華麗なるギャツビーのレビュー・感想・評価
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華麗なる虚栄
1974年のロバート・レッドフォード版は見ていないので、ストーリーも、こんな内容だとは知らなかった。
第一次世界大戦後の1920年代。
アメリカ東部の上流階級社会。
豪壮な大邸宅で、毎日のように盛大で派手なパーティを開く謎の男、ジェイ・ギャツビー。
彼が何者なのか、誰も知らないが、 上流社会の人々が勝手に集まる。
そんな彼の隣の元管理人の家に住むニック。
そんなニックに、ギャツビーからパーティへの招待状が届く。
実は、貧しい育ちのギャツビー。
挫折をバネにして、貧しさから這い上がり、お金で物を言わせられるまでになる。
そんな彼の純粋な愛。
過去に執着して、夢を追う男ギャツビー。
宝石と絹で着飾った美しい女デイジー。
浮気な夫に悩むが、安定した生活は、なにがあっても手離せない。
物は充分にあれども、心は飢えている。
富豪の家に生まれ、遊び三昧の生活のデイジーの夫。
女グセの悪さが、とんでもない悲劇を生みだしても、悪びれることもない。
対岸のデイジー家の緑の光は、ギャツビーにとって何としても手に入れたいデイジーそのものだった。
ニックは、そんな彼らを憐れんでいたのだろうか。
煌びやかで、豪勢で、贅を尽くしたようなドレスに宝石、そんなパーティは、人々の空疎な心の裏返しか。
やがて来る世界恐慌をも予感させる、空虚さ・もの哀しさ。
バブルから経済危機を迎え、なお不安定な現在の日本。
似ているのが、また悲しい。
74年版より好きだ
1974年にロバート・レッドフォード主演で映画化されて有名だが、ギャツビーと上流階級の女性・デイジーとのロマンス、そしてそれにまつわる愛憎劇が絡み、大富豪ギャツビーの正体と目的が徐々に明かされていくミステリアスなストーリーと脚本がよくできた作品だった。今回も99%同じ内容だ。
観る前はこのドラマを3Dにする意味があるのか?と思っていたが、大邸宅の奥行やパーティの臨場感が素晴らしく、独特のしゃがれた低音が鳴り響く音楽と相まって豪華絢爛さが際立つ。洗練されたセットや小道具と衣装、さらに最新の映像技術で創り上げられた世界によって、ギャツビーの華麗なる仮面の引き剥がし甲斐が存分に出る。
ただ、冒頭の短いカット割りの連続とズームの多用は、映画が始まったばかりでまだ目が慣れていないこともあり、大きなスクリーンや前寄りの席では少しキツい。
今回の大きな目玉はキャスティングだ。
74年版も当時の人気俳優を使って話題をさらったが、今回の出演者のほうが総じて線が太い。
ディカプリオの優雅さと荒々しさを演じ分けるギャツビーはもちろんだが、キャリー・マリガンが甘味な恋のなかに女の辛さを滲み出させ、ギャツビーを憎悪するブキャナンのジョエル・エドガートンも上流階級の威厳と傲慢さを放ち風貌が安っぽくない。女性ゴルファー、ジョーダンのエリザベス・デビッキと、整備工場主の妻、マートルのアイラ・フィッシャーは対照的な美しさで魅せる。
そしてなんといってもトビー・マグワイアだ。
マグワイアが演じるのはギャツビーの隣人であり、この映画の語り部でもあるのだが、74年版よりもいっそう存在感が増し、受動的一辺倒でないところが大きい。
打算のないギャツビーに上流階級の人間とは違う魅力を感じ、徐々に彼の内面に惹かれて行くニックをマグワイアは前に出過ぎず後ろにも引かずに表現する。ギャツビーと対等といってもいい立ち位置を確保するあたり、巧い。
一途に一人の女性を愛する男のやり場のない哀しいラストが、このニックによってやや報われ溜飲が下がる。これが、たかが1%されど1%の(74年版との)違いだ。全篇を通して今作のほうが好きだ。
米国の夢と希望、レオ様久々の超純ラブストーリーは切ないが、それだけでは終わらない!
