マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙のレビュー・感想・評価
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ラストシーンが印象的。
気が強くて、
男社会の中にいても、
物怖じせず、
ガンガン主張をぶつけるマーガレット。
しかし、もともと強かったというのではなく、
強くならざるを得なかったのかも知れない。
物語の割と最初の方で、
「ティーカップを洗ったりするだけの人生なんて、耐えられない。」
そうはなりたくない、だから自分は世界を変える、
首相に立候補するんだ、と後の夫に訴えて、
そんな女でいいのか、というプロポーズに対する返答だったのだけれど、
その、耐えられない人生だといった行為のラストシーンが、
なんだか物凄く印象的だった。
夫を亡くし、夫が幸せだったのかどうかが気になり、
自分が耐えられないと思っていた行為こそが、
本当は幸せだったのではないか・・・と、
もしかしたら後悔してしまっていたのだろうか。
だけど、間違いなく世界を好転させたのも、
彼女だったのだろうと思う。
信念を貫いた女性の生き様
とても良かったです。
在任中の政策に対して賛否両論ある方ですが、間違いなく女性の社会進出に貢献した人物と言えるでしょう。現代の働く女性にも勇気を与えてくれる作品です。
亡くなったデニスとの対話がとても切なく、政治家としての信念を貫いた事で希薄にならざるをえなかった家族との関係、過去と葛藤するマーガレットの姿がなんとも言えず涙しました。
最後に1人洗い物をするマーガレットのシーンは、プロポーズされた時デニスに語った言葉と奇しくもマッチしてなんだか深いなと思いました。
老いゆくことと衰えないこと
予告全部見たらとても長かったです。飛ばすことをお勧めします。
賛否両論あるとは思いますが、どんなに素晴らしい人でも老いていくことには逆らえないことを表してるところがなんともリアルに思えました。いい映画だと思います。
男性社会の中に一人堂々と入っていき女性の社会進出の道を開き、老いゆくも、若かりし頃の野心と恋する心、そして自分の信念を忘れていないサッチャーに女性なら誰しも憧れることでしょう。
考えが言葉になり、言葉は行動に、行動は習慣に、
習慣が人格になり、人格は運命を形作る。
Watch your thoughts; they become words.
Watch your words; they become actions.
Watch your actions; they become habits.
Watch your habits; they become character.
Watch your character; it becomes your destiny.
この言葉がとても心に響きました。どんな気持ちでいるかではない、何を考え何をするかが大切だと教えてくれるそんな映画でした。
人は誰も自分の脚で立つべきだと思います。
映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
(フィリダ・ロイド監督)から。
まだ、英国の教育大臣にも首相にもなる前、
父親の影響で議員を目指し、初当選した頃のコメント。
「人は誰も自分の脚で立つべきだと思います。
もちろん助け合いは必要よ。
でも自分で立てる人は立って行動すべきです。
泣き言を言うだけでなく、問題と取り組み状況を変えなければ・・
どこにでも通じることです」
う~ん、いいこと言うなぁ、とメモが増えたのは言うまでもない。
そして、1979年に英国初の女性首相、その時のスピーチは
「では一言だけ・・」と前置きをして、
「私は英国国民が私に託して下さった信頼に応えます。
争いのあるところに、調和をもたらそう、
過ちのあるところに、真実をもたらそう、
疑いのあるところに、信仰をもたらそう、
そして、絶望のあるところに、希望をもたらそう」
今の日本の政治家に聞かせてあげたい台詞だった。(汗)
「鉄の女」の異名を持つ彼女の孤独感も描かれているが、
リーダーは孤独なものだから、敢えてとりあげないことにした。
フォークランド紛争時「信条を貫くかどうかが問われているのです」と
呟いたあと、(アルゼンチン艦隊を)「沈めて・・」とゆっくり、
そして低いトーンで指示を出したシーンも、印象的であったなぁ。
有事の時こそ、リーダーの資質が問われる・・さすが「サッチャー」。
孤独
一国の首相になるような人は、やはりこれぐらい孤独なんだろう。
そんな中でも底抜けに明るく、奔放な夫は、マーガレットにとって
この上なく大きな存在だった。
それが、認知症の症状が出てきている現在、幻覚として表れているんだろう。
次々とマーガレットの前に現れる試練、問題。
それに目をそむけず、ひとつひとつ決断し、実行していく。
そんな妻にそっと寄り添う夫。
自分の中では、そんな二人の様子がとても印象に残りました。
「茶碗を洗っているだけの人生には耐えられないそれでもいいの?」
「そんな君に恋したんだ」
二人のプロポーズの時のこの会話。
自分もそんな風に言ってみたい。www
デニース!!
