ガレキとラジオ。韻を踏んでいるわけではありませんが、なかなか語呂がいいです。けれどもこの映画、ガレキ撤去の話でも、ラジオ番組の話でもありません。あえて言えば、南三陸町に住む人々、一年間のスケッチ(実際には、ラジオ局が開設されていたのは5月からの十ヶ月。)。確かにラジオ局の人々が登場しますが、彼らは、記者、アナウンサー、ミキサー…という以前に、「町での暮らしを続けようとする、ごく普通の人々」でした。
映画の中では、大事件が勃発したり壮大なプロジェクトが展開したりすることはなく、むしろ淡々と日々は過ぎます。働き、家に帰り、食事をする。ときには喜び、驚き、泣き、笑う。(そんな当たり前の生活も、3月4月はままならなかったわけですが…。)描かれるのは、津波が奪った様々なものと、津波からのそれぞれの歩み。端的に言えば、震災後、繰り返し報じられてきた様々なエピソードから、大きくかけ離れたものはありません。けれども、そんなところが温かみとなり、無用な心のささくれは増えないだろうと安心感を持てました。
ごく個人的な問題(もしくは感傷)ですが、あれから一年の経過を待つようにして、関連の本や映画が大放出されている現状に、複雑な気持ちを抱いています。目にすると手に取り、観てみずにはいられないのですが、読むと、観ると、違和感が残るのです。そこに示されているものは一局面に過ぎないとわかっているのに、自分まで束ねられて枠にはめられたようなもどかしさを感じ、うまく距離を置けない自分に戸惑います。(「ダークナイト ライジング」さえも、隔絶されていた震災後の一ヶ月弱の日々が思い出され、生々しさを感じました。)そんな中、声高な告発や熱烈な力こぶしのない本作は、気負わず素直に、ゆったりとした気持ちで観入ることができたのです。
当時は、いかに裏打ちのない前向きさが巷に溢れていたか(言い換えれば、いかに求め、必要とされていたか)を改めて感じました。失ったものに目を向ければきりがなく、先行きは見えない。それでも日々を積み上げていくには、「やるしかない」「きっとなんとかなる」という思いが必要でした。とはいえ、こぶしを振り上げ、気合いを入れて…などという頑張りはとても続きません。「大したことないんだ、だからなんとかなるんだ」と思い込むには、どこかへらへらと脱力した、いい加減さと紙一重のような適当さが必要だった気がします。情けなくて笑うしかない、開き直りにも似た気持ち。そんなことをふと、思い出しました。
ところで、終始ひっかかったのは、本作の語り手「僕」はいったい誰なんだろう?という点です。ラジオ局のメンバー?作り手である監督?リスナー代表?…いずれも、どうもしっくりこない…。
観終わった直後に、はっとしました。「僕」は、ガレキから拾い上げられ再利用された、ラジオ局のパイプ椅子では?と。なるほど、それなら「ガレキとラジオ」、ぴったりです。役所広司のゆったりとした語りは、人間を越えていましたし。…ですよね?