私の嫌いな映画10本の選定には必ず入れたい「オーストラリア」を撮ったバズ・ラーマンの新作。普通の「華麗なるギャツビー」ではないと思っていたが、やはり新解釈ラーマン作「新・華麗なるギャツビー」だった。
1920年代と言えば、日本では大正後期、1923年に関東大震災は起きた。
一方、アメリカでは1776年7月4日に独立宣言が公布されてから僅か150年足らずの時代だ。アメリカでは、正に夢の新天地で産業革命以降の近代化国家建国の理想を打ち立て、野心に燃える若者はギャツビーの様に、ひたすら自由経済の発展の中で走り抜き、その栄華を手中に収めようともがき苦しんでいた時代だろう。20年代はその栄華も頂点を迎えていた時代だ。大恐慌の嵐が来る前の最後の夢の瞬間だ。
このギャツビーが今なお、アメリカでは有名な古典文学として読み継がれて来ているのは、きっとギャツビーが、教育も無く、裸一貫から1代で財を成したアメリカンドリームを体現したヒーローだからこそ、人々は彼の生き方に魅かれるのだろう。ところで先頃映画化された「リンカーン」、この大統領も、その生い立ちが貧しい家庭でアメリカンドリームを体現した男で有る故に、歴代の人気大統領の一人に彼もその名を連ねているのだろうと思う。
そしてこの時代に生きたデイジーは、上流階級のお嬢様の象徴でもある訳だ。そのゴージャスな生活をも含めて、自分の欲望を満たしてくれる男ブキャナンの家柄と財力が、理想の男と言う解釈でちょっと身勝手な超セレブにありがちなエゴ丸出しの生き方が前面に描かれていたのが、前作の映画。
ラーマンはデイジーの生き方、それを今の女性の価値観感覚に少し近づけて描いたのが本作の見所だろうと思う。
NYのホテルで、ブキャナンは、デイジーに自分が出会う前の話はどうでも良いとギャツビーに語る。
ギャツビーには決して知る事の出来ない、ブキャナンとデイジーとの結婚生活が既に有り、その2人で築いて来た結婚生活の総てが愛の無い、嘘の生活と語れないと言う自信と誇り。
そして、デイジーも迷いも有るが、自分自身の生き方を自分の価値観で選択決定し、歩き始めようと自立する彼女の生き方の芽生えが、このシーンでは見えて来る気がした。
ギャツビーはデイジーを迎えに来る事を決意し、その目標の為に、日々汚れた裏社会との交友をも拒まず、ひたすらデイジーとの夢を一人で築いて行く。彼は約束と言うゴールを信じていたので、2人3脚のつもりでいたのだろう。しかし、待つ立場は、現実の生活に潰されそうになり、20年代の令嬢なら当たり前の選択をしたわけだ。元々切なく哀しい待たされる側と待たす側の人間の思考のベクトルの方向が違っている事に気付けなかった、いえ、気付いても、その事を信じたくなかったギャツビーの純愛の悲劇がここに有るわけだ。
劇中何度となく繰り返される言葉通り、過去は繰り返す事は出来ない。過去った過去を取り戻す事は出来ないと言うフィッツジェラルドの言葉を体現して、74年の作品とは似ていても異なる、現代版「新・ギャツビー」をラーマンは今ここに完成させた理由があるように思う。それ故に、音楽も、当時のジャズの数々を再現するのではなく、今のテイストをミックスさせている。
アメリカ社会も、過去から呪縛を解き放ち、袋小路にハマった今迄のアメリカ社会の価値ではない、新たなアメリカの生き方を模索して行くべき時代を迎えているのではないか?と示唆しているのではないだろうか?正に時代は、温故知新のターニングポイントに差し掛かっているのかも知れないと感じさせる作品だった。
嫌いだったバズ・ラーマンに脱帽!
印象が薄い。
ディカプリオが繊細と純粋を力強い虚飾で体現。
何とも虚しくて悲しいギャツビーの生き様に溜め息。
とはいえ、
豪勢な美術で散りばめた雰囲気作り、
パーティの喧騒ばかりが際立っていて、
人間の感情の機微が弱く感じた。
自由と愛を貫いた奥深い文学世界が伝わらず消化不良。
うたかたの欲望と若さの有限がやるせない後味を残しがら、
教訓めいたものばかりで辛気臭い余韻となって幕を閉じる・・・。
レオ様もう少しだけ
レッドフォードの1974年のはギャツビーの立場で観た。ミア・ファローめ、なんて勝手な女って恨めしく思った。
でも今回は気づけば、キャリー・マリガンのデイジーの立場で観ていた。
「楽しかったわ、でもそろそろ潮時ね」って。
何故だろう?
