トイレットのレビュー・感想・評価
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ばーちゃん
「プール」「マザーウォーター」と荻上直子監督の疑似映画が続いたが、こちらは正真正銘本人の作品。
全編カナダが舞台&英語の台詞に挑戦、「かもめ食堂」「めがね」とは違う印象で、またまた変化球。
母親を亡くした3兄妹と、日本からやって来たばーちゃん。
社会にも馴染めず、お互い干渉もしなかった3兄妹が、ばーちゃんの存在によって変わり始めていく…。
所々日本文化を挿入し(スシ、プラモ、ウォシュレット、古いミシン等々)、人種は違っても家族の姿を、独特の雰囲気の中に描いていく。
意外にもストーリー仕立てだが、何処か癒される世界観は健在。
それを体現してくれているのが、もたいまさこ。
ずっとムスッとし、最後の最後まで喋らないが、時折微笑みを見せ、奥深いばーちゃんを味わい深く好演。「クール」の一言には感動。
この独特の佇まいこそ、もたいまさこの真骨頂。(さすが荻上直子、使い方が上手い)
樹木希林に次いで、稀有な存在の女優だ。
冷えた身体には、温泉が効くように、心に効く荻上ワールドの不思議体験を是非どうぞ!
『かもめ食堂』『めがね』など、独自の才能を放つ、荻上直子ワールドの初体験にショック!
単館系であれ程までに話題騒然となった『かもめ食堂』とは確かにおもろいのかも?期待は膨らんでいくばかりだ。しかしその気持ちは、丁度恐いもの見たさに似た感情で観た後で、もしもコケルと恐いので、失敗を避けて彼女の作品は、嫌いと言う事にして置いたので、今回の『トイレット』が初体験だ。別に本当に嫌いと言うのでなく、つまり食べず嫌いを貫いてきたわけだ。
たかが映画1本を観る、観ないで何故これ程大袈裟に?と自分でも、いぶかしげに思う事が有るのだが、時間と言う自分の人生の1部を映画に切り売り?否、捧げる生活の私?には、映画を観た後のあの後味の良さ、悪さで自分の人生の質が少し変化するようで、映画一つの選択も決して侮れないのだ!たかが映画、されど映画なのだ!!!
当然劇場では、毎月の小遣いから大金を払って観る映画として、荻上監督作品が自分の感性にピタリしないのでは、しゃくに触るので、DVDレンタル待ちでと言う事になる。
今回も、真に変なタイトルの『トイレット』ならば、きっと自分の好みと相性が悪かったとしても、これは題名が示すように、映画を観たその記憶そのものをトイレに流して忘れてしまうのだ!と清水の舞台にたったつもりでレンタルする。
ネクラなロボットプラオタクのレイ、引きこもりで本当のお宅から抜け出せないピアニストのモーリー、そしてちょっと覚めた目で世の中を見て図太く生きている様で、その実とっても、繊細なリサ。こんな家族なんて絶対あり得ねえ!
しかもこの兄妹の母親が、死の直前に望んだ事は、ペットの猫を抱きあげ、臭いを嗅ぐ事なんて!!!もうまったく!!!許せねえ!!!何言ってんの、これ!!!
しかし、こんな異様なタイプのコメディー映画観た事無い!!!映像も、音楽も、編集も特別に、力を入れたこだわりを持っているようには、見受けられないし、特別高い芸術的香りを放つセンスも感じられない。
それでも、この有り得ないようなバカな人物設定、3兄妹+ばあちゃんだけ、しかもこのばあちゃん喋りもせずに、表情も変えるでもなければ、一体何者?と???の連続なのだが、それでいて、どんどん物語の中へと引き込まれていってしまう。誠に不思議な世界感であった。
ひきこもり、差別、血縁、言語、これらは人にどう影響するのか?家族との絆や、人との繋がりに本当に必要なものとは? 自信を持って生きるためには、どうするのか?
目では、決して見る事が出来ない、愛情とは一体どんなもの?
そんな人が人として、人生を歩んで行くための原動力として必要なものが何かをそって語ってくれる。時に真正面から切り込むと、重くなるシリアスな問題も、こうしてオブラートに包んで大切に優しい目線で表現すれば、やんわり、じんわりと温泉に入り身体が少しずつ温まる様に心も温まり、理解を得ると言う摩訶不思議な世界だった!!!
