そして父になるのレビュー・感想・評価
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主役は、こども
カメラが引いて遠景になり、エンドロールが流れ始めた時、「なるほど」という納得と、「え」という物足りなさがあった。是枝作品と思えば納得の幕切れ。とはいえ、もっと先まで見届けたい、という物足りなさも。それは、映画が進むにつれて彼らを身近に感じるようになり、そんな彼らに、突然別れを告げられた錯覚に陥ったせいかもしれない。
福山雅治演じるエリート・野々宮が、初めて負けを知る話。観終えた直後は、そう思っていた。けれども数日経った今は、むしろ、子どもたちをめぐるあれこれが瑞々しく思い出される。少し意地悪くいえば、二ノ宮の物語はありきたりだ。社会的には完璧な勝者だが、家庭の中では精彩を欠き、我が子とどう付き合えばよいのか図り兼ねている。いや、妻や両親とさえも、ぎこちない関わりしか持てないのだ。そんな彼の変化は確かに丁寧に描かれており、じわりじわりと観る者の胸をしめつける。けれども、二ノ宮だけに焦点を当てるのは片手落ちではないか。確かに最も大きな変化が生まれるのは彼だが、危うさを抱えながらも、表面は明るくお調子者の斎木(演じるはリリー・フランキー)側の物語も見たい、と思った。もちろん、セリフの端々や立ち振る舞い、住まいの様子から伺えるものは多々ある。それでもなお、もう一人の父である彼を、もっとくっきり描いてほしかった。そこが少々物足りない。
一方子どもたちは、とにかく素晴らしく、忘れ難い。「誰も知らない」のきょうだいたちや「奇跡」の兄弟を彷彿とさせる。
子どもの頃、よそのウチヘ行くことは、楽しみであると同時にスリリングでもあった。自家での当たり前が通用せず、別の当たり前が横行している驚きと不思議。ありきたりの日常生活が、宝探しになる。
よそのウチがうらやましい、⚪️⚪️ちゃんちならこうなのに、などとぼやきながらも、自家のルールに戻ってくる安心感。しかし、取り違えられた彼らは、そんな窮屈な安堵に戻れない。新たな当たり前の中に、突如居残りを告げられるのだ。このままなのだと分かったとき、期間限定ゆえのキラキラはあっという間に色褪せ、宝探しのワクワクは不安へと一変したはず。けれども、彼らは泣いたりわめいたりしない。そんな一過性のことをしても無駄だと、瞬時に悟ったのだ。そして、自分なりの方法で折り合いをつけていこうとする。その姿は、健気とかたくましいとかいじらしいとかいう、子ども向きの褒め言葉が似合わない。とにかく、圧倒されたというほかなく、身ぶるいを覚えた。
再び、エンドロール。ちょっと呆然としながらも音楽に心を鎮め、彼らのその後を慮った。家に入ったあとのやりとり、翌日、一週間後、数カ月後、一年後、十年後。成長に伴う困難ばかり思い浮かぶけれど、彼らはいつも・きっと幸せなはず、と願いを込めて思った。
「父親」としての自分を重ねながら観ていた。
私は、自分の子供“以外”の子供と対峙するときや、第三者が観ている前ではリリー・フランキー演じる斎木家パパ。
でも普段は不機嫌で、細かな所作にも口うるさく、周囲とうちとはレベルが違う一緒にするな、という仕事第一の福山演じる野々宮家のパパだ。
子供たちは明らかに斎木家の方が子供らしくノビノビしていて楽しそうだ。
リリー・フランキーがとても「子供との時間」を大切にしていたのが印象的だった。リリーが福山と父親同士で話す場面で印象的な台詞がいくつかある。
「そういうとこ、面倒くさがっちゃダメだよ。」
「父親かて取り替えのきかない仕事やろ。」
「琉晴には、やってあげてくれよ。」
身につまされる思いでみていた。
途中からとても落ち着いて観ていられず、自然と前のめりな姿勢に。
子供たちが途端に愛おしくなってきた。