昔の恋が諦めきれず、いつか彼女を手に入れようと、がむしゃらに生きてきたギャツビー。
どんな風に彼が頑張って来たかが軽く流す程度にしか描かれないのが、とても残念。彼の物語を書くトビー・マグワイアは解るったようだが、観ている方には伝わらない。
彼の魅力。彼の野望。もっとギャツビーに肩入れさせて欲しかった。
マスコミからレオ様とはもう呼ばれなくなったディカプリオ。
だからこその演技が良い。デイジーの住む向こう岸に手を翳す背中のシーンは、脆くて切ない。
レオ様…もう少し、もう少しだけ痩せてたら…たとえデイジーは去っても、私は側にいたのだけれど。
雰囲気重視
私はこの映画の原作も読んだことがなく内容情報もCM予告以外無い状態で鑑賞しました。
やはりパーティシーンの豪華絢爛で華やかな様子は観ていてとても楽しかったのですが、予告でこの映画が気になって鑑賞した方は期待していたものとは違うのではないかなと思います。
もっとあっと驚くようなドンデン返しやミステリーチックな構成を期待するのではないかと…
あちこち気になる点やもっと掘り下げて欲しい点がありちょっとモヤモヤしました。
でもディカプリオ演じるギャツビーのミステリアスででも人間らしい性格ややコミカルで愛らしくクスッとできるシーン本当に良かったです。
パーティシーンよりも見所と言っても良い位。
もう一度じっくり観てみたいです。
ディカプリオの表情でなきゃダメかも
やっぱり映像を楽しむ映画でした。ストーリーは、様々な方が訳している超有名小説で、今回が4度目の映画化です。
しかも、このジャンルで3Dです! でもバス・ラーマン監督作品という事で納得。
超豪華な背景の中、繰り広げられる飛び出すラブストーリーになってます。
Tiffanyが〝公式ジュエリー〟となっていたり、Pradaからはドレス、Brooks Brothersからはメンズものアイテム(2,291点!)を提供してもらっているそうです。パーティーシーンは圧巻です。
そして、原作を読んだり、過去の映画化作品を観ている人が気になるシーンについては、ディカプリオは見事に劇場を静まりかえらせる名演をしています。このシーンを演じる事ができるのは、彼とジャック・ニコルソンぐらいではないでしょうか?
とにかくこれは映像を体感する映画です。(うーん、男子は退屈かもね)
バズ・ラーマンの意図は
バズ・ラーマンという監督。
「ムーラン・ルージュ」では、ニコール・キッドマンのコミカルな面と、
歌のうまさと作り物の中にある悲しさをうまく、演出していた。
「オーストラリア」では、同じくニコール・キッドマンにイギリスの貴婦人の変貌を描こうとしたが、自然や歴史の重さに押しつぶされてしまったように思う。
この「華麗なるギャツビー」は?
華美すぎる社交パーティや、でっかくて豪華すぎる自宅、
とてもエコとはいえない乗用車、虚栄に満ちたピンクスーツ
すべてが反面教師的なツールなのだ。
なんに対しての反面なのか?
それは一途に思いつめた昔の彼女への真実な愛だろう。
純粋で誠のあるLoveである。
だが、人間はひとっところにはいられない動物でもあるのだ。
クールに装っていたギャツビーが、堰を切ったように
その思いを発露する場面がある。
それを見た彼女が引いてしまう場面がある。
そう、愛は変質してしまうのだ、時間とともに。
3Dで見たのだが、その効果は雪のシーンにあるようだ。
スコセッシのヒューゴの時もそうだったが、ちらちら舞い散る雪が
前のほうに位置し、立体的な映像を作り出していた。
でも、雪にも豪華なパーティにも、さほどの感激は薄くなっていった。
映像・音響7点
俳優・演技7点
ストーリー5点
僕的にはどうも思い入れが入りにくかったです。
面白いけど…
内容は非常に面白かった。ディカプリオもマグワイアもいい演技してた!!
けど…ちょっと安易だったかな~、話が次々に予想できた。
ここまでスケールあるんだったらもうちょっとひねった結末でもよかったんじゃない??