バス停の椅子に腰かけるばあちゃんは、フォレストガンプそのものだった、そこには人生の総てを見守っている何者かが、きっとこの世界のどこかに存在しているように思えた。
いとしい作品
間違いなく、MY BEST10に入る作品でした。
あの3人兄弟の少しずつ、すべての要素を自分も持っている。
そういう意味で、シンパシーを強烈に感じました。
こんなふうに映画を見ながら心の奥がビリビリするのは
いつぶりだろうとうれしく思いました。
これが映画なんだ、だから映画を見るんだ、と久しぶりに
確認したのです。
見えなかった優しさに気づき、支え合うことの大切さを知る。
最初から最後まで、しっとりとした感じで、気持ちよく観ていけます。
この感じは、先日観た「恋する宇宙」に近いですが、
あちらが恋愛とすると、こちらは家族がテーマって感じですね。
日本文化やオタクといった要素が、うまく絡められていて
(それが観るきっかけでもあったんですけど)ニンマリする部分も多々。
なぜタイトルが「トイレット」なのか?
途中「あ~なるほどね~」って場面があるんですが、コレがなかなか深い。
親近感のわく、個性的な登場人物達と、キーパーソンとなる
「ばーちゃん」こと"もたいまさこ"さんの演技も光ってました。
それぞれの登場人物達は、何かしら問題をかかえていて、
日々自分のことで精一杯。リアルでもありがちな環境ですよね。
一見するとそれぞれが自分勝手に生きているように見えるんですが、
話が進むにつれ、実はそれぞれがそれぞれの"優しさ"に支えられていたことに気づきます。そして…
後半は少しホロっとくるんですが、心温まる良い映画でした。
あっ!最後にやっっちゃった
最後、あぶないと思ったんだよね~
やっぱりやっちゃった。
ストーリーがちゃんとあって
めがね より 好きです。
3兄弟もばーちゃんのおかげでやさしくなれたしね。
むたいさん、今回はとことん無口でした。
しかも金持ち過ぎるし(笑)
エンドロールでエアギターやってほしかったな
日本のトイレは、お尻を洗うのか?
映画「トイレット」(荻上直子監督)から。
実際は、私の読みが甘いのだろうけれど・・(汗)
どうして「トイレット」というタイトルなのか、
また、監督は何を伝えたかったのか、わからなかった。
作品中には、トイレに関する会話は少ない。
「トイレには、それぞれの国の文化が反映されているんだ」
「日本に行ったマドンナがこう言った。
日本の温かい便座が懐かしい」
「ただのトイレじゃない、日本の偉大なテクノロジーだ」
「つまり、日本のトイレは、お尻を洗うのか?」
「1度洗うと、誰もが病み付きになる」・・・
日本の洋式トイレの快適さは、私も愛用者として実感している。
(特に、痔の人には、効果があるらしい・・(笑))
だからこそ、これをどう作品として、料理するのか、
大変、楽しみだったが、結局、私の場合、消化不良で終えた。
なぜ、母は亡くなる直前に、祖母を日本から呼び寄せたのか、
それがわかれば、もう少し、理解できたのかもしれないな。
ボタイは、もたいのブタイ
「かもめ食堂」「めがね」などの作品で知られる萩上直子監督が、盟友もたいまさこを引き連れて全編カナダ・トロント撮影で描く異色ホームドラマ。
「君・・B型だよね?」初めて出会った人に、当てずっぽうで尋ねてみたら、相手は「・・・分かるかい?」と、にやりと微笑んだ。そんな、思いがけない他人との協調は、ちょっと嬉しい。本作は、そんなささやかな幸せを一本の映画に仕上げてしまった、遊び心満載の物語である。
3人のカナダ人と、一人の日本人。どう考えたって血の繋がりを感じられない人間達が、同居生活を始める。この余りに唐突な設定を前提に持ち込まれて、観客は早々に理解を遮断される。そこに輪をかけて意味不明な要素として叩きつけられるのは、現代映画界きっての不可解女優、もたいまさこの存在だ。
