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映画「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」 Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち
劇場公開日:2012年2月25日
解説
2009年に逝去したドイツの天才舞踊家ピナ・バウシュの世界を、「ベルリン・天使の詩」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のビム・ベンダース監督が3Dで撮影したドキュメンタリー。バウシュが生前から映画のために選んでいた「カフェ・ミュラー」「春の祭典」「フルムーン」「コンタクトホーフ」の4つの舞台のほか、バウシュが芸術監督を務めていたドイツ・ブッパタール舞踏団のダンサーたちが街中や自然の中で繰り広げるパフォーマンスや、在りし日のバウシュの映像、ダンサーたちからの追悼のメッセージが収められている。
2011年製作/104分/G/ドイツ・フランス・イギリス合作
原題:Pina 3D
配給:ギャガ
スタッフ・キャスト
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2020年11月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
20世紀末から21世紀、パフォーマンス・アートの分野ではダンスが一番人材豊富と聞いている。そうかも知れないと感じさせる今日の映画、「ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」を観る。「言葉では不可能なこともダンスは表現できる」とピナは言う。彼女の踊るシーンは数分だが、充分に満足のいく映画だ。言語以上に表現力のある身体、全編見終わればその力に圧倒される。赤外線用のメガネをかけての3D映像は初めて。確かに立体的だが、どれほどの効果があったかはボクには判定できない。しかし、立ち居も定かでない水面、騒音にさらされた都市の街路、風と砂塵が舞うが山の尾根、動き回るニュートラムの内と外、映像上の表現の場は当然スクリーンの中だが、そこは決して平滑な舞台ではなく、プロセニアムに仕切られた虚構でもない。そんなリアルな環境でのパフォマンスを実感させる為の装置と言うなら3D映像はわからないでもない。しかし、本当の関心はそんな所にはない。言葉が時と所を選ばす、いつでも何処でも表現可能であるとするならば、身体は制度や習慣にさえとらわれなければ、いつでも何処でもどころか、何でも可能な表現媒体ということではないだろうか。 この映画は前回見たフラメンコ・フラメンコとは大きく異なる。うまくは説明できないが、フラメンコをアノニマスな民家に例えればピナのダンスは建築だ。それも今風の似非建築ではなく、かなり本格的、古典的でさえある本物の建築。そう、感情だけでは想像力を喚起しない、ピナはダンスの詩人。その表現は決して衝動的感情ではなく、しっかりとした作為に満ちている。単なる衝動か作品か、ボクは音楽のパフォーマンスを含めいつもこの辺が気になるところだが、ピナのダンスは改めてアートとはなにかを教えてくれた。来週は「ピナ・バウシュ夢の教室」を見に行きたい。
"私たちは
何に焦がれる?
こうした思いは
どこから来る?"
"踊りなさい
自分を見失わないために"
2020年2月8日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
劇場では3D公開されていたようだ。ドキュメンタリー映画で3Dなんて初の試みなんじゃないか?と調べてみたら、『世界最古の洞窟』というドキュメンタリーと3D対決!と話題になっていたらしい。これからもどんどん作られるんだろうな・・・
そんなわけでヴェンダースのドキュメンタリー。『ソウル・オブ・マン』にしても作り方はとても良かった印象があるが、とにかく個性の強い人間を描くのが得意のようだ。しかし、映画ではピナ・バウシュ本人はほとんど出てこない。彼女の弟子たちによる舞踏集団の演技が中心となっている。みなピナを尊敬していて、何を教わったのかを伝える映画だ・・・
前衛的、芸術的、言葉がなくても伝えることができる。インパクトの強さは最初のパフォーマンスで圧倒される。何かの生贄にされる女を選ぼうとする内容?この意味をくみ取ることが出来なければ、とても眠くなってくる・・・
分かろうとするほど混乱する。
だから心のままに映像を追っていた。やがて、風になり、光になり、雷雨になる。これって、人が大気になって自然現象を起こしてるんだ。
2014.4.27