久方ぶりに、まだ明るいうちに帰宅してみた。
子供たちがビックリして、でもまんざらでもなさそうだった。
あと子供たちと遊べる時間はそれほど多くないかもしれないが、今からでも「父になって」このかけがえのない時間を大切にしていきたいと思った。
福山雅治を新境地へと導いた、是枝裕和監督の功績
第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員賞を受賞した是枝裕和監督作。息子が出生時に病院で取り違えられた別の子どもだったことを知らされた家族が抱く苦悩、葛藤を描いたドラマで、主演に福山雅治を迎えた。
エリートサラリーマンで都心の高級マンションで暮らす良多と、取り違えの起こった相手方の斎木のコントラストが巧妙で、斎木をリリー・フランキーが演じているというのも一役買っている。
それぞれの妻を尾野真千子、真木よう子が担い、芸達者な面々が是枝監督のてのひらの上で躍動しているさまは圧巻だ。
是枝組の常連ともいえる故樹木希林さんの元気な姿や、「ワンダフルライフ」の井浦新の自然体の演技を確認することもできる。
良かった
キッザニアのベリベリの布財布に領収書、それぞれの服装とか、細かいところも凝っていて、見てるのが楽しかった。主人公の両親は離婚して主人公は父について行った?のであってるかな?真面目で堅い感じだったけどちょっとずつ変化というか受け入れられるようになっていくところが描写が丁寧だった。慰謝料とかドライヤーのところ、弁護士のくだり、領収書のところとかに相手の両親が裕福でないところがでてて、相手が絶対的に良い人間っていう感じじゃないところが良かった。良い父親だけど。子役の子も自然な感じでうまかったと思う。ただ私たちをパパママと呼びなさいのあたりとか琉星に怒鳴りつけるあたりは大人の都合すぎてしんどかった。
子供自身の自発性、主体性を伸ばしていく教育が重要なのでは
福山雅治演じる父親の厳しい教育方針(マナー、ピアノなどの特技や教養、競争心といったマインドなど)は、子供が社会で生きていく上で一定程度必要なものではあるだろう。しかし、彼には子供を自分の理想通りにしたいという父親の視点しかなく、子供の視点が決定的に欠けていた。子供の興味関心や得意不得意、気質を見極めて、子供の長所を伸ばしていく重要性を理解していなかった。
結局、興味関心を持っていたり得意なことでないと能力や知識は伸びづらい。そして、子供は成長するにつれて、自然と自分の成長のために何をすべきか、徐々に気づいていくものだろう。そう考えると、親がなすべきことは、自分の理想を押し付けることではない。子供自身の自発性や主体性、好奇心を伸ばしていく手助けをする教育が必要なのだろう。つまり、「自分が何をしたいか」を考えさせ尊重する教育が、子供の幸せのために必要なのだろう。その中には子供と愛情深く接する時間を取ることも含まれているが、彼はその重要性を理解していなかった。そういう部分で彼はよくない父親だったが、タイトルの「そして父になる」の通り、最後には気づくことができた。そんな人物描写が秀逸な映画。
養子を育てあげた身からしたら
血の繋がりほんっっっとに関係ないと思うから、取り違えって言われて衝撃を受けるのはもちろんやけど、すでに7歳小学生である程度のことがわかる年齢の子供を交換しようという気にはならんと思う。0歳児やと少し悩むけどそれでもそのままにしましょう、って私なら言うかな
ただ、血縁者にはなるわけやから連絡は取り合うと思うし相手が嫌じゃないならいい感じで交流したいなと思う
父親の愛を受け取るためにクリアすべき条件
