メランコリアのレビュー・感想・評価
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劇場メランコリア。
久しぶりに途中退席をする人の数を数えてしまった作品。
いや、まぁ想像はしていたけど、爆睡過多になる可能性が
かなり大きいことは言うまでもなく…^^;
劇場内はいびきとお菓子袋の音しかしない(スクリーンが静か)
という、異様な静けさ&煩さだったけれど、身体がダルくはない、
(それは、寝てたからだろう!というご指摘、ごもっともです)
ただ劇場サイドに申し上げたいのは、今作をプレミアスクリーン
にて午後の回に上映するのは、いかがなものかと思いますよ。
さぁ~♪眠り~なさい~♪を助長している、と思うんですが…。
惑星メランコリア。
だいたいこのネーミングからして「憂鬱」になるでしょう…^^;
(梓みちよが頭の中でグルグル歌い出しちゃって、これがまた)
監督がそうだったから、こういう作品ができたの。はいいけど、
なんていうのかな、とても正直に描かれ過ぎてついてゆけない。。
異常が正常に戻れる世界が「滅亡」だ。という、かなり心理的な
メッセージが込められているのだが、強すぎるんだわ。病素が。
主人公の行動(家族のも)がいちいち気に障り、進まない展開に
眠くなってきて、ハッと目が覚めてもダンストのアップ。なんだぁ、
さっきから進んでないじゃんと思っていると、また眠くなるという…
どのくらい時間が経ったのかを尋ねたくなるダンスト感。
彼女がニガテ~っていう人は、目覚めが彼女ですから、要注意。
ただこう言っちゃ本当に失礼なんですが^^;
このメランコリックな表情を醸し出せる稀有な顔立ちかもしれない。
一番かわいそうなのは新郎だと思っていたけど、
あの人もダンストに、突然土地を買って、押し付けてましたね。
何しろ登場人物、父親も母親も姉も皆おかしい。
いや、姉はまだイライラしながらも、頑張っていた方なのか…。
いよいよ、という時になって夫はああいうことになるし、子供を
抱えて彼女も神経が参ってしまうワケですね…切に耐えた方が
追いつめられ、鬱に苦しんだ方が解放されるという、この矛盾…
でも運命って、正しい。間違っている。じゃないしなぁ。。
今作で、地球に惑星が衝突して滅亡する。というのは設定上、
心理的外傷を負った人間には、そのくらいの衝撃が加わらないと
すべてにおいて解消されないという、比喩みたいなものなのかな。
世界が滅亡するのにあの家族だけが対象となっている描き方も、
そもそもかなり狭い世界観の中で起きている事象であるという、
この世の終わり。なんていう台詞を個人的に言ってしまう概念。
心を病んだ人間には、どうにかして改善が望まれるだろうが、
それは個々の心理環境に基づいており、他人には計り知れない。
だけどそれだけ大きな不安に苛まれているから、もうそのくらいの
衝撃じゃないと「屁」でもないワケよ。とダンストに言われてるような。
どうして観ているこっちがこんな気分に!?そう思って
トイレに立ったアナタ、出ていかれたアナタ、帰ってしまったアナタ、
自腹料金を解消できなかったことで、メランコリーになりませんよう。
(可哀相な馬たちの、可愛い顔が目に染みる。しかし豪邸だったなぁ)
たいくつでした。
最初の映像は見ごたえあったよ・・・でも長い。
結婚式のシーン、花嫁が他人とアレしたりゴルフ場でアレしたり・・・長いな。
お姉さんが主人公のパートはお姉さんが右往左往するところがまあまあ・・・でも長い。
おっぱいに、0.5点足し。
まいった。。。
究極の場において
皆さん、こんにちは(いま2月19日8:45頃です)
究極の場において、人間はどんなことを思い、
どのような行動を起こすのか?
この映画はそんな思考実験を強いているのだと思う。
①その場において、家族よりも自分のことを優先してしまうひと
②その場において、最後の最後まで受け入れられないひと
③その場において、ナチュラルにありのままを受け入れるこども
④その場において、初めは鬱状態になるけれど、次第に受け入れるようになるひと
あるいは
⑤冗談じゃない、こんな映画に思考実験されることを受けれない人
それにしても、主演のキルステン・ダンストっていう女優。
スパイダーマンを見たとき、なんでこんな不細工な女優がヒロインなんだ
と思ったけど、どこかひっかかるところがあったのを思い出す。
そのひっかかりが、この映画でも十分発揮されている。
思いっきりブスにみえたり、抱きしめてあげたいほど可愛くみえたり、
天使のようにつつみ込まれたりとか。確かにいい女優だと思う。
このキルステンとラース・フォン・トリアーって全く結びつかなかったのだが、とてもいい感じでコラボレーションしていると思った。
トリアー監督は前作「アンチクライスト」では、大きく裏切ったのだが、
この「メランコリア」では、期待以上の作品を(僕に)提供してくれた。
とにかく、最後の場面を美しいと感じられるかどうかが、
この映画の賛否を決めることになるのではないか?
見る者によって違う惑星メランコリアの正体と解釈
地球と巨大惑星メランコリア。ふたつの天体の軌道が重なる。前途を失う馬と人間。狂いだす磁場と重力。本篇に先がけて超スローモーションで描かれたプロローグは圧倒的な美しさをもつ。サウンドはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』のみ。荘厳で且つ切なく響き渡る。
本篇は、ふたつのパートに分かれ、姉妹の名をサブタイトルにして語られる。
豪華な結婚パーティーで祝福を受けながら、ジャスティンの心は塞いでいく。マリッジブルーなのか、それともメランコリアの接近のためか?
はたして、この作品における巨大惑星の接近は現実なのか、それともジャスティンの心の鏡なのか、どちらにもとれる。
そもそも、あのような惑星が恒星を周回する軌道から外れて、この太陽系にやって来るというのは現実的ではない。あの惑星もまた、同じところを周回することに疲れ果て、ジャスティンのように現実から逃避してきたのであろうか。
ジャスティンの指先から光が空に向かって抜けていくさまは、概念や慣習といった社会のしがらみから心が開放されていくようだ。
ジャスティンの姉クレアは、結婚パーティーに遅れてきた新婦である妹をたしなめる、極めて常識的な女性だ。夫は富豪であり、執事を置くような豪邸に住み、賢い息子にも恵まれ何不自由ない。妹の不調に一定の理解を示すが、夫や招待者の手前、妹の無礼ともとれる言動に怒りを覚える。
冷静で、賢妻・賢母のクレアからすれば、妹は勝手な人間にしか見えない。つい思い余って吐く。「時々あなたのことが憎たらしくなる」
いよいよ、さまよえる巨大惑星メランコリアが地球と衝突する危機を迎える。地球の最後かもしれない日、人は何を思うのだろうか?
ジャスティンは、静かにその時を待つ。何もかも放出して本来の姿になったかのように、慌てず落ち着き払っている。
対して、良識ある人生を送ってきたはずのクレアは、失うものの大きさにうろたえる。安定した世界に浸る心地よさを奪われる苦しみに耐えられない。
ジャスティンとクレアの魂が逆転する。
ジャスティンがクレアを優しく包みこむ。
再び、クレアが洩らす。「時々あなたのことが憎たらしくなる」
メランコリアとは人間を試すために現れた宇宙の“意思”なのかも知れない。
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