物心ついた頃にはサッチャーさんが英国の首相だったので、
彼女の顔はよく覚えている。鉄の女^^;確かにそんな風だった。
その後彼女からメージャーに交代した時、エっ?なんで男?
なんて思ったほど(爆)男らしい決断力に溢れた女首相だった。
でもちょうどこの頃って、米ではレーガン、日本では中曽根、
新自由主義や大規模な行政改革で政治が湧いていた時代。
ソ連にはゴルビーもいた頃だ。この人は今でも好きだなぁ^^;
とはいえ、政治のことは今ひとつよく分からないので、
今作で勉強が出来る!なんて、辛くも目論んでいたのだけど…
そういう作品じゃなかった。
確かに今作、M・ストリープの素晴らしい演技とメイクが
堪能できる作品だが、物語の構成や脚本が面白い訳ではない。
彼女の政権時代をもっと詳しく見せるのかと思っていたら、
現在の彼女の回想、という形で語られるのがほとんどなので、
夫や子供を含めた家族の話、自身の過去や父親との想い出と
いった感じのファミリー要素が強く(確かにそれもアリだけど)
妄想や幻想を含めて行ったり来たりするので入りづらい印象。
彼女の人となりはその言動を含めて分かり易いのだが、やはり
アイドルじゃないから(すいません)人物に奥行きが出ないのか…
メリルの名演技を持ってしても今ひとつ、このサッチャーさんの
真の魅力が描けていない(魅力がないとは決して言いませんが)
そんな感じ…。政治家に感情移入できるかどうかなんて、
どこぞやの映画とは違うんだから^^;ナンセンスもいいところだが、
これだけ家族の話を持ち出しても、素晴らしい伴侶に巡り逢えて、
彼女は幸せだったわねとか(今まで亡霊がついててくれたわけだし)
娘も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる…ことしか浮かんでこない。
父から培った彼女の信念は、政治改革に反映されたとは思うが、
大きく祀り上げられた後、今度は台座から引き摺り下ろされるのが
かつてのある女性政治家を見ているようで、あまりに哀れだった。
まぁでも12年…。長きにわたって活躍したのだから、すごいけど。
しかしメリル…^^;すごい女優さんですねぇ。
周りは英国人俳優ばかり、その中で首相役をやっちゃうんだから。
思うに彼女の旦那さん(彫刻家)もかなりの理解者であるらしく、
デニス同様^^;、よき伴侶ありきのこの仕事ぶりということですね。
確かな才能も、それをより際立たせてくれるものが必要なので、
サッチャーさんも(まずこの名字がいいですねぇ)容姿から声質まで
ガラリと変えて、見事に当選!でもちょっとその、
高音でギャーギャー喚いていた頃の彼女も見てみたい気がする^^;
(丸○珠○みたいな感じか?)