野々宮良多は一流大学を卒業し、大手建設会社に勤め、都心の高級マンションで妻のみどりや6歳の息子・慶多と暮らしていた。ある日、6年前にみどりが慶多を出産した出身地・群馬県の病院で赤ん坊の取り違えがあったことが発覚し、DNA検査の結果、慶多が他人の子どもだったと判明。野々宮夫妻と群馬県で小さな電器店を営む斎木夫妻が病院の仲介で会うことになるが、彼らの身なりとがさつな態度に良多は眉をひそめてしまい……(WOWOW公式サイトより)。
実はちょっと苦手な是枝監督が2013年に公開した作品。カンヌをはじめ、各賞を受賞した同氏の出世作。
ドイツの著名な心理学者・エーリッヒ・フロムは著書の中で、「子が母親の愛を受け取るために何の条件もいらないが、父親の愛を受け取るために条件をクリアする必要がある」と説き、その条件として「期待に応える」「義務を果たす」「父親に似ている」などを挙げている。福山雅治演じるエリートビジネスマン野々宮はフロムの言う条件クリアをそのまま子の慶多に求め、慶多は期待を超えてその条件をクリアしてきている。
幸か不幸か、本作のタイトル通り、子を宿した瞬間に親になれる女性の「母」と異なり、男性は意識的に「父」になろうとしなければ、「父」になれない。なぜなら、胎動も重みも痛みも心身の変化も、なにも感じることがないから。子に条件を与えることは、父自身が親になっていく過程でもある。尾野真千子や真木よう子の無条件性が特に福山雅治との対比を際立たせている。
といった感想を観客は抱くことを、是枝監督は全て計算して製作しているように感じられてしまうので少し苦手である。読後感も含め、全て監督の手のひらの上にある感覚。過度になり過ぎない演出、キャスティング、意図されていない風の意図的な余白を意味するようなカット、タイトル、宣伝等々。
もちろん各方面で高い評価を得ている通り、作品がおもしろいのは言うまでもないが、もうちょっと観客を信頼しても良いのでは?と思ってしまう(ならば、なぜ観るのかというと、観ないで批判するのは違うと思うから)。
そして吉になる
豪華キャスト。
セリフに重みがある。
誰の氣持ちが1番大事なのか考えさせられる。
登場人物それぞれが魅力的。
人が人を好きになる理由の本質に迫っている。
泣ける場面が多いなか、笑えるシーンもあった。
意地を張らず素直になって、少しは妥協して相手の好みに合わせてみれば、凶は吉に変わる。
家族に理屈は通用しない
将来を考え、合理的、論理的に最善な選択をしようとするのは仕事男にとっては日常であるが、それは家族の話になると全く意味をなさないというのがよくわかる。
なんだかんだ子供と接する時間は父よりも母の方が長くなると思うが、それが「繋がりの実感」というものに大きく影響しているということを突き付けられる。
淡々とした描写の中でも濃密で隙の無い演出に…
以前、今回同様、TV放映で観た映画だが、
特に印象の強く残っていなかった作品で、
ディテールも忘却の彼方だった。
しかし、大筋の記憶と題名からしても
概ねの内容は想像出来ていたにも関わらず、
是枝監督作品であることや
前の鑑賞から年数が経っていたこともあり、
違った印象を期待して再鑑賞した。
映画には、観る度に新しい気付きがあり
評価が高まるものと、
逆に前よりも心躍らなくなる作品があるが、
幸いにも
この映画は前者に該当する作品となった。
主人公はその成功体験から
職場でも、家庭でも、
何かと上から目線的な人物で、
それなのに、上司からの“子供を二人とも”との
アドバイスを得ては
相手の家族にそのまま語ったり、
父親に“血縁こそが”と言われて
子供の交換を決断したりと、
主体性が欠如した人物像だ。
しかし、そんな彼が次第に
人間的に成長を遂げていくというのが、
この作品の核なのだろうが、
今回の鑑賞では、是枝監督が
その点の感情推移を非常に上手く
描き切っていることが確認出来、
中年男としてのバージョンではあるが、
一つのビルディングスロマン的作品
として面白く観ることが出来た。
カンヌ映画祭で高い評価を受け、
