KOTOKO

劇場公開日:

KOTOKO

解説

「鉄男」「六月の蛇」の塚本晋也監督がシンガーソングライターのCoccoを主演に迎え、苦しみもがきながらも愛する息子を育て、懸命に生きるひとりの女性の姿を描き出したドラマ。ひとりで幼い息子の大二郎を育てる琴子は、世界が“ふたつ”に見える現象に悩まされ、歌っているときだけ世界が“ひとつ”になる。神経が過敏になり強迫観念にかられた琴子は、大二郎に近づくものを殴り、蹴り倒して必死に息子を守っていたが、幼児虐待を疑われて大二郎と引き離されてしまう。そんなある日、琴子の歌に魅了されたという小説家の田中が現れるが……。2011年・第68回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門で、同部門の最高賞にあたるオリゾンティ賞を受賞した。

2011年製作/91分/PG12/日本
配給:マコトヤ
劇場公開日:2012年4月7日

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(C)2011 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

映画レビュー

4.5必死さと、滑稽さと。(塚本×Cocco=ドリフ)

2012年5月14日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

怖い

興奮

コトコは、危険きわまりない世界を、常に壮絶に生きている。彼女には他者が二重に見える。出会う人々は、善意をまとって近づいてくると同時に、悪意の牙をむいて襲い掛かってくる。そんな恐ろしい世界から子供を守ろうと、彼女は外出を避けるようになり、じわじわと追い詰められていく。(二重の恐怖は、統合失調症等の精神疾患を患う人の世界観の映像化とも感じられ、興味深い。)
母子ものは、息苦しい。ヘタをすると、暑苦しい。特に、母・息子ものは。けれども本作は、大切なものを守ろうと必死すぎて滑稽になる、そんな笑いが絶妙に織り込まれていた。監督いわく、恐怖と可笑しみは紙一重であり、本作では(あの)ドリフをひそかに目指したという。なるほど、と思った。いつもに増して、恐怖と笑いのリズムが小気味良く、おぞましくも愛すべき世界に、観る者をひき付け、揺さぶる。
親ばかという言葉があるように、親の子に対するまなざしは、真剣であるがゆえに呆れや笑いを誘う。私的経験を踏まえ、ことさらそう思う。リストカットしたコトコは「赤ちゃん用」のタオルを使うまいとするが、育児中の自分にとっても、それは日常茶飯事。彼女のように「ちゃんと出来ない」と泣き崩れ、母に笑い飛ばされたこともある。当時は全身全霊で嘆いたのに、今思い出すと「ちゃんとやろう」とは何て無謀だったのだと赤面してしまう。ちなみに、わが子の最愛のおもちゃは、チラシやお菓子の包装紙だ。様々な「カサカサ」に囲まれ独自の遊びに熱中している彼を見ていると幸せを感じるが、トイレなどに立ち部屋に戻ると、あまりの雑然さにぞっとし、ゴミに埋もれた息子の姿に愕然とする。
この作品は、不気味なほど滑稽で必死な人を否定しない。もっと楽に生きればいい、頑張りすぎなくていいのだ等と、安易な救いをちらつかせたりしない。生きにくさは、誰も肩代わりできない。ただ、絶望はしなくてもいい、大切な繋がりは、どんなにか細くても奪い去られることはないと、大きすぎるひとりごとのように言い残してくれる。

