようにいるとわかっていながら出る言葉ではない。
それだけです
できそこないのパパ
親子の関係を描いた作品
親子……血の繋がった両親と子供
…もし血が繋がってなかったらどうする
考えた事もなかった
この二つの家庭はそれぞれに特徴がある
子供と一緒に遊ぶ父親
仕事優先で子供は母親まかせている男
母親は常に子供と接して面倒を見ているので
いつしか親になれる(子供のお陰で)
でも。。 父親は……
劇中で子供がすり替えられた時に
福山が母親だったら気づくだろうと
彼女に言った
気づく訳がないと思った
赤ちゃんの時は尚更
父親だって赤ちゃんを見て気づく ?
あなたのお子さんですって言われたら
自分の子供だと…思うはず
慶多はず~とパパが好きだった
こんな事になってパパは
ぼくを好きじゃなかったと…いつしか避ける様に
子供の気持ちも聞かず親だけの考えで
血の繋がった子供を引き取って
子供に違った環境でましては両親が違うことで
子供に大きなストレス与えてしまった
叶えたい夢は…… 家に帰りたい(流晴)
たくさんの自分の写真とママの写真(慶多)
子供たちの気持ちに気づいた
やっと……… 慶多の父になれた
私だっらとは思いませんでしたが
血の繋がりだけではない
他のところも考える切っ掛けになりました
おもちゃを直せる人ってカッコいいな~
血を取るか、思い出を取るか
取り違えられた子どもを元に展開が進む。
福山はより優秀な子どもになってほしいから血を選ぶが、リリフランキーは子どもとの時間を愛し、よき父親として描かれている。
しかし、本当に福山はダメな父親だったのだろうか。
たしかに、優生思想は問題があるが、仕事も頑張りながら家族を幸せにしたいという志しがあったことは間違えない。
また、自分の過ちに気づいた時は、すぐに謝罪へと足を向けている。
わたしは、ある意味柔軟な父親だと思った。
血縁関係の重要性、子どもとの接し方、過ちへの対応など考えさせられる内容である。
まだ私は父親ではないが、将来見返したい作品であった。
犬でも無理
自分は子供がいないので
とりあえず飼ってる犬で想定。
‥
突然他人が飼い主になって、戸惑う愛犬を考えたら‥
もう泣けます。
(犬だって無理よ、と真木よう子さんも言ってましたね)
普通にくつろいでたら切ないですが。
血のつながりがどれだけのものか
にわかには想像がつかないけど
答えは出せない!
ラスト、カメラのとこは、号泣です。
リリーフランキーのクセが強いが、主役はもちろん◎
この映画の存在は公開当時から(おそらく)「ふわっと」認識していた。「なんと福山雅治が主演らしい」とも「ふわっと」認識していた。「そういえば、尾野真千子も出ているな」とも。福山雅治は、同じ長崎県出身ということもあって、ぱっと目についていたし、尾野真千子も、NHK連続テレビ小説「カーネーション」で主演をやっていたことがしっかりと記憶にあり、やはりぱっと目についた。だから、いつか観ようという気持ちは「ふわっと」あったのだが、自ら主体的に作品を手に取ろうとまでは至らなかった。
結局のところ、この作品を観るに至った動機は受動的なものだった。当時、私は、ブルーレイレコーダーに邦画を自動で録画するよう設定していた。そうすると「海街diary」や「万引き家族」といった是枝裕和監督の作品が自動的に録画されていた。この2つの作品はすでに鑑賞済みだったが、最後まで手をつけていなかったのが「そして父になる」だった。今回、連休に入ってようやくゆとりができたので、鑑賞することができた。以下に記すように、配役にはとても満足しているのだが、テレビで観るには少し物足りない印象を受けた。全体として映像は落ち着いた感じがしており、かつピアノのBGMは品がある。映画館のスクリーンで観てこそ映えるように思う。
前述の通り、是枝裕和監督の作品には少しだけ触れる機会があった。だから、リリーフランキーや風吹ジュン、樹木希林といった「いつもの顔」が出てくると安心感を覚える。いずれの作品においても、異なる役柄を演じているはずなのに、彼ら彼女らのキャラクターは何処か似通っているところがあるからだ。とりわけ、リリーフランキーの「抜け感」にはいつも笑ってしまう。是枝作品ではない別のドラマでも、社会不適合な感じの役をやっていて、これが「平常運転」なのだろうと確信に近い感覚を覚えて久しい。今作では、群馬の小さな電器屋の親父を演じていたが、不思議な方言を話していて、相変わらず「抜け感」抜群だった。
もちろん、福山雅治と尾野真千子もすばらしかった。福山雅治はもちろんいつもカッコ良いのだが、今作では少し不器用な父親を演じている。仕事には全力を注ぐが、子育てにはやや関心が薄い。父親に「なりきれていない」感じが出ている。今にも「愛情って何ですか?」なんて言い出しそうでおっかない。それとは対照的に、尾野真千子はいわゆる「良妻賢母」そのものを演じきっている。2人の子育てに対する温度差があって、それが最後にグッと縮まっていく気配が感じられるところが、鑑賞者の涙を誘う。
”父”とは、”親”とは何なのか?