国際的には評価された作品だが、
キネマ旬報ベストテンでは、
「ペコロスの母に会いに行く」や「舟を編む」
等が上位に選出された年に、
第6位との選出だった。
しかし、今回の鑑賞で、私としては
より高い評価だったらと思う作品となり、
淡々とした描写の中でも
濃密で隙の無い演出の出来る監督として、
是枝監督の作家力を確認出来た気がした。
是枝監督の各作品については、
改めて鑑賞する必要があるように思える。
血縁か育てか…正解はあるのか
本作のテーマに興味はあったものの、福山雅治さんの演技になじみがないため何となく後回しにしてきたが、個人的だが「父」というタイムリーな響きと観放題期日にあおられていよいよ鑑賞。
観終えて思うことは、まずは主役陣の演技力にとにかく感服。自然かつ個性的な演技に、次第に引き込まれていく。私にとっての邦画鑑賞の最大の魅力はこの点にあるだろう。
ストーリーとしてはどうだろう。この結末に対する良し悪しは、端からどうこう言えるものではないのだろう。とても難しい問題だ。正解はあるのだろうか。
よくまとまった作品だが、何かもう一押し欲しかったような気もする。
5歳の娘がいる、56歳です。
20歳の娘もいます。
泣いた。
自分には、リリーフランキー的な面と福山的な面がある気がした。
だが、決して絵に描いたようないい父ではないことは確かだ。
氏より育ちもある、血縁より過ごした時間の長さもある。
そんなの別にして、子供はどっかで親の愛情を感じてるんだよね。
幼少期のかわいらしさは、言葉にはできない。
自分は100点の親ではないかもしれないが、子供に少しでも
愛情が伝わればいい。
100の言葉より、抱きしめることが大事だよね。
曖昧でよう分からん
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福山・尾野夫婦の一人息子が実は病院で取り違えられたと判明。
相手家族と相談し、交換するという話になる。
しかし懐かず、福山は育ての子に会いに行く。
最後はどうなったんかあやふやなまま終わるが、多分元に戻す。
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この監督の子供を主体としたダラダラした作風は嫌いなんやけど、
相変わらずおもろなかったなあ、全てが曖昧やし。
福山は仕事の出来は良いが家庭を顧みない悪い親のように描かれ、
相手の親は駄目人間やが面倒見の良い親として描かれる。
最初から福山の方にしか共感がわかんかった。
出来の良い福山は子供がアホでガッツがないのを苦々しく思っており、
実の子でなかったと分かったとき、やっぱりかって言ってもうた(場)
それを聞いた尾野がそれを苦々しく思ったエピソードは笑ったw
でも交換した子供がとにかく下品。
福山の子なので多分賢いんやろうけど、いかんせん育ちが悪いというオチ。
おれならどっちもいらんなあ。しいて言うなら、まだ素直な最初の子かな。
たとえ血の繋がりはなくても、長い関係性で構築された親子の情愛は、とても深かった。
是枝裕和監督による2013年製作(120分/G)の日本映画。配給:ギャガ、劇場公開日:2013年9月28日。
是枝監督作ということで、いつものことながら、子供たちが何とも愛くるしい。特に、元福山家の子演じた二宮慶多のいじらしさは涙もの。
子供と接する時間が乏しいエリート社員を演じた福山雅治もサマになっていたし、彼のエリート臭い教育方針に不満ある妻役の尾野真千子も好演。対照的な理想の家庭的父を演じたリリー・フランキーも、かなり無理している感はあったが、頑張って絵にしていたし、真木よう子もとてもナチュラルな感じで好印象。
