最後の忠臣蔵のレビュー・感想・評価
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【今作は大石内蔵助の願いにより討ち入りを禁じられた侍が、”或る命”を大切に育てる”生き様”を描いた心に染み入る剣劇無き品性高き時代劇の逸品であり、再後半は涙を堪えるのが難しき作品でもある。】
■吉良邸討ち入りに参加した赤穂四十七士でありながら、大石蔵之介の命により切腹をせず困窮する旧赤穂藩士の家族を支える寺坂吉右衛門(佐藤浩市)と、討ち入りの前日に”逃亡した”瀬尾孫左衛門(役所広司)。
”逃亡した”事で、隠れるように”或る命””を元太夫のゆう(安田成美)と大切に育てる瀬尾孫左衛門。
彼が、大石から授かった命は誰にも口外できないモノであった。
だが、”或る命”は16年経ち、美しい娘可音(桜庭ななみ)となり、豪商の息子(山本耕史)に見初められ、嫁ぐことになったのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は剣劇無き、だが品性溢れる時代劇である。そこには、侍として敬愛する主君の命を愚直に、只管に守る二人の男の姿が見事に描かれているのである。
・見所は実に多いが、劇中の随所で「曽根崎心中」の人形劇が描かれている事から、江戸期の高潔な男女の恋物語である事が、推測できるのである。
・大石蔵之介が愛人に生ませた赤子の可音を瀬尾孫左衛門が、雪降る中背負い飛び込んだ貧しき家。そこには元太夫のゆうが居り、彼女はゆうと瀬尾孫左衛門により、育てられる。
そして、可音が美しき16歳の娘に育った時に町に観に行った「曽根崎心中」が掛かる部隊小屋で彼女を見染める豪商の息子。
だが、可音の想い人は、自分を育ててくれた瀬尾孫左衛門。だが、彼は旧赤穂藩の藩士たちにして見れば、討ち入り前に逃亡した卑怯者であり、瀬尾はその想いを知りながら節にはならずに、豪商の息子と結婚して、幸せな人生を送るように諭すのである。
■物凄く沁みるシーン幾つか。
1.婚礼の日、白無垢の着物に身を包んだ可音が、”16年、世話になったの。”と言い、涙を流して”もっと強く抱いて”と願った時に、瀬尾孫左衛門が最初は躊躇いつつ、けれども最後は強く抱きしめるシーン。
2.瀬尾孫左衛門のみが、お付として籠に乗る可音の供をする中、寺坂吉右衛門がそれに加わり、次々に赤穂浪士が馳せ参じて同行するシーンは沁みた。特にその前に瀬尾孫左衛門が大石蔵之介の墓参りに来た時に、その姿を見て激しく罵り蹴りつけた藩士(柴俊夫)が”万死に値する愚行をお許し下さい。”と土下座し、同行するシーン。そして籠の中から可音が”亡き父に代わりお礼いたします。”と優しく告げる姿。
3.婚礼の席に瀬尾孫左衛門はいない。彼は、ゆうと共に居るが彼女からの16年間の想いを打ち明けられ、手をお互いに握るも瀬尾孫左衛門は優しくその手を外すのである。
そして、且つて大石蔵之介から与えられた裃を身に着け、蔵之介の位牌の前に正座し、じっと位牌を見ながら”漸く私も・・。”と言い刃を腹に突き立てるのである。
その際に、彼の脳裏に浮かぶ幼き可音の、可愛らしき姿の数々・・。
そして、早馬に乗って駆け付けた寺坂吉右衛門は、ギリギリ間に合わないのである。
正に”最後の忠臣蔵”である。
<今作は、剣劇無き二人の侍の過酷なる生き様を描いた気品溢れる作品である。特に、今や邦画の名優である役所広司さんと佐藤浩市さんを始めとした数々の名優達の抑制した品ある演技は実に見応えがある。
後半の30分は、涙腺が緩んで来るのを堪え切れなかった逸品でもある。>
死に遅れては恥の恥❗️そちの命をわしにくれ❗️