常にむすっと、ぶすっと、それでいてしらっと。3人の兄弟を横目に、勝手に生きている。英語は分からない。行動も分からない。おまけに血筋も分からない。結局、物語が終わるまでその存在は、謎のままである。
だが、このもたいの存在はそのまま、3人兄弟それぞれの、お互いへの感情と重なる。どうせ、分かりはしない。私は、私だ。相互に理解を諦めた人間の心を、一人の日本人を強引に放り込むことで象徴的に観客に提示する。
もたいという「ばーちゃん」を、知りたい。何者か、理解したい。兄弟は個々にもたいへの接触を試み、ぶつかっていく。すぐには分からなくても、出来る形で近付いていく。それはそのまま、家族という絆を理解することに直結する。
完全に理解なんてしなくても良い。分かりたいと思うことが大事なんだ。本作が目指したのは、誰にも理解できない「ばーちゃん」を通して見つめる、家族の緩やかな、壊れやすいつながりの肯定ではなかったのか。
亡くなり、灰になってもその引き際は格好良い。お前の勝手な思い出にされてたまるかと言わんばかりに、もたいはひゅるりと流れていった。つくづく意味不明な人だ。でも、それが嬉しい。
雁字搦めになった家族への執着が、気持ちよくほどけていく一品である。
もたいさんが面白すぎる。
この映画はもたいさんの演技力の凄さに感動させられる。
周りが外国人だらけで英語なのに違和感を感じさないもたいさんの存在感。しかも劇中全く喋らずにあそこまで面白く笑わさせられた演技力に脱帽しました。
個人的には3000ドルともたいさんがタバコを吸うクダリがとても好きでした。
エアギターのクダリはちょっといらなかったかなと。でもあれはお金をあげるクダリを二回やりたかったから必要な場面だったのかなと思いました。
素敵な映画で楽しませてもらいました。
もたいさん好き
『かもめ食堂』、『めがね』とは違った、愛想のない堅物ばーちゃんな、もたいさんが観れます。常に舌打ちしてそうな表情が良いです。
話は普通なんだけど、出てくるものが変わってる。エアギター、プラモ、ウォシュレット…
あと、音楽が素敵だった。ピアノがんがん聴けて満足。
無言のもたいまさこ、雄弁にばーちゃんの気持ちをハートで語る!
荻上直子監督作品が進化しています。
これまでのテーマは、どちらかと言えば主人公が癒される側でした。けれども本作は、積極的に癒す立場に変わり、さらに繋がっていこうとするメッセージまてで感じさせてくれます。
けれども、そこは荻上監督だけにひとくせありました。主人公が「ばーちゃん」というと何となくホームドラマを連想されることでしょう。しかし、本作では「ばーちゃん」を日本語の全く通じないアメリカに住まわせてしまい、言葉による意思の伝達が出来ない状況に置いてしまったのです。孫たちは、みんなネイティブのアメリカ人。しかも、オタクだったり、引きこもりだったり、みんな訳ありの人たちでした。そこに言葉が通じない祖母が突如日本からやってきて同居するわけですから、冒頭ではまるで「異物」がいるかのようでした。
それでも言葉の壁を越えて「家族」として繋がっていく様を描き出して、とても感動しました。
驚異的なのは、荻上監督のミューズとなってしまった、もたいまさこ。全編通して一箇所しか台詞のあるシーンがありません。のこり全て沈黙しつつも、その表情と仕草で孫たちとちゃんと意思の疎通を図ってしまうところを演じきってしまうのです。そのばーちゃんの存在感を生み出す、もたいまさこの強烈な個性が、本作を成立させたといって過言ではありません。
それにしてもアメリカ人の孫たちが独特のアクセントで呼ぶ「ばーちゃん」の発音の何と温かいことでしょう。日本人としては、何となく懐かしい響きも感じますね。
ストーリーは、冒頭で「ママ」の葬儀が行われます。後に残されたのは、ひきこもりのピアニストの長男モーリー、ロボットオタクの次男レイ、詩を研究している大学生の妹リサ、そしてセンセーという名の猫。そこに死ぬ直前に「ママ」が日本から呼び寄せた祖母、「ばーちゃん」が同居していました。
