劇場公開日 2013年4月13日

ガレキとラジオのレビュー・感想・評価

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5.0記録映画としても秀逸です。

2013年5月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

東日本大震災の記憶は、悲しいことに、どんどん風化していくと思います。
本作品は、地域のために、試行錯誤を繰り返しながら、前へと進んでいく、「普通」の人たちの物語です。
地域の人たちに本当に役立つ情報は何か、というラジオの底力を、あらためて認識します。
この時代に、南三陸町で、こういう魅力的なラジオ局があったということの記録としても意義のある作品だと思いました。

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小林壱岐守則定

5.0役所広司の声にくるまれた。おすすめします。

2013年4月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

南三陸町に少なからぬ縁もあり、観劇。号泣した。編集が抜群にうまい。役所の声にくるまれた。役所でなければ果たして成立しただろうか。

【役所広司さん 俳優には何ができるんだろう?】
役所は、「音楽家ならどこでも歌えるし、お笑いの方なら被災地の方を笑わせて勇気を与えることができる。でも俳優はいったい何ができるんだろう」と考え続けたという。その結果、「とにかくこれは僕たちの世代だけでなく、孫の代まで復興に立ち向かっていかなければいけないこと。僕にできることなら、そういうことにはできる限り参加しよう」と心に誓ったと明かす。

 その言葉通り、役所は、子どもたちの心のケアをするための東日本大震災復興応援アートプロジェクト「ARTS for HOPE」に参加。実際に被災地に行き、子どもたちと遊んだりもしてきたという。そしてつい最近も、作曲家の岩代太郎が発起人を務める「魂の歌~東日本大震災復興支援・音楽プロジェクト~」のCDで朗読を務めるなど、東日本大震災の支援プロジェクトには精力的に参加してきた。

 そして、東日本大震災の被害を受けた宮城県の南三陸町で立ち上がった災害ラジオ「FMみなさん」の活動に密着した本作のナレーションのオファーも「ぜひとも」と快諾。本作について「『FMみなさん』の方たちだって被災者で、それぞれに大変なことを抱えているのに、町の人たちに情報を発信しようとラジオに夢中になっている。そういった一生懸命、笑顔でやっている姿が胸を打つんですよね」と魅力を語る。

 震災から2年以上が過ぎ、世の中では風化が進んでいると指摘されている。役所自身もその事実を「人間は忘れなければ生きていけないこともありますからね」と認めながらも、「でも、僕たちも頑張って震災を風化させないようにしないと。震災のことを思い出していけるような企画があれば、今後も参加していきたい」と決意を新たにしていた。

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kentaro

5.0評論家の言葉は信じないが、これはその通りの名作だった。

2013年4月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

楽しい

ヴィヴィアン佐藤(美術家&映画評論家)の評論を見かけて、観に行った。
彼女(彼?)の言う通りだった。
終わったあとに、映画館で拍手が起きた。それも含んで音の映画だった。被災地映画なのに、ひまわりのポスター通りで明るかった。秀作。被災地支援にも今後利用されるので、星を5つあげたい。

---ヴィヴィアン佐藤(美術家)
これは「おと」に関する映画だ。鼓膜が破れる様な黒い津波の「爆音」。夜空に響く鎮魂の大輪の咲く「音」。カラオケの楽しい「唄声」。すべてを奪っていった津波に対する落胆・絶望の「溜息」。そしてラジオから流れる地元の人間による「声」。死者たちの声にならない「声」。語り部の「ぼく」の存在としての「声」。
津波に呼応する様にラジオの電波は、過去と現在と未来を繋いでいく。先祖の声と、いまを生きる声と死んだばかりの者の声、そしてこれから生まれてくる希望の声とを。それらは元々寄り添いすぐ隣りにあるものだが、ラジオによって輪郭を与えられているのかもしれない。。。