華麗なるギャツビー
1974年に観た時は大学生でした。それから4半世紀以上経った今、あの時にはなかったfeelingで感動しました。moved so much! 20年代、あのきらびやかでゴージャスなパーティーとは裏腹に最後まで孤独だったギャツビー。虚飾の中の空虚さ。そして一途な愛。悲しすぎるほどの何かを感じました。20代の頃は単純にも、海辺のあんな素敵な家であ暮らしたい・・とか、あのギャツビーに対しても成り上がって毎日ド派手な生活して・・、とか、そんな風にも観てました。が、その後長い年月の様々な苦労も重ね、今思う事は、ギャツビーは当に「グレイト」、何がというと、良家出身でもなく、学歴もなく、ただただ身一つで築きあげて、しかし一途な物を持っている。凄く素敵です!「華麗なる」と訳してますが、私は「偉大なる」と、そんな風にとりました。
キャスティングもディカプリオがナイス。'74のローバート・レッドフォードだと華麗なイメージはありますがインテリ過ぎてなんかミスマッチ。デイジー役の女優さんはワタシ的にはもっと神秘的に美人な人がイイナ。
ジャズがさかんで、チャールストンを踊るフラッパーヘアで膝たけのスカートをはいた女性達、禁酒法とギャング、私達がまだ生まれてなかった20年代の華やかなアメリカを楽しむには、とっても良い映画です。
そしてギャツビーの死と共に、その華やかだった時代は幕を閉じて、大恐慌となり30年代に入っていきます。お楽しみに!
こういう悲しいのは好みじゃない
ディカプリオが演じるギャツビーが、デイジーともう一度巡り合うために綿密な下準備をしていたにもかかわらず、いざ会うとなると怯えたり不安になっている様が可愛くて、微笑ましかったです。
あと、パーティーのシーンは「ロミオ&ジュリエット」でもあったように、騒いでいるみんなの中をこっそり二人で消えて密事をかわすのは、やっぱりワクワクしますね。ただ、ロミジュリほどキュンとしたかは別です。
これはデイジーのキャラクターがよくなかったのかも。
とても綺麗な人なんですが、天然悪女にしか見えなかったです。
計画的な悪女ならまだ可愛げがありますが、天然ってイラっとしますよね。
まるで私は被害者みたいに怯えたり、結局旦那に助けてもらったりしているのをみるとイライライライラ・・・
破滅に向かう映画は嫌いではないですが、こういうのはちょっと後味が悪くて微妙ですね。あと、3Dで観たのですが、はっきりいって3Dの必要なかったとおもいます。
800円なら見に行けばレベル。
初日・一番いいスクリーンのど真ん中の最良の席で見たけど
びっくりするくらいつまらなかった。
さすがにいいスクリーンのおかげでパーティシーンはのりのりで見れたが
久々のレオ様が見たいだけなら行ってみたら。って感じ
鑑賞後の感想としてはその昔、仮面の男からのビーチで
がっかりしたのと同じ思い。
期待値高かっただけに内容の無さに笑えた。
この映画で心は震えないわ。
でもレオ様の次回作もきっと見に行くんだろうなー。
久しぶりの出会い
ディカプリオの映画久しぶりに観ました。
タイタニックに出た時は映画自体の素晴らしさもあり、新天地アメリカに夢を抱く画家志望の
青年ジャックを演じ若さ美しさ、ローズに恋するひたむきさに心躍るほどでした。
今回のディカプリオは何故かギャツビーとしては違和感がありましたね。
これは彼のせいだけではないのかも知れないけれど、期待を持たせた最初の登場シーンもイマイチ。
ギャツビーが過去をどのように生きてきたかと言う、ミステリアスな部分もさらりと解ってしまい、
苦悩もあまり見えてこない。
デイジーに魅かれ、その恋を再び成就させる為、あらゆる手段を使い富豪になって、
若者の様な初々しさで再会するギャツビーは一途な男だけれど、魅力的には映らなかった。
移り気な?女心がなぜ解らないのなんて、じれったくなっちゃった。
過去だけにとらわれるのではなく、時の流れを理解したうえで待つのが、大人の男ではないかしら。
あの時代だからこそのお城の様な家、絢爛豪華なパーティ、その主のギャツビー。
退廃的な雰囲気で末路は見えてくる。そのキュンとくるはずの悲しみも虚しいものに感じてしまった。
こんな話だったのか
世界文学史上に残る大傑作のような原作のイメージがあって以前から読んでみたかったのだが、かなりしょうもない安っぽい話で読まなくてよかったなと思った。