現在は認知症で苦しまれているそうだが、
娘さんがついているようだし、何より周囲に恵まれた人だと思う。
鉄の女も涙を流せば、やがて錆びるのか。でもそれが人間よね。
(デニース!!あの威厳ある低い声がこびりついて離れません^^;)
錆びてから振り返る鉄の女の強さと弱さ
『英国王のスピーチ』『クイーン』etc.現代英国史の偉人の生涯を綴る映画は数多く、今作もその仲間だが、大きな特徴は、主人公は既に引退し、脱け殻のような状態で自身を振り返っている事だろう。
サッチャーってぇっと、やはり“鉄の女”の異名の相応しく、フォークランド紛争や大不況、ストライキ、IRAの無差別テロ、与党の裏切りetc.様々な強敵に対し、断固として屈せず、闘志を貫いたタフな現役時代を誰しもが思い浮かべる。
ゆえに、亡き夫の幻影と会話し、未だに国会へ向かおうとし、家族を困惑させる認知症が進んだ彼女の成れの果てはさすがにショックだ。
しかし、老いぼれながらも、必死に過去の我が身を思い出し、自問自答する脆さが、長年打ち明けられなかった彼女の苦悩を素直にさらけ出してくれるので、弱さが人間的な魅力と変化して伝わり、興味深かった。
フォークランド紛争に象徴されるように頑なに妥協を拒み、戦う意志を貫いた裏で、眠れぬ夜に独りもがき苦しんでいた日々は、彼女にのしかかっていた重圧を色濃く物語っている。
掛け替えの無い家族さえ犠牲にし、長年、孤独に蝕まれた末、トラウマと化す。
痴呆が進行した今の彼女を捉えてこそ、ワンマン←→臆病者の心のラリーが客に渡来してきたんだと思う。
後半から症状が悪化するため、全盛期の彼女の言動が、幻覚によるものなのか、忠実に事実に遡っているものなのか、うやむやとなってしまうのが、残念だが、単に自分の勉強不足だからと一蹴したら、それまでである。
最後に短歌を一首
『鉄の幕 今も降ろさず 蝶の意地 噛んで悔い無し 荒波のあと』
by全竜
今一番日本の政治に足りないものが、この映画にある
しょぼくれた老婆が牛乳を買う所から話は始まる。
いくらサッチャーの映画と知っていたって
「えっ?これはないっしょ?」ってびっくりする。
これはいつ?何が?どうなって?
軽く混乱を覚える。
場面は次に夫であるデニスとの朝食シーンにつながる。
夫卵料理をふるまうシーンで、
「意図的なワンショット」が入り
ああ。「今」のサッチャーなんだとわかり愕然とする。
(ここは丁寧にみてね)
そして話の中で往年のサッチャーと
今のサッチャーの悲しき交錯が始まっていく…。
サッチャーと聞いてすぐ「鉄の女」「冷戦時代」を
思いつく人には非常に懐かしくて、
そして非常に物悲しさを誘う。
この映画の評価の分かれ目は40代以降か否か…かもしれない。
なぜなら「彼女の圧倒的強さ」を生で見てきた人にとって
この映画は「懐かしさ」であり、
そして自分にも迫り来る、老いという
「しのびよる脅威への警告」でもあろう。
もちろん20代、30代は面白くないとは言わない。
ひとつの英国史を築いたひとつの伝記であり、記録として
ここまで「強くて賢い女」の生涯は映画の中からだけでも
十分うかがい知れることはできるだろう。
しかし、もしこの映画をみて日本の甘たれ女性議員が
「私にも通じるわ」みたいな自分に重ねあわせることを言ったら
それは勘違いもはなはだしい。(絶対いるだろうけど)
彼女たちは
足元をすくわれないだけの圧倒的知識も
男性と渡り合って論理的な思考で論破できる答弁力も
国の生死を分かつような決断力も
自分が火達磨になって改革を推し進める覚悟も
持ち合わせておらず
或いはバターの最安値を知ることもないかもしれない。
国民を決して甘やかさない「鉄の意志」を政界に持ち込んだ
往年の彼女が今、日本にいてくれたら。。と切に思う。
「最近の政治家は【何をすべきか】ではなく
【どう見られるか】ばかり考えすぎる。
という劇中のサッチャーの言葉に心から共感する。
日本人は例え領土内に外国船が入ってきたとして
「遺憾に【思う】」ことはあっても絶対的な対抗手段を【考える】ことをしない。
ふらふら、のらりくらり「いい人」を演じてきた結果が
今の借金まみれ大国、なめられまくり大国というトホホな結果。
そしてそれは議員がいつだって「良く見られたい」と思っていたからかもしれない。
今自分が憎まれたって、私たちの次の世代、次の次の世代に必ず良いこと。
そんな風に自分を盾に出来るのは、憎まれても正しさを押し通そうとするのは