とても大切なことを投げかけた題材(だからカンヌで絶賛される)。
家族とは何なのか、幸せとは何なのか。
父とは何なのか。
上映後の監督のスピーチで聞いた。
監督の娘さんの一言をきっかけにして生まれた作品だそうだ。家から仕事に向かう監督に、娘さんが言った一言「また、来てね」。手塚治虫先生もお子さんに言われたとどこかで読んだ。
偉大な仕事をする男は、そうならざるを得ないのか。けれども、それでいいのか。そんな疑問がよぎる。
監督も「父としてこれでいいのか」と思ったとか。
だからか?
監督が娘さんとやりたかったことが、斎木家に投影されているんじゃないかと思う演出。
「慶多が良多を尊敬して良多みたいになりたいと思っているから、良多だってそれなりの父だった」というコメントをどこかのレビューで拝読したが、一概にそうとは言えない。
このくらいの年の子どもは、自分を虐待する親のことも肯定して、虐待する親のようにふるまえないから、暴力を振るわれると思う。虐待する親を理想化して虐待する自分を価値のないものだと思い込む。だって、”家族”が”法”であり、”世界のすべて”。それ以外の価値観を子どもは知らない。(”家族の価値観”以外の”価値観”を知るために”学校”は大切。)
”父”という役目を誤解していた男の成長譚としてみれば、それなりに見られる映画なんだけれど…。
”家族”の物語として観てしまうと…。
あの流れで、子どもを取り換えるか?と唐突。お試し期間だとしても。「交換しなきゃね」と思わせるような描写がもっと欲しかった。
また、周りの人々とのやり取りの中で野々宮が自分の生き方を振り返るのは良いとして、
カメラのシーンは涙を誘うけれど、『そして父となる』というテーマなら、息子たちとのやり取りの中でももっと葛藤・気づきを得てほしかった。
とってつけたように、一番従順だった息子の反乱が描き出されるけれど、そこも唐突。慶多の描写は、今までにない自由な環境で楽しんでいる描写しかなかったのに。慶多が過剰適応していると匂わせてくれるショットが少しでもあればよかったのに…。
もう一人の息子との心の掛け違えの描写は秀逸。でもあのシーンだけ他で撮ってはめ込んだような違和感…。
そして、この事件の現況の家族。血のつながりについて、良多が思いをはせるきっかけとしては重要なエピソードなのだけれど、ここを削って二つの家族と子どもをもっとじっくり描いてほしかった。
そして、笑っちゃうほどステレオタイプな人物造形。
子ども目線で子どもと心の交流するけれど、躾のできていない斎木家。
子どもの気持ちなんて無視する管理者気質+過干渉的な関りしかしないけれど、躾と教育はしっかりしている野々宮家。
衣装にも意味を持たせてコーディネートしている話を伺うと、そこまで設定するのかすごいなと思うのだけれど。
その対比すらも表面をさらったような描写。
何より、上にも記したけれど、子どもたちの気持ちが表現されていない。当事者の二人の戸惑いはあんなものなのか?兄弟たちは?突然兄がいなくなったらそれなりの反応があるだろう。
ドキュメンタリー手法を得意とされる監督と聞く。
『誰も知らない』では成功した手法だが、この作品に合っていたのか?