炭鉱のような地域があって、そこでは貧乏な労働者が泥にまみれて仕事している横では好景気で沸くウォール街、その反対側には富裕層のお城が立ち並ぶ居住区があるという立地が生々しかった。また、クラッシックカーでの粗暴運転は見ごたえがあった。
とにかくデイジーがしょうもない女で、そんなのに夢中なギャツビーもトムも、まるで見る目がなく、大した人物ではなかった。ギャツビーはデイジーとしかセックスしてなさそうで、それまで童貞だったようにも見えた。トムに至っては愛人を本妻にひき殺される形となっていた。
ギャツビーはワタミの社長みたいな感じだった。原作では、当時ははるか雲の上の上流階級のパーティの様子が描かれていて庶民はうっとりとその世界を思い描いていて受けたのかな。そのパーティがまるで楽しくなさそうだった。虚飾の空しさがテーマなのだろうけど、そんなに面白いテーマでもなかった。
ギャツビーはその後生きていてもきっとどんどん悲惨な事になりそうなので殺されてむしろよかったのではないだろうか。葬式に誰も来ないというのはいくらなんでも可哀想だった。元サッカー選手の武田と石田純一はきっと来てくれるはずだ。
3Dは苦手なので2Dで見たのだが、特に不満は感じなかった。
華麗なるディカプー
監督バズ・ラーマン!と聞くと何故か身構えてしまうのは一体何なんでしょうか。あ、自分的にですけども。
地雷監督って訳ではないのだけども、ローランド・エメリッヒとかマイケル・ベイとかの、あの監督近辺に通ずる、何と言うかかんと言うか。
多分ね、大掛かりでド派手な演出というパブリックイメージだけで以ってそう思ってしまってるんですね、自分。
前作『オーストラリア』も嫌いじゃないし『ムーラン・ルージュ』も悪くなかったのだけども。
一言で言うと「少しばかり鬱陶しい作風」とでもいうか。めっちゃ失礼ですけどw
ま、でもあれですよ。凄い良かったです。『華麗なるギャツビー』。
全く内容を知らずに鑑賞したんですけども、どうもフィッツジェラルドの原作にほぼ忠実ということらしく、ああ、通りで何となく昔の人が書いたお話っぽいなあという。
どっか人間性ねじ曲がってるキャラクターが出てきて豪華絢爛!となると昔っぽいという勝手なイメージを持っておりますw(酷いイメージだけど)
で、今回もバズ・ラーマン節全開に豪華絢爛なんですけども、実はそこは物語の本懐というか、真ん中には位置していなくて、「結構なストーカー気質をお持ちの主人公ギャツビーが経歴詐称しまくって裏稼業に手を染め、大金手にしてかつて恋に落ちた恋人デイジーの自宅の対岸に城を購入して毎週セレブを呼んで飲めや歌えやのバカ騒ぎをやらかし、で、このバカ騒ぎは実はデイジーの気を惹く為であって、そして再びの邂逅から結婚しちゃってたデイジーをその旦那から略奪せしめるまでの壮大な一大プラン」という、何だか成功しがたい計画立てて一人暴走しちゃってる男の半生を彼の唯一の友人ニックのモノローグで語られていくという、まあそういうお話です。
最近のディカプーさんはこういうイタめの役やらせると最高ですな。『ジャンゴ』然り『シャッターアイランド』然り。トビー・マグワイアと二人で芸達者なベビーフェイス俳優、夢の競演ですよ。
女性陣も男性に負けず劣らず。キャリー・マリガンもエリザベス・デビッキも溜息が出るほど綺麗だったし。
グレートであり華麗なるディカプーさん劇場でした。
こんな話だったんだ…
レッドフォードがかっこ良くて昔観た記憶があるんだけど…こんな話だったんだ…。
けど、なぜ、今、リメイク?
上流階級の恋愛メロドラマとしか感じられませんでした。
豪華絢爛なキラキラ映像は素晴らしい!のですが、オープニングは少し眠気に襲われました。
結局のところ、上流階級の人間は上っ面だけで中身はクズ人間だらけ、ってのを当時は言いたかったのかな〜?
デカプリオはタイタニックみたいなシーンもあったけど、まあ、よかったかな。
衣装とかの映像は3Dの価値もあり、と言う感じでした。
グレート!
ゴージャスなパーティーに目をうばわれた。
最高のドレス、スーツをまとい、最高のミュージックにのせてのダンス最高!
ギャッツビーとデイジーの恋が美しい。
ニックの優しい姿や、思考は素晴らしいものでした。
好景気にわく1920年代のアメリカが好印象で魅力的。そんなアメリカを生で見て体験してみたかったなあと思いました。
爆音で走る車のシーンが、映画館の高音質なサラウンドが体に響き渡り、この作品のいいスパイスに
なっていました。
大画面の3Dで見ることをオススメします。
バズ・ラーマン版華麗なるギャッツビー最高でした。
ゴージャス!ゴージャス!ゴージャス!
