神々と男たち

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神々と男たち

解説

1996年のアルジェリアで、7人のフランス人修道士がイスラム原理主義者とみられる武装グループにより誘拐・殺害された実在の事件を題材にしたヒューマンドラマ。第63回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを獲得した。アルジェリア山間部にたたずむ僧院で、フランス人修道士たちは地元のイスラム教徒たちと宗派を越えた交流をしながら、平穏な毎日をおくっていた。しかし、アルジェリア軍と原理主義者による内戦が激化したことから、彼らの周囲にも暴力の影が忍び寄り始める。

2010年製作/123分/PG12/フランス
原題または英題:Des Hommes Et Des Dieux
配給:マジックアワー、IMJエンタテインメント
劇場公開日:2011年3月5日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第63回 カンヌ国際映画祭(2010年)

受賞

コンペティション部門
グランプリ グザビエ・ボーボワ

出品

コンペティション部門
出品作品 グザビエ・ボーボワ
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(C)2010 ARMADA FILMS - WHY NOT PRODUCTIONS - FRANCE 3 CINEMA

映画レビュー

3.5旧宗主国

2020年9月6日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

アフガニスタンで殺害された中村哲医師の事が頭に浮かび上がりました。民族を超えて人を助けたい人間と人を殺す武装集団の人間を、単純に善悪だけではなく、それが生み出される原因をもっと知りたいと思いました。旧宗主国や先進国に責任の一端はあると思います。

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ミカ

5.0欧州の植民地政策は大きな課題を残 す。

2019年5月22日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

知的

難しい

1996年にアルジェリアにあるカトリックのアトラス修道院(カトリックのトラピスト)が拉致され『the bayan of the Jama Islamiyya Musallaha』というアルジェリアのイスラム原理主義者たちに殺害されるまでの話。

イスラム原理主義者のグループリーダーが修道院に武装して薬を求めにくる。その時、トラピストのリーダーのクルスチャンはコーランを引用して断る。カトリックとイスラム原理主義者の間で心が通じ合い、リーダーのアリはカトリックにとって大切なクリスマスの時に武装して訪れたことに謝罪をする。ーこのシーンが何よりも感動的。

あと、誰だか忘れたが、アルジェルアでのイスラム原理主義者の台頭はフランスの植民地政策にはじまっていると。この映画のなかで海外から来たクロレシア人たちも殺される。ハシャブをつけない女性も殺される。

欧州の植民地政策は大きな課題を残している。日本の植民地政策もアジア圏の人々に大きな課題(731部隊人体実験、慰安婦問題、領土問題など)を残している。

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Socialjustice

1.0御題目

2018年11月19日
iPhoneアプリから投稿

良い顔を揃えてあるが、単調な観せ方に飽きがくる。
中盤以降より漸く演出に力が入るが、彼が映したいのは存在や葛藤。
劇や本を媒体にした方が楽しめるだろう。

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たろっぺ

4.5争いの無い世界の和平をひたすら願いたい、そしてその気持ちは自分の心から、始まる!

2011年7月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

アルジェリア国内のある片田舎で実際に起きた武装集団による修道士殺害事件の当時の真相をドキュメンタリーではなく、ドラマと言うフィクションに置き換えて再現して見せたこの作品は、私には正直理解出来なかった。しかし素晴らしい映画であり、映画として見る価値の有る作品と言う事だけは、理解した。サルコジ政権下での、ブルカ禁止法に代表されるイスラム文化排斥に対し、報復を企てたある武装集団が修道士を殺害する事件を起こすまでの、田舎の村の人々の生活と修道士の日常が映し出されている。修道士は、私欲無く、村人に医療を始めとし、様々な奉仕活動を捧げる、祈りの生活を日々繰り返す。
一方、村人の生活も貧しく、過酷な日々であるが、精一杯に生活を営んでいる。
そこで、武装集団が起こす殺害事件をきっかけに、村の様子が一変して、修道士たちの命も危険になり、教会に留まりそのまま奉仕活動をするか否かで、意見は割れて行く。教会組織や、国は、修道士たちの安全を図ろうと教会からの撤退を求めるが、現場で奉仕する修道士達は、無医村で、自分達の施す医療活動がこの村に必要不可欠である事から、撤退を容易には受け入れようとはしない。しかし彼らも人間であり、自分の死を恐れる者もいれば、高齢の修道士は総てを神に委ねている。家族との関係性に苦悩する修道士もいる。修道士も修道士であると同時に人間である。宗教と、人間が生きる意味、日々の生活と宗教、人間の尊厳と、人種や宗教、文化の差異の問題。これらの差をその時代の政権下に於ける政策のみで変える危険性や、そこから派生する差別、等々一口では答えが出る事の無い難問をこの映画は、見る者達に問いかけてくる。宗教、思想の自由を果たして、法によって、或る時突然に変える事の正当性を考えさせられる。
日本の様に、宗教、思想の自由が認められ、一応それらの選択の違いを法律により、取り締まられる事は無い民族には、難しい。これらの問題は、民族の習慣や、文化のその長い歴史的背景により多くの矛盾を抱えていたとしても、その歴史を無視して新たな法律だけでは、裁けない現実がある。
日本は一神教では無く、憲法により宗教の自由が認められ、同じ一人の人間がこの世に生まれ生活する時にも、大方の人は生まれると神社で、お宮参りをし、結婚式は、教会でして、葬式は寺で仏教であっても、何ら問題無く過ごせる。しかも、その事に疑問や、異議を申し立てられる事も無い。ましてや、それで法律的に自由が奪われる事などは決して無いのだから。
一神教を信じる人達の場合は物事こうは簡単、単純にはいかないのが常である。
武装集団が、起こす殺害は決して良い事では無い。何故なら、どこの宗教も殺人を良い事と認めてはいないのだから。しかし、歴史に裏付けされている文化や習慣を、法律だけで、ある日突然に変える事がもしあるとするなら、法律による、文化や、歴史的習慣の禁止は、それを信じる人達の、存在価値を抹殺する事なのかも知れない。法律は、人々を生かす為に存在するのだ。しかし、その法律が、もしも人々の権利を抹殺する事があってはならないのだ。日本に暮す事の幸福に感謝し、一日でも早い、宗教、思想、文化の違いによる人権の剥奪、差別の無い世界の構築と、世界の人たちの心の平安を祈りたい!

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ryuu topiann