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ぽん酢なべ

5.0ラジオ奮闘記であり被災地映画のナンバーワン

2013年4月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

楽しい

被災地映画を片っ端から観てきて、その暗さに暗澹たる思いを常に感じていた。これは家族で観れて、泣いて笑って、勇気を持って帰れる。前売りなら1000円。僕は強くお勧めする。
僕の気持ちを代弁する佐々木さんの批評を紹介しておきます。

【佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 なぜラジオを描いた物語は、これほどまでに人の心を打つのだろうか。】

「ガレキとラジオ」は、宮城県南三陸町で震災後にスタートした期間限定の災害ラジオ局「FMみなさん」を舞台にしたドキュメンタリだ。スタッフに放送のプロはひとりもおらず、元ダンプ運転手や会社員、高校を卒業したばかりの女の子など素人ばかり。

イズミさん。中年で元ダンプ運転手の和泉さんは、人柄の良さがにじみ出てるような坊主頭だ。シングルファーザーで、思春期の息子三人を扱いに困りながら育てている。しかし言うことを聞かない息子は、親父が漁港にインタビュー取材に出かけているところをこっそり偵察に来て、ちょっと照れ笑いしながらこうつぶやく。「ダンプのころはカッコいいと思ったけど、人の話を聞く仕事なんて向いてねえなあ」

高校を卒業したばかりの女の子、ムラマツちゃんは、津波で姉を亡くした。姉との思い出の写真が残ってるはずの携帯電話を求めて、自宅跡のガレキを何度も何度も探し続ける彼女。彼女は泣きながら語る。「姉は障害者で、嫌いで嫌いでしかたなかった。ケンカばっかりしてた。でも今になって……」

こういう心やさしい人たちが作る、素人のラジオ。でもこのラジオは、地元の人たちの心に届いている。本作ではスタッフの側だけで鳴く、ラジオを聴いている人の姿も描かれる。娘と孫娘が津波で行方不明になり、たったひとり仮設住宅で暮らしている幸子さん。きれいに片付いてモノのほとんどない小さな部屋が、逆に彼女のさみしさを浮き彫りにしてつらい。彼女は毎日「FMみなさん」を聴いている。ラジオのスタッフたちがつくる世界、さまざまなコミュニケーションが、電波を通じて幸子さんの心の空白へと流れ込んでいくのが、観ているとよく分かる。

本作ととても似た設定を持ったテレビドラマが、3月にNHKで放送された。そのものずばり『ラジオ』と題されたそのドラマは、宮城県女川町の実在の災害ラジオ局「おながわ災害FM」を舞台にしている。心に傷を負う高校生の少女と、心やさしいラジオのスタッフたち。そしてもうひとりの主人公として、津波で家族を失った中年の薬剤師をリリー・フランキーが好演している。彼は上京し、東京の薬局で働きながら、がらんとしたアパートでひとり暮らしている。彼の数すくない楽しみは女川のラジオを聴くことで、ときにリクエストのはがきを送り、それは主人公の高校生に読み上げられ、2人の心は遠い距離を超えて響き合う。

ドキュメンタリとドラマと描き方は異なるけれども、この2つの作品はとても近いモチーフを持っている。そして両作品とも同じように、観ている私たちの心を激しく揺さぶる。

両作品が描いているのは、メディアの原始の姿としてのラジオというありかただ。

新聞・テレビ・雑誌・ラジオという4つのメディアは「4マス(よんます)」という言い方をされる。4つのマスメディアという意味だ。19世紀ごろから普及してきたマスメディアは、大量の情報を多くの人に一斉に送信し、世論を動かし、さらには第4権力とまで言われるようなパワーをもつようになった。でもメディアはもともと、もっと土俗的で伝承的なものだった。世界が村ごとに閉ざされていた時代に、情報のない村に異国の話を届ける旅人のような存在が、メディアの原型だったのだ。