贅沢の見本。金をかけて遊ぶなら、こういうことをしたらいいんじゃないかというショーケース。
NY郊外の大邸宅で毎夜繰り広げられる豪勢なパーティ。華麗に着飾った人々が歌い踊り、見ず知らずの人同士がバカ騒ぎを楽しむ。大なり小なりこういうことをしたいと思っているお金持ちは古今東西少なくないはずだ。
ただ、その目的が一人の女性に成り上がった自分を見せつけるだけのものだったとしたらどうだろう。無一文からの「成功」を賞賛することも、あるいはしょせんは虚飾にすぎないと割り切ることもできるかもしれない。身の程を過ぎた贅沢は、最初から破滅が約束されていたのだと見ることもできるかもしれない。
それでも、ギャツビーをGREATといえるか。
本を読んで、もう一度考えてみよう。
原作の虚栄と虚無を再現するのに3Dが効果をあげている
原作を読んだのが10数年前で、かなりストーリーも忘れつつあ
り、ラストの哀しみだけが印象に残っていた。
本作はあのムーラン・ルージュを撮った監督が手掛けると聞き、
20年代の浮かれたアメリカの豪華絢爛さが画面にこれでもかと
再現されるのかと、期待と不安の相交じった気持ちで鑑賞した。
あの演出は斬新だったが、あまりに多用されると、狂乱の20年
代がひたすらに強調される、古き良きアメリカ礼賛の映像を見せ
られるだけではないかと。
結論としては杞憂であったばかりか、その演出が3D技術と相まっ
て、実に見事な効果をあげていた。
パーティーの乱痴気騒ぎが、様々な角度と遠近感で表現され、観
客がその場にいるように錯覚させるような効果。ギャツビーが対
岸のデイジー宅を眺める、デイジー宅の霧に浮かぶ緑の灯台を映
し出すシーンの、自分を見失った、20年代のロスト・ゼネレ-
ションを体現したともいえる効果。
是非本作は3D版で観て頂きたいと思う。
映像効果だけでなく、衣装も20年代の今思えば奥床しくも、当
時としては大胆極まりないモード再現しているし、一聴して、ジ
ャズ・エイジの先鋭ぶりを表すには、当世のHipHopに偏りすぎと
思える作中音楽も、現代のわれわれから聞くと、レトロ風情に聞
こえてしまいがちな、当時の音楽を再現するのではなく、当世の
Jay-Zを起用することで、当時のジャズ・エイジのとがった感じ
が耳に流れ込んでくる。
俳優陣も見事である。
とくに、本作の肝である、ギャツビーの激昂場面は必見である。
謎の富豪振り余裕の笑みで演じるディカプリオも素晴らしいのだ
が、激昂場面では、ナレーションでも殺人犯のようと述べられる
ほどの豹変した顔が見られる。面目躍如であり、ギャツビーとし
てこれ以上望めないほどの配役である。
無論、脇を固める俳優陣も素晴らしい。ニック役のトビー・マグ
ワイヤの抑えた演技は、一見、浮かれっぱなしに見える、この時
代の背後に潜む虚しさや、ギャツビーの内面の空虚さを映し出し
ているし、デイジー役のキャリー・ミリガンも、体面を尊ぶ、か
弱くもしたたかな当時の女性像にぴったりの演技である。
2013/6/15 ワーナー・マイカルシネマ新百合ヶ丘
テーマが深くて、絶妙なストーリーだけど、映像化は難しいところがある。
映像も音楽も派手で華麗でよかった。
前半でギャツビーがデイジー(キャリー・マリガン)と再会するところが最高。
ディカプリオがうまくて感動した。
後半は、派手さも面白さも控えめになるけど、ここからがこの映画の本番だと思う。
前半の派手で華麗な映像がきいてきて、見ているとすべてが錯覚のような気がしてしょうがなかった。
夢が覚めていく感じです。
華麗な生活も、金も、愛も、夫婦も、友情も結局は錯覚かもしれない。
もしかしたら、裏切りや怒りも、単なる誤解や勘違いで、錯覚かもしれない。
そんな深いテーマを内包しながら進んでいく後半は、当然だけどストーリーが絶妙。
でも映像化はなかなか難しいところがある。
この映画でもいろいろ工夫していたけれど、表現しきれていない感じでした。
もっと諸行無常な感じを、はっきり出した方がよかったかもしれない。
結局人生が錯覚なら、ない物を欲しがる必要はない、現状で満足という錯覚をすべきかも?
全206件中、181~200件目を表示