ただでさえ強烈に個性が強い兄妹の暮らし。日本語しか話せず、愛想もない「ばーちゃん」の存在は、つなぎ役となる「ママ」がいなくなった今、共同生活を混乱させてしまう
要因に。言葉が全く通じない祖母と孫との奇妙な組み合わせが引き起こすドタバタな日常は、なかなかユーモラスです。
そんなバラバラだった家族が、「ばーちゃん」を軸に障害を越えていくなかで、少しずつ関係を築いていく過程に、心ひかれることでしょう。きっかけを作ったのは、心優しいリサでした。「ばーちゃん」を歓迎するために、スシを用意して、一緒に晩餐しようとしたり、センセーのエサを街へ買いに行って迷子になったときも、一番熱心に探したり。
そんなリサの計らいで、他の兄弟も、「ばーちゃん」に近づこうとします。モーリーは、ママの古いミシンを引っ張りだしたことから、急に手作りのスカートが作りたくなって、布地を買うお金が入り用になります。モーリーは、勇気を出して英語で、一生懸命「ばーちゃん」にお金が要ることを声明します。するとどうでしょう。何かを感じた「ばーちゃん」はおもむろに財布を取り出して、モーリーにお金をあげるのです。
その後今度はリサが、エアギターのコンクールに出場するのに参加費が必要になったときも、モーリーのアドバイスで、「ばーちゃん」に相談したら、ちゃんとまとまった資金を提供してくれました。英語はわからなくても、何となく相手の気持ちが読めてしまう「ばーちゃん」なのでした。
それでも、レイだけは「ばーちゃん」に懐疑的。血縁関係まで疑っていました。
そんなレイが落ち込んだとき、「ばーちゃん」が焼いてくれたギョーザをきっかけとなって心を開いていきます。その味が忘れられなくなって、レイも加わってみんなで作ったギョーザパーティーを開く頃には、完全に打ち解けていました。みんなの心を一つにまとめた手作りのギョーザは、とても美味しそうで、お腹の虫がギョーって泣くほどでした。
そんな家族の絆が強まることで、モーリーの自閉症も軽くなって、数年ぶりにピアノコンクールに出場することになります。緊張のあまりに、吐き出しそうになるモーリーに、「ばーちゃん」が優しく名前を呼んで、親指をグーと差し出す仕草をするシーンには、泣けてきました。言葉なんかなくったって、ちゃんと気持ちで伝わるのですね。
ところでタイトルの「トイレット」とはどんな意味が込められていたのでしょうか。それは、この祖母と孫の一家のような異文化が融合する象徴ではないかと思います。
トイレットは、お国柄が変わっても、いつも家族の中心にあるものです。土地によってこそ形態が違っても、欠かせないものです。その反面こだわりもあります。毎朝トイレットを出るたび、「ばーちゃん」がつくため息が、何とも意味深です。
レイはそのことを気にして、ガンダムのレアな模型を購入するために貯金してきたお金を、ウォシュレットの購入資金に充ててしまいます。レイがウォシュレットのことを日本のハイテクの象徴みたいに崇めて語るところは、日本人としてチョット誇りに思いました。レイがウォシュレットを初めて試すところは、微妙に肛門が感じてしまうのか可笑しかったです。
ちなみに本作のスポンサーは、TOTOでした。なるほど(^。^)
ラストは、少々あっけなかったけれど、暖かい気持ちになって見終えることができました。 「西の魔女が死んだ」のサチ・パーカ主が、謎の女性役で出演しているのも見どころです。また、荻上作品ではおなじみのフードスタイリスト、飯島奈美が作るギョーザが、家族が集まる食事の楽しさを、見事に演出しています。
トイレこそ家の要。
この監督の作品、「かもめ食堂」は大好きだったのだが、
続く「めがね」では激沈…。共通する不思議感はあれど、
なんだか微妙に気味が悪い感が先行してしまった…。
で、今回の作品。もっと変だ。(爆)カナダで日本映画?