ドキュメンタリーなら、かえって実際にこのような被害にあわれた方を取材した方が、もっと迫力のある、真実が描き出されたのではないか。
ー取り換え事件を描きたかったのではないのだろうけれど。
ー”父”としての自覚が芽生えていく過程を描きたかったのなら、『クレイマー、クレイマー』のシチュエーションの方がシンプルだったと思うけれど…。
監督ご自身がまだ”父”としてどうあるべきか迷っていらっしゃるのではないか。
”父”として現役だから、これ以上思索を深められなかったし、客観化が中途半端になってしまったのではないか。
二兎を追う者は一兎をも得ず。頭で考えた感の演出・脚本が、今一つ乗れない。
血か時間か。よくわからない。
狩野先生という精神科医がある講義で「一緒に過ごす時間が家族を家族としてくれる」とおっしゃっていた。
血のつながりはなくとも、人として尊重して愛され育まれている子どもを知っている。
血のつながりがある親から搾取されている子どもを知っている。
血のつながりはあり、同じ家に住む父を「たんなる同居人」という青年~大人は多い。
取り換え事件に巻き込まれた家族を調査した論文では、100%”交換”をして、成功したらしい。
論文を読んでいないから反証はできないが、”成功””適応”をどのように評価したのか。
年齢にもよるが、子どもは大人の決定に従わざるを得ない。自分で変えられない環境なら”適応”するしかない。
子どもは授かりものである。
子どもを”作る””育てる”という感覚が身についてしまったけれど、
子どもとの時間は、子どもが与えてくれるもの。子どもがいなければその時間は存在しない。
子どもがその人の元に来るおかげで、その人は”親”になることができる。
なのに、いつから私たちは、そのすべてを私たちがコントロールできると思い込んでしまったのだろう。
親子の関係。最終的に当事者の子どもにしか評価できないのだと思っている。
カプセル親子、双子親子、友達親子という言葉ができて久しい。毒親という言葉もメジャーになってきた。
甘やかすだけでもダメ。厳しいだけでもダメ。
子は意外に親をちゃんと見ていて判断している。その躾や行為を誰のためにやっているのか。
自分のために生きるのか、誰かのために生きるのか。
血であろうが、時間であろうが、親子になるのは難しい。
(区の企画鑑賞会にて)
泣けるなぁ。4人の親と子供が、健気です
今まで大切に育ててきた6歳の息子が、実は産院で取り違えられた他人の子供だということがわかり、さぁ、どうする・・・と双方の家族が翻弄されるというストーリー。
エリート夫婦に福山雅治と尾野真知子、下町の電気屋の夫婦にリリーフランキーと真木よう子。
このままがいいのか、それともやはり元の親に戻す方がいいのか・・・
話し合い、やはり交換する方向で、とりあえず週末だけ新しい子供と過ごすそれぞれの家族。
かわいそうなのは子供です。急に預けられてもわけわかんないよね…
急に、私たちがほんとのパパとママなんだ、と言われても…
結末はあえてここに書きませんが、子供がいる人には心がズキンときてたまらない映画です。
でも、でも、取り違いはもちろんあってはならない事で悲劇には違いないんですが、この事があったことで、この4人の親は、人として、親として、家族として、すごく深みが出て、絆が深まって、あらためて愛を知ることができたのは間違いない。
(あの看護師には怒りしか感じない… どうしても同情できなかった)
私は母親の立場としてやっぱり観るので、真木よう子と尾野真知子が困惑しながらも目の前の子を一生懸命愛して世話する健気な姿に胸打たれ、2人が河原で抱き合うシーンに涙でした。母は強し、愛深し。やっぱり男と違ってお腹痛めて産んでるからなぁ。
福山雅治の演技も結構好きなんですよね。淡々としてるけど、ふとした時にグッときます。
最初はほんとに嫌な人で、上から目線で自信家で、冷たい感じなんだけど、もちろん彼も悩み苦悩してるわけで。。。
ちゃんと息子と向き合うラストには泣かされました。
リリーさんの、子供と転げ回って遊ぶ庶民的な父も好きだし。
そうそう、今は亡き樹木希林さんが祖母役で出てますが、あのフワッとした感じ大好きです。
「昔はねぇ、戦争の時、孤児になって貰われたり親戚の子を引き取ったり、そりゃあ色々あったんだよ」って。
家族ってなんだろう。
血のつながりって、なんだろう。
良い映画です。
さすが「万引き家族」の是枝監督。
「海街Diary」も良かったけど、是枝さんは家族のコアな部分に迫るのが上手い!!鋭い!!