情報を発信し、それを受信することは、単なる伝達ではなかった。それは同時に発信者と受信者とのあいだのコミュニケーションであり、心の共鳴であり、そして互いがつながり新たなコミュニティをうみだすことでもあった。とても動的なものだったのだ。伽藍のような巨大構造物としてのマスメディアは、進化のなれの果てでしかない。

その伽藍の屋根と装飾が剥ぎ取られたときに、メディアの原始のありようが姿を現してくる。震災後の被災地というとても極限的な状況の中で、それは生まれてきた。

だから私たちは、そのかよわくはかなげで、でもとても親しみやすい「民族伝承」のようなラジオの物語に強く惹きつけられるのだ。

巨大装置を通じてではなく、メディアを介在してだれかとつながりたいという本能的欲求が揺さぶられるのだ。

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花岡慎也

3.0語り手「僕」は誰?

2012年8月5日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:試写会

幸せ

ガレキとラジオ。韻を踏んでいるわけではありませんが、なかなか語呂がいいです。けれどもこの映画、ガレキ撤去の話でも、ラジオ番組の話でもありません。あえて言えば、南三陸町に住む人々、一年間のスケッチ(実際には、ラジオ局が開設されていたのは5月からの十ヶ月。)。確かにラジオ局の人々が登場しますが、彼らは、記者、アナウンサー、ミキサー…という以前に、「町での暮らしを続けようとする、ごく普通の人々」でした。
映画の中では、大事件が勃発したり壮大なプロジェクトが展開したりすることはなく、むしろ淡々と日々は過ぎます。働き、家に帰り、食事をする。ときには喜び、驚き、泣き、笑う。(そんな当たり前の生活も、3月4月はままならなかったわけですが…。)描かれるのは、津波が奪った様々なものと、津波からのそれぞれの歩み。端的に言えば、震災後、繰り返し報じられてきた様々なエピソードから、大きくかけ離れたものはありません。けれども、そんなところが温かみとなり、無用な心のささくれは増えないだろうと安心感を持てました。
ごく個人的な問題(もしくは感傷)ですが、あれから一年の経過を待つようにして、関連の本や映画が大放出されている現状に、複雑な気持ちを抱いています。目にすると手に取り、観てみずにはいられないのですが、読むと、観ると、違和感が残るのです。そこに示されているものは一局面に過ぎないとわかっているのに、自分まで束ねられて枠にはめられたようなもどかしさを感じ、うまく距離を置けない自分に戸惑います。(「ダークナイト ライジング」さえも、隔絶されていた震災後の一ヶ月弱の日々が思い出され、生々しさを感じました。)そんな中、声高な告発や熱烈な力こぶしのない本作は、気負わず素直に、ゆったりとした気持ちで観入ることができたのです。
当時は、いかに裏打ちのない前向きさが巷に溢れていたか(言い換えれば、いかに求め、必要とされていたか)を改めて感じました。失ったものに目を向ければきりがなく、先行きは見えない。それでも日々を積み上げていくには、「やるしかない」「きっとなんとかなる」という思いが必要でした。とはいえ、こぶしを振り上げ、気合いを入れて…などという頑張りはとても続きません。「大したことないんだ、だからなんとかなるんだ」と思い込むには、どこかへらへらと脱力した、いい加減さと紙一重のような適当さが必要だった気がします。情けなくて笑うしかない、開き直りにも似た気持ち。そんなことをふと、思い出しました。
ところで、終始ひっかかったのは、本作の語り手「僕」はいったい誰なんだろう?という点です。ラジオ局のメンバー?作り手である監督?リスナー代表?…いずれも、どうもしっくりこない…。
観終わった直後に、はっとしました。「僕」は、ガレキから拾い上げられ再利用された、ラジオ局のパイプ椅子では?と。なるほど、それなら「ガレキとラジオ」、ぴったりです。役所広司のゆったりとした語りは、人間を越えていましたし。…ですよね?

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cma