しかもすごいぞー。全編日本語字幕付きの邦画なのだ。
なんたって主人公たちが皆ガイジン。日本人は監督と
もたいまさこ、だけ?だったのか。それを飄々とやって
のけてしまう度胸の良さと、私が本作で何よりも魅力に
感じた、古いミシンへの愛着と、オタク文化を賞賛する
(しかもそれをガイジンにやらせてしまう)という独自性、
餃子にかける意気込み♪(これは絶対に食べたくなる)
そういや、かもめ~でもガッチャマンを歌わせてみたり、
漢字を組み合わせて変な日本語作ってみたり、とにかく
やってることがけっこうオタクちっくなところが好きなのだ。
だけどそれを、いかにも…な俳優たちに演じさせてみたり、
普通の風景の中に当たり前に持ってくるとやけに違和感、
今回は一体どうなるんだろう…と期待薄で臨んだのだが。
あらら♪なんだろう、この心地良さと字幕が気にならない
のほほん感、ってかこの人たちガイジンなのに!^^;なんで
しっくり馴染んでるんだ!?という面白さが冒頭からある。
もたいまさこが喋れないのに心が通じる(爆)という設定は
以前と変わらないが^^;それにしてもこの三兄弟妹が巧い。
ほぼ語り部となる次男はもう、日本でデビューさせてみたら
どうなんだ??と思うくらいしっくりきている^^;ガイジンの
いかにもガイジンらしくない行動の一つ一つが日本人への
エールとなっているようで、つい私たちはほほ笑んでしまう。
もうこうなると彼らの生い立ちなどどうでもよくなってくる^^;
(一応、肝心な場面が後半に用意されていたりもするが)
父親が誰だろうと、母親がどう育てたのかも、だいたい何で
ばーちゃんがもたいまさこなんだ?なんで金持ってるんだ?
…とめどなくあふれる疑問も、あ~そっか。いいんだそれで。
おかしなことはトイレに流してしまえ。っていう意味じゃなくて
小さなことはどうだっていい。自分のまんまで生きられれば。
と、そんな心持ちになってくるのだ。だって、彼らの幸せな
顔をあれだけ見られるなら、それが当たり前になってもいい。
スカートをはいて演奏ができるのなら?これでいいのだ~。
あぁ好きだな…。この描写。
ロボット大好き男はまるで身近にいる誰かさんを見てるようだし、
やたら女を紹介しろ、ってうるさいインド人もまわりにいそうだし、
エアギター、って(チト懐かしいが)あれも一時期有名になったし、
でもって中国を差し置いて日本の餃子!更にはウォシュレット!
(TOTOさん、かなり宣伝されてますよ)
あの技術はもう!日本の誇りでしょう!慣れたら天国なのさ。
やれる範囲で頑張ってみる。そこにお金を使ってみる。
シンプルだけど、とても大切に価値観を描いたのも素敵だ。
(あのミシン家にもあった。小さい頃よく使ったのだ。懐かし~)
荻上監督に今後も期待!
「かもめ食堂」「めがね」と観てきて、今回も「トイレット」と荻上監督作品を観ました。良かったです。
今回はカナダを舞台にカナダの役者ともたいまさこが演じますが、ちょっとクスクス笑え、のほほん気分もやはりあって最後はほんわかと幸せ気分になる。
今後もこの監督映画は観続けて行きたいと思いました。
同じトイレを共有し合うのが家族
少し長いです・・・。
どこの家にもあるトイレ。ほかの設備はなくても生活できるが、トイレがないのは困る。そんなトイレを話題の一画に置いといて、家族の繋がりを描いていく。
私が小さかった頃のトイレで印象的なのは、農家の離れを間借りしていたときのトイレ。外に6畳ほどの小屋があって、入ると暗くて板が何枚も渡してある。板敷きの下全体が溜め壺で、板の隙間から下が見えて恐い。中央だけ板がなくて、そこをまたいでしゃがむわけだ。次に越したところは家の中にトイレがあった。便器は陶器ではなく、よく時代劇に出てくるような大工が板で作ったヤツだ。やがて親父が家を建てて、便器が真っ白な陶器になった。間もなく親父の仕事の関係で、宿泊施設を持った大きな建物に移り住むが、ここがなんと水洗。和式の水洗だが、当時、街のデパートでさえ汲み取り式だった。昭和37年頃のことだ。
では、なぜそこが水洗だったかというと、その一帯はアメリカの進駐軍が撤退したところで、クラブハウスだの教会とともに、ボイラー室や下水処理の設備がそっくり残っていたからだ。小さな商店街の看板は横文字のままで、店のトイレを借りると洋式だったりする。もちろん水洗で、上に設置されたタンクから鎖がぶら下がっていて、鎖についた木のグリップを引っ張ると水が流れる。便器は陶器だったが、便座は木製だった。
アメリカって凄いなって思ったものである。
それが、今や日本の便器が世界の最先端を行くのだから、文化もまた生き物だなとつくづく思う。日本のトイレの洗浄力の発達は、あるものがあったからという話を聞いたことがある。何度も実験を繰り返すのに重宝なものが日本にはあった。←調味料です
文化の違いは、ときとして衝突を起こすが、笑いのネタになることも多く、この作品はそうした視点で描かれている。
萩上直子という監督、カメラもカットも特別凝ったものではない。同じことの繰り返しによって笑いを取る手法といい、セオリー通りの映画作りに見える。それでいて、ほかの監督にはない独特の間がある。まったりとして、おだやかな空気感が存在する。一歩間違えれば眠ってしまう、そんなきわどいライン上で人間の生態を描くのが巧い。
「かもめ食堂」「めがね」に比べると、本作がいちばん動きがある。
対照的に、何も言わぬが、もたいまさこの存在感は大きい。
家族とは何か? 血の繋がりか?