子供の入れ替わり以外は大きな事件も無く、淡々と進む二家族の描写だが、興味深く見ることが出来、流石是枝監督と思えた。妻たちは随分と仲良しになるが、リリーに対する職業的格差感も有り打ち解けない福山の描写が、見覚えがある様で上手いし、少々自分にも突き刺さってくる。
二宮慶多をミッションと言ってリリー家に送り出した福山。だが、知らない間にカメラで自分を撮ってくれていたことを知ったこともあり、愛しさが溢れ、我慢しきれずに会いに行ってしまう。血は繋がらないながら、長い関係性で構築された親子の情愛というものを描いていて、こころを打った。「万引き家族」の原点がここにあったのか。
監督是枝裕和、脚本是枝裕和、製作亀山千広、 畠中達郎 、依田巽、エグゼクティブプロデューサー小川泰 、原田知明 、小竹里美、プロデューサー松崎薫、 田口聖、アソシエイトプロデューサー大澤恵、撮影瀧本幹也、照明藤井稔恭、録音弦巻裕、美術三ツ松けいこ、衣装黒澤和子 、鍛本美佐子、ヘアメイク百瀬広美 、古川なるみ、音響効果岡瀬晶彦、編集是枝裕和
、助監督兼重淳、スクリプター冨田美穂、キャスティング田端利江、制作担当熊谷悠、音楽プロデューサー安井輝、ラインプロデューサー新野安行。
出演
福山雅治野々宮良多、尾野真千子野々宮みどり、真木よう子斎木ゆかり、リリー・フランキー斎木雄大、二宮慶多野々宮慶多、黄升げん斎木琉晴、中村ゆり、高橋和也、吉田羊、ピエール瀧、小倉一郎、大河内浩、清水一彰、林剛史、中村倫也、森崎めぐみ、足立智充、加藤四朗、滝沢美結、押場大和、ノザキ・オジエル、田中哲司、井浦新、風吹ジュン野々宮のぶ子、國村隼上山一至、樹木希林石関里子、夏八木勲野々宮良輔。
親とはなんなのか、子どもと過ごす時間や接し方を改めて考えさせられた作品でした
子どもの気持ち、親の気持ち、どちらを考えても複雑で苦しくて、ところどころのシーンでジーンと泣けてくる作品でした。
血の繋がりか、一緒に過ごした日々かなんて選択苦しい。だけど、一緒に過ごす時間はやっぱりかけがえのないもの。
初めての交換お泊りのときに、車を見送るケイタくんの姿に涙😭
お迎えに行って、このまま2人で知らないところへ行っちゃおうかのママの気持ちも痛いほどわかりました😭やっぱり一緒に過ごした6年はなにものにも変えられない!血は繋がって無くても、我が子を誰かになんて考えたくないよね😭
福山さん
「リュウセイくんのお父さんとお母さん、
ケイタのこと大好きだから心配するな。」
ケイタくん
「パパより?」
福山さん
「そうだよ」
はえぇーーー!!!ってなった😭
子どものことを考えてあえてなのかもしれないけど、子どもの気持ち壊れちゃうよ😭
そんないろいろと不器用な福山さんが、リリー・フランキーさんのご家族とリュウセイくんとの関わりで、ギターでバン!から少しずつ変化していくところも涙が出ました。忙しいながら、おうちでキャンプを考えてくれたところもいーなと思いました。
お仕事が忙しいのもわかるし、家族のために大変だけど働いてくれている世の中のパパたちもきっともっと家族といたいと思ってるはず🥹
世の中がもっと働きやすい環境ばかりだといいのに🥹
川で2人の母同士が抱き合うシーンも、子を想って発する言葉、真木よう子さんが背中をトントンする愛の大きさにも涙😭
真木よう子さんのケイタくんに故障しちゃったかな?ぎゅー!のところも素敵だなって思いました🥹子への伝え方、接し方がステキすぎる😭
ケイタくんが福山さんの写真撮ってたことを知った福山さんの涙も泣けた。
そこからの、ずっと不器用な感じの福山さんが、会いたくて約束やぶって会いに来た!ごめんな!もうミッションなんて終わりだっていう素直に自分の気持を伝えてギューってするところも泣けた。
親とはなんなのか、子どもの気持ち、子どもと過ごす時間、その過ごし方や接し方を改めて感じさせられた作品でした。
一緒にいられる今をもっともっと大切にしようと思いました。
またも是枝氏に考えさせられる。家族とは?