実に「わが子を守ろうとする感覚」であって
国を愛する心と我が子を愛する心は似てるのかも知れないって思った。
最後に、この映画を見て感じたこと。
この映画を見るなら断然、字幕!と改めて思った。
近い将来地上波でも放映されるかもだけど
日本人の女優が吹き替えでもしてしまったら
この映画の魅力は半減するだろう。
メリル・ストリープの圧倒的・女優魂が
見る者の心を、作品にのめりこませる。
この映画で第84回米アカデミー賞の主演女優賞を取ったのも納得。
首相になっていく過程で彼女の声質が変わる。
甲高い声はヒステリックな印象を持つと周囲からアドヴァイスを受け
「知的な声」を、サッチャー自身が作り上げていく。
だから、まずは前半彼女のキンキン声をきちんと堪能しよう。
そして後半の変貌ぶりを見た時、彼女の演技力のすさまじさを思う。
老婆の歩き方、小刻みな手の振るわせ方、唇の動き
足元から爪の先までが「サッチャー」そんな印象を持った。
個人的に好きだったシーンはダンナサンのプロポーズのシーンかな
「(君と結婚することで)僕は幸福になれる」
そんな謙虚なプロポーズが出来る男性は中々いないよね、胸にしみた。
そして、この言葉は後になって
ずっとずっと彼女を苦しめていたかもしれないなって思う。
強く正しくあることは
決して「人を幸福にする」こととイコールではないから。
心にしみた。
できればもう一度見たい作品。
ふんふん、そうなんだぁ~
マーガレット・サッチャー元英国首相。在任期間は1979~90年だから、当時を記憶しているのは私を含めて40代後半以上だろうか。
米国ではレーガン、日本では中曽根ががんばっていたあの時代。
それはよく再現されている、さすがに…。
さて、サッチャー氏は現在86歳で存命ながら、認知症でおそらくご本人は夢うつつの中を生きている。
それを映画は、彼女の20代、宰相時代、そして現在とオーバーラップしながらひとつの時代を描く。
それはそれはうまくまとまっているし、イギリス英語を話すストリープのまさに熱演で訴えかけてくるのは、よくできた映画だ。
しかし、全体に、サッチャーその人自身の内面が描けているようで、描けていない。
男女の双子の母親でもあった彼女だが、なんとなく子供に苦労させられたというのは伝わるが、その点はほとんど描いていない。
首相、政治家として生きた部分がメーンになるのは当然だが、どうにも存命中の大物に監督(マンマミーアを撮った女性監督)は遠慮してるんじゃないか、と感じた次第。
もっともっっと、過剰に生々しく描かないとドラマとしてはガクガクブルブルさせるものは伝わってこないのだ。
ストリープの名演は、オスカー最有力とも言われているが、同じ彼女の主演作でいえば、2009年公開の「ジュリー&ジュリア」のほうが、おもしろいと思う。こちらもストリープは実在の人物を演じていたが、のびのび演じていたしね。
役者メリルストリープの脱帽
映画「THE IRON LADY」邦題「マーガレット サッチャー鉄の女の涙」を観た。
鉄の女と呼ばれた元英国首相マーガレット サッチャーをメリル ストリープが演じた。声、発音、イントネーション、スピーチ、顔つき、歩き方やしぐさまで、全くそっくりで本人と見分けがつかない。これで、今年のアカデミー主演女優賞は決まりだ。ストリープが受賞するに違いない。
ストリープは、サッチャーが保守党党首に立候補するころの若い頃から 現在86歳のアルツハイマーを発病して足元がおぼつかない姿まで、本当に迫力のある演技を見せた。顔の大写しが多いが、しわだらけの化粧の技術も巧みだが、年寄り独特の不随意に動く口元や 震える手など本当に本物の年寄りとしか思えない。ストリープはすごい。怪物だ。女版、ロバート デ ニーロと言われている。役を引き受ける前に、役について徹底的にリサーチして完全に役柄になりきることに努力を惜しまない。アカデミー女優賞のノミネート16回と女優では最多。ゴールデングローブも 26回ノミネイトされ、6回受賞している。
1985年「愛と哀しみの果てに」(原題アウト オブ アフリカ)では、デンマーク人のアクセントで デニッシュイングリシュを駆使してロバートレッド フォードの相手役を演じた。2005年「マデイソン郡の橋」では、イタリア語なまりの英語でクイント イーストウッドの相手をしていたし、2008年には、59歳で、「マンマミーア」で、アバのまねをして10センチも高いヒールで飛んだり跳ねたり歌って踊ってみせた。