次回作ではソン・ガンホさん主演とのこと。楽しみです!
リリーフランキーの父役が、素晴らしい
福山の演じた父役のように、父と言う自覚が足りない男性も多いのだろうな。手放してやっと、一緒に過ごした6年間の重さを実感、やっと父になった。けど、この後、どうなるんだろう。
正解なんてないのだろうけど。。。
立場も環境もあまたなだけに、この手のテーマに正解なんてない。それでも、子を持つ親として、賛否両論上等で作り手の解答を見たかった気がする。
修理技術の高さや物持ちの良さを表すドンキーコングのゲームウォッチ、エリートを象徴する40系LSからの明確な時代設定が把握できませんでしたが、家庭<仕事=エリート、仕事<家庭=清貧みたいなイメージは今ちょっと当てはまらない気がする。劇場公開した今から8年前といえば、うちの子どももだいたい同い年。そのとき見てたら印象も違ったのかも。
ちなみに、経済面はリリーフランキー側、精神面は福山側に属する最低な自分だったら、映画のジャンルが胸糞悪い系へと変わってしまうんだろうなあ。
鑑賞するのは2度目だけど、前より心に刺さりまくり、涙が止まらなくな...
鑑賞するのは2度目だけど、前より心に刺さりまくり、涙が止まらなくなった。是枝監督の描く人間は、良くも悪くも基本みんな善良な人間。自分がおかしいって思っている人がいないからこそ、他人との軋轢に苦しむ、そういう描かれ方していて、大人の心に突き刺さりまくるのかなあと思います。
ラストシーンに涙
重いテーマの作品と思い避けていつか、見ようと思っていて今日みた。もっとはやく見れば良かった。素晴らしい映画です。
家族とは親子とは、何なのか、考えさせられます。
予想では6年育てた子供をそのまま育てると思っていた。僕なら絶対にそうする。
しかし結論として、交換してしまう。
福山雅治の家にきた、リュウセイ君は家出する。そして流れ星にお願い何したの?
と聞いたら、もとの家に帰りたいという。
福山雅治も最初からあとで、変わった。
リュウセイ君とよく遊ぶようになり、子供の気持ちを思いやるようになる。
そしてラストシーン
はっきりしないが、リュウセイ君をリリー・フランキーの家に連れて行き、ケイタ君を迎えに行く福山雅治家族。
ケイタ君はパパなんてパパじゃないと逃げた。そして父親は懸命に語る。
言葉の下手くそな足りない父親だが。
ケイタと福山雅治が抱き合う。
もうミッションはおしまいだ。
そうだよね。そうだよね。
涙が止まらない。父親は育てた子供を捨てることなんてできないし、子供を育ての愛着のある親から引き離す権利なんてないんだ。実際に権利はあるのかもしれないが。
子供の気持ちを優先してあげたい。
親子の素晴らしさを再認識させられる
映画だ。両夫妻が好演です。
涙なくして見れない。
親になってから再度視聴。
6年間、育ててきた我が子が自分の子どもではなかった。
ここから物語がスタートする。本当の我が子と対面、やっとお互い本当の我が子、本当のお父さんお母さんに会えた。めでたしめでたしで
終わるような話ではない。
一緒に過ごしてきた6年間なんて、そんなもの
血の繋がりのほうが大切だという考えの
福山パパ。
そもそも、その6年間の子育てを
ほとんど妻に任せきりだった。ちゃんと
子どもと向き合う時間、一緒にあそんだり
話を聞いてあげたり…仕事が忙しくて
お子さんと向き合えていない世の中のお父さんたちはドキっとしたのではないだろうか。
さて、旦那に見せるとするか。
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