桐島、部活やめるってよ : 映画評論・批評
2012年7月31日更新
2012年8月11日より新宿バルト9ほかにてロードショー
格差社会の縮図としての高校生活を冷酷かつリアルにすくいとった作品
一見、穏やかな週末の金曜日、バレーボール部のキャプテンで学内の人気者の桐島が部活をやめたというニュースが学校内を駆け巡る。桐島とは誰なのか。映画は、その金曜日のエピソードを、キューブリックの「現金に体を張れ」以来、お馴染みとなった、主要人物の視点を変えて何度も反復するスタイルで描き出す。その巧みな語り口によって、浮かび上がるのは、ありふれた高校生活の中で、帰宅部と運動部、文化部などさまざまに細分化されたグループによってゆるやかに形成された不可視なヒエラルキーの存在である。
たとえば、桐島に象徴される<上位>グループと、ゾンビ映画を製作しているオタクな映画研究部に代表される<下位>グループは、同じクラスメートでもまったくお互いに眼中になかったりする。ただし、さりげない科白、眼差し、身振りを通して、彼らが密かに抱えている恋愛、欲望、友情、反目、嫌悪などのエモーションが垣間見えるだけだ。格差社会の縮図としての高校生活のディテールを、これほど冷酷に、リアルに、微苦笑をもって繊細にすくいとった作品は、近年、稀だろう。
その虚の焦点である桐島の不在がきっかけで、上位から下位に至るグループが三つ巴となり、束の間、学校の屋上が、祝祭空間へと変貌するクライマックスは、自主映画世代ならではの稚気溢れる映画愛の噴出として永く記憶されるだろう。
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で才気のきらめきを見せたものの、その後低迷気味だった吉田大八監督は、本作で紛れもなく<大化け>したといっていい。
(高崎俊夫)