他の方たちのレビューを読んでいて、ここにたどり着いた
自分も過去に見たことがあるので、思い出しながらレビューする
福山雅治演じる主人公・野々宮良多はエリートサラリーマン
妻のみどり(尾野真千子)と長男と3人家族で、高級マンションに住む
ある日病院から連絡が来る
「子どもを取り違えた可能性がある」と
という物語
検査の結果、やはり子供は取り違えられていた
自分には子供がいないが、どれだけ大変なことかは想像がつく
子どものいる人なら、なおさらだろう
血が繋がっていなくても、6年も親子として暮らしてきた
このままでいいじゃないか
一方、一度もあったことが無いが
自分と血のつながった子供を他人が育てている
このままでいいのか?
主人公は「二人ともうちで育てる」と発言するシーンがある
ただし、この発言は
街の電気屋である相手夫婦を見下しての発言だったりする
福山演じる主人公は、ハッキリって父親失格
だが、この事件を通して「父になる」
最後は血の繋がった子供を自分の子供として受け入れるのか
これまでの生活を続けるのか
見る側にゆだねる終わり方
感動したとか、良い作品を見たとかではなく
凄く考えさせられた
父になるとは
自分の子育てへの関わり方が良かったかって突き付けられました。自分も正直、あまり子どもたちと遊んであげたり、子どもたち目線で接していなかったので。どちらかというと良多よりの子育てだったなあと。
第一印象は、子どもに罪はないよなって。看護師は言語同断。エリートサラリーマンで、優秀に子どもを育てようとしている良多だって、父親の子育ての影響を受けているだろう。昔は、父親は仕事中心、子どもは、子ども同士群れて遊ぶのが当たり前。家にいるより、外に遊びに出た。斎木夫妻だって、自営業で子どもも多く産むことができたから、あのような子育てができる。高層マンション住まいの野々宮夫婦に、すべて同じようには子育てできない。いずれ、子どもは正直で残酷。そして、子どもがありのまま、生き生きと認められるのが一番。
母親の育児のプレッシャーは相当なもの。でも、父親は忙しさとかにかまけたり、固定的な役割分担に甘えて、父親の役割を十分に果たしているとは言えない。(自分もそうだったよなと。)「そして、父になる」は、子どもの取り違えを通して、母子関係に加えて、父になるとはどういうことかを突き付ける映画だっだ。
バッハの「ゴールドベルク変奏曲」が、映画全編を通して使われて、冒頭の部分は、日常の感じ、変奏の部分は物語の展開にぴったりで、最後、また冒頭の動機に戻る感じが、上手い使い方だなと感じた。
金稼ぐ以外は、ダメ父…
「『金』は稼げるが、それ以外はダメな父親」の話。
それを、日本のイケメン俳優のトップ、福山雅治が演じるのが味噌。
「『金』は稼げないが、それ以外は全て理想の父親」を
リリーフランキーという三枚目俳優が演じるのも味噌。
女性の映画ファンに、この作品が不評なのは、福山がダメ父を
演じるのが嫌だというのが、大半だろう…
最後は、どうなるのかといえば、どうにもならない尻切れトンボ…
欧州の有名な映画賞を取ったのは、欧米では「父親は仕事ばかりして
家庭をかえりみないのはダメだ!」という教訓を伝える映画の典型
だからなのであろう…
ところでハリウッド映画にリメイクの話は何処に行った?
リリー役は多くの俳優がやりたがるが、ダメ父の福山の役は
やりたい俳優が見つからないというのが、原因ではないか…?
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