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cma

4.5重く苦しい作品

2024年11月7日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

純文学的邦画作品
コトコの心的障害は概ね先天的なものなのだろう。
故郷の沖縄に居ればあまり表には出ないと思われるが、都会では顕著に表れるようだ。
彼女の苦しみは、誰にもどうすることもできない。
それは、彼女が握りしめて離さないようにしているこの世界の認識で、そのため彼女が否応なしに見てしまう世界だ。
その一つが、どうしても見えてしまう人の二面性。
それを物質的に見てしまう。
表面上の笑顔とは違うその人の内面、裏側、攻撃性、欲望…
その攻撃性の部分が本当に攻撃してくる幻覚
さて、
小説家田中という男は、バスの中で彼女の歌を聞き一目ぼれした。
ストーカー以上に彼女に付きまとう。
コトコは彼にひどい暴力を振るう。
それは自傷行為を少しだけ変更したに過ぎなかった。
それでも必死に耐える田中だった。
しかし彼は去った。
それは物語の設定上の理由だからだろうか?
病気が治ったと診断され、一緒に暮らせる通知が来た日のことだった。
彼もまた、似たような病気だったのだろうか?
正常値になった彼女に興味をなくしたのだろうか?
田中の不在がコトコを再び闇へと落としてしまう。
せっかく息子との暮らしが始まったにもかかわらず、彼女はすぐに病気を再発する。
どんな原因かわからないが、どんなことでも起こり得る。
事故、事件、そして息子が死んでしまうという恐怖
どうせ死ぬなら、いっそ私が殺してあげる。
そして殺した幻覚を作る。
もう、何が本当で幻覚なのかさえわからなくなっていた。
息子は生きていた。
小学生になっていた息子。
隔離病棟で暮らすコトコ
精神病で苦しむ人を描いた作品
リアルで重い。
帰省した時の家族とのひと時の幸せが、またリアルで彼女の苦しみをコントラストしている。
コトコの見る世界。
リストカットが存在を証してくれる。
彼女はきっと美しいものだけを求めているのだろう。
この世界の二面性に対する嫌悪感
このコントラストを単なるコントラストとして受け入れられない。
美しいものだけしかない世界を渇望しているかのようだ。
息子が面会に来た時一言も話せなかったのは、それが現実かどうかわからなかったからだろうか?
自分だけが実在していないように思うのだろうか?
ただありのままを描く。
それが純文学なのだろうか?
それにしてもCoccoさんはこの役をよくやり切ったと思う。
コトコの持ってしまった世界観に涙した。

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R41

2.5混ぜるな危険とはこの事か

2024年7月13日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

塚本晋也監督といえば暴力。様々なアプローチで暴力というものに迫り表現してきた。
本作では暴力に対して暴力でしか対抗できない葛藤を描いていると聞いた。なるほど、まあわかる。
暴力を肯定する気持ちと否定する気持ちが混ざり、肯定、否定、どちらの面からも恐怖するってところだろうか。
そこに主人公琴子の病気(統合失調症なのかな?)による幻覚などが加わる。

現実なのか幻覚なのかわからないことでサスペンス的な味付けがされ、その部分でそれなりに面白く観ることはできたものの、やはり最初にある暴力に対してしっくりこない気持ちが芽生えてしまう。
というのも、暴力に対する葛藤を踏まえるにしても踏まえないにしてもどこかでほころびが生じているように思えるのだ。辻褄が合わないようなチグハグさがある。

そして、色々と考えていくと最終的に、小説家の田中はなぜ出てきたのだろうか?に行き着く。
田中の存在が葛藤そのものなのかもしれないと考えたりしたけど、別にいなくてもよかった気もするし、そうなるとただ塚本監督が演じる役としていただけのような気さえしてくる。

主演でアイデアも出したCoccoによって成り立っている作品だけれども、Coccoの存在が塚本節を鈍らせたようにも思う。
Coccoと塚本監督の化学反応が悪い方に起きたようなね。
なんか歌うシーンとか長かったもんね。この辺りがプラスでもありマイナスでもあるのが作品のチグハグさとして出てしまったように思う。

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つとみ

4.0UAと草間

2024年5月16日
iPhoneアプリから投稿

悲しい

知的

難しい

僕のCOCCOに対するイメージ

そのイメージに寸分違わぬ役柄を演じている映画

だと僕は評価する。

草間彌生ちゃんは絵画だったから、あれでいいんだけどね。

COCCOは歌唄いでライブアクトだから

いつでも、傷つき自称しちゃうんだよね。

と言うのを演じ切ったし、COCCOのイメージも

それで固定させることに成功した。

この点は

まさにリアル鉄男だわ。

何度も繰り返し観たくなる映画ではないが

そう言う世界に生きる人も居るんだってことで

十分学びある映画◎

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tomokuni0714