家族とは互いを思いやる者通しが同じ屋根の下で暮らすこと。
同じトイレを共有し合うのが家族と言っているような気がした。
p.s. もたいさんもエアギターに未練があったんだろうね。「かもめ食堂」で話題に出たものの、当時はエアギターなるものの存在を知らなくて、エアギターのコンテストってどんなのか、エンドロールでやってほしかったけど叶わなかった。今回、きっちり穴埋めをしてもらった。
ほんとに長いトイレになってしまった。m(__)m
なんでエア・ギターやらないんだよ?
9月1日、テアトル銀座にて観賞。
館内の女性率の高さからも場違い感がひしひしとつたわってきました。
期せずして観に行ったものですからこの手の作品が好きな人には申し訳ありませんが…
ヒドイ。ですが観終わった後、憤慨するようなことにもならぬほどののほほん感でした。
ただ、
作品内で成長したキャラクターがホモのモーリーのみだというのが残念
主人公の7:3分けの子だって途中でばっちり通過儀礼で成長出来るシーンがあったののに、「え?なんでそこでプラモ壊すシーン挿れないの?」とか??が多いです。女の子にしたって詩の朗読が通過儀礼らしきものと全く関係ないのが、「なんで?」
だし、
いちばん不思議だったのがエンディングのスタッフロールでもたいまさこが何故エア・ギターをやらんのか?がわけわからん…
結局ばあちゃんは英語を実はしゃべれたんでしょ?としか思えない。
タイトルのトイレットには、レイのばーちゃんへの優しさも込められている。
「かもめ食堂」の荻上直子監督が、カナダ・トロントで撮影した作品。
母親を亡くしたばかりの三人の兄妹が家族としての絆を取り戻すお話。
長男モーリーは、パニック障害の引きこもり。妹リサは、勝気で毒舌の大学生。一番まとも?な研究員の次男レイは、人付き合いはしないロボットオタク。
バラバラだった三人が母の残した小さな家で暮らしはじめるが…、そこには愛猫センセーと、亡くなった母が一年前に日本から引き取って同居させてる祖母?ばーちゃんもいた。
日本人キャストは、このばーちゃんを演じるもたいまさこさん、ただ一人。
セリフもすべて英語。というか、もたいさんのばーちゃんは、たった1回しか喋らない!?
引きこもり、ロボットオタクと日本人的キャラをカナダ人の若手俳優たちが演じているのが、楽しい。
その他、日本的趣味がいたるところに出てくる。
保護者だった母を亡くして一番ショックを受けてたモーリーは、ばーちゃんとの交流で(言葉は通じなくても思いは伝わる)かつて挫折して二度と触れられなかったピアノを弾くことができるようになる。
そして、コンクールにも出場。
個人主義で、妹リサから冷血と罵られていたレイも、ばーちゃんと生活するうちに、兄妹・家族の絆を深めていく。
タイトルのトイレットには、レイのばーちゃんへの優しさも込められている。
ライトに小気味よく響く、草食系映画
荻上監督アレルギーの人は多いだろう。「かもめ食堂」「めがね」など、“クセがある”というイメージが先行してしまうのである。
だけどこの「トイレット」は想像以上にシンプル。舞台・キャストが北米という新しいチャレンジがあるし、描くのはある家族の普遍的な物語。そこまで奇をてらってこない。
いつもの荻上カラーが好みの人には少し物足りないかもしれない。だけど監督のやりたいことはきっちり盛りこまれてるし、必死にそのバランスをとっている気がする。
そのバランスの結果、ちょっと元気をもらえたり笑えるたりするのだが、良くも悪くもそれ以上迫ってくるものはない。ライトに小気味よく響く、草食系映画。もちろん、それが悪いことではないんだけどね。
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