でも私が一番好きなストリープの作品は、1982年の「ソフィーの選択」だ。原作ウィリアム スタイロンの小説も良かったが、映画も素晴らしかった。 この映画で彼女はポーランド語を習得して、ポーリッシュなまりの英語に徹し、ナチズムに翻弄される女を演じてアカデミー主演女優賞を受賞した。映画で、ナチスに5歳の息子か3歳の娘か どちらかを渡すように命令されて、殺されるとわかっていて娘を渡した。その罪悪感と後悔に責め立てられて、共に死んでくれる相手を求めていた恋人と自滅していくしかなかった哀れな母親の役で、心理俳優として、名実共に認められた。
「マーガレット、、」では サッチャーが下院議員選挙に初めて立候補して落選する25歳のころから 結婚し、保守党党首となり 辞職して現在に至るまでの日々が描かれる。はじめは、女性の社会進出を願い、尊敬する父親や理解ある夫の強力を得て、弁護士から下院議員になる。そうしているうちに、次々と与えられる課題に突き当たって やがて11年間もの間 首相を務めることになる女性の意志の強さに圧倒される。そんな鉄の女が、家庭思いの夫を心のよりどころにする 普通の女で、年をとってもハイヒールを履いてきちんと化粧をする。外出時にはきちんと帽子を被る、そんな頑固な女性の意地の強さも立派だ。立派に彼女なりのスジを通したが、首相としては庶民にとって、決して良い首相ではなかった。
経済自由主義の信奉者だったサッチャーは、電話、ガス、空港、航空、水道などの国有企業を規制緩和し、民営化し、労働組合を潰し、法人税を値下げし、消費税を8%から15%に引き上げた。インフレを抑制するためにイングランド銀行に大幅な利上げをした。教育法を改革し、学校の独自性を認めず全国共通の教育システムを強制、教科書も一本化しテキストから「自虐的」人種差別や、植民地支配の歴史を抹消、改正した。医療制度を改革し、健保受給者を減らし 病人、身障者を切り捨てた。失業者を増大させ、貧富差を広げ、社会不安に陥らせた。
彼女ほど保守派政治家が政権を取ると、いかに権力者、資本家、経営者が肥え太り、庶民が窮民に陥るかを 絵に描いたように明確に見せてくれた首相は他に居ない。また、確たる理由もないのにアルゼンチンと戦争を初めて国民の愛国心を煽り、扇動することで首相の支持率を過去最高の73%にまであげるという実験をしてくれた。1982年南太平洋フォークランドでアルゼンチン軍攻撃の件だ。このことで、国内の失業者上昇、IRAとの摩擦、貧富差の拡大などの問題から国民の目をそらすことに成功した。
1980年代は、サッチャーの信奉する新自由主義という妖怪が 世界で跋扈した。自由な市場に任せておけば すべての経済活動は解決するとし、「生産性に応じて報酬がもたらされる。」と考える新自由主義は、2008年リーマンブラザーズの経営破綻が金融システム全体を崩壊させたように、理論的にも現実的にも破綻している。
資源に限りがある以上、経済成長をし続けなければならない自由主義経済を維持することは不可能だ。そのような中で 政府に求められるのは雇用を管理し、金融の安定を維持することだ。市場経済を金融企業に自由に増長させるのではなく、市場経済を管理しなければならない。
現在のギリシャに始まりイタリアやその他の国に飛び火しているユーロ危機は、ユーロのそれぞれの国の租税システムや内政に干渉できない結束では、結束そのものに限界がある。強いドルに対抗してユーロが出来ても 参加国が増えすぎて、いったん問題が噴出すると、借金を借金で返済していくしかない現在の解決方法では、ドイツやフランスに債務危機を解決できるとは思えない。
また、米国など、消費支出の37%が上位5%の高額所得者によって占められているが、このような貧富格差社会では、今後失業者が減り、景気が好転するとは思えない。
八方塞りの経済情勢のなかで、いまになって、やっぱりマーガレット サッチャーが良かったみたいな 彼女のような強い指導力が再評価される流れが出てくるとしたら、それは間違いだ。彼女の時代を懐かしがるのは、余裕のある金融企業家や資本家だけで良い。
女性の地位向上に貢献したことでサッチャーを評価するが、その経済政策が、たくさんの失業者をどん底に突き落とし、無数の自殺者を出したことを忘れてはならない。
映画は、映画として、とても良くできている。
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