役所広司さんのお顔が映り忠臣蔵とタイトルにある以上
てっきり、役所広司さん主演でチャン、バラするかと
思っていたが、
見事に期待は外れ、刀とは程遠いところで(ちょっとありましたが)命を賭して主君大石内蔵助に仕える
一人の武士の生き様が描かれていた。
主君浅野内匠頭の仇討ち決行した赤穂浪士46人は、
打首ならぬ切腹が認められ皆殉じられた。
浅学の私めが申すのもおこがましいのですが、
現代もしんどいですが、遠い昔の時代命が軽んじられ、
🇯🇵だと侍は何かと言えば切腹❗️その家族も悲惨な目に。
町民農民なら武士の怒り💢を買えば斬り捨てごめん。
ハァ〜💦
主君の為〜〜⁉️
討ち入り前夜、大石内蔵助に秘密裏に呼ばれ
使命を帯びる瀬尾孫左衛門。その為、逐電し、
皆からは卑怯者と呼ばれる始末。
同じく討ち入り吉良のみしるしを取った後、数人控える中で大石内蔵助から討ち入り迄の様子を伝えて欲しいと拝命仕った寺坂吉右衛門。
16年経ってというのはちょうど大石内蔵助の17回忌にあたるのも含んでいるかと。最後の茅野きわという妻女は夫を亡くし16年武家の出ながらあの粗末な小屋で言うに言えぬ苦労をして来たわけで、
もっと早く小判が欲しかっただろうな、とも思った。
孫左を仲が良かった吉右衛が偶然見かける。
当時人気だった人形浄瑠璃。
本作のもととなる忠臣蔵も当時歌舞伎や人形浄瑠璃でよく演じられた演目だった。
曽根崎心中‼️←可音と孫左の暗示?
観劇していた可音を見染めた呉服屋茶屋四郎次郎の息子修一郎。
茶屋家に骨董を斡旋しに来る孫左に娘探しを依頼する大旦那。
可音の足を湯で洗う孫左、じっとされるがままの可音。幼き頃は一緒ながら可音が長じてからは一段低い板間で食事する孫左。また、武家の者は寂しいという言葉も感情も持ってはならぬとも可音に言い含める。
可音は16年前に孫左が連れて来た赤子、夕霧ならぬゆうに娘のように育てられ、読み書き芸事一般完璧に教わっていた。
可音に好きな人がいると知り、イラつく孫左。
孫左を慕う可音と育て上げた可音をしかるべく家に嫁に出すのが自分の使命と言う孫左。
二人の感情がぶつかり合う。
本音は‥。
密かに男物の反物を買い自ら仕立てようとする可音。
進藤の家の座敷に置いてあった西洋🕰️ 、清朝皇帝のドラマでもよく似たのが出ていた。
とうとう四郎次郎に可音のことを仄めかす孫左。
偶然見かけた孫左の後をつける吉右衛。
孫左は蔵之介の墓参りして、そこで月岡たちと出くわし
恥を知れーと罵られ殴られ蹴られ、
斬られそうになるところ必死に命乞いする孫左。
家に来た吉右衛に、可音を隠し通したい孫左は吉右衛に刀を向けるが、戦っては自分の身も危ういと逃げ、残った者としての苦しさを打ち明ける吉右衛に訳を話さない。
可音の素性を進藤と突き詰め確信を得て可音に会い、多分身分を明かしたことで可音の素性も知らせたのかと。孫左にご苦労と伝えに来た吉右衛。お互いの長年の苦労を分かち合うが。
可音は吉右衛の話から自身の立場を知り意を決したのか、
嫁ぐと言う。
竹林を歩く孫左の決心。
孫左に着物を縫う可音。
十日経ち赤穂浪士の17回忌、
可音も白無垢の花嫁衣装、孫左に挨拶し仕立てた着物を着せ幼きときのように抱いて欲しいと願う可音。
進藤のはからいで松明持った大勢の者たちが歌を歌いながら付き従い、途中から付き従う者たちが。
月岡も孫左に謝る。
松の木の幕が玄関に張ってあった。
浅野家家老も待っていた。
可音は振り返り孫左の顔を確認して一礼して入る。
あの口パクは?
直ぐに帰り蔵之介の仏壇に報告し可音が縫った着物を着てゆうの必死な願いも聞かず‥
意を決し大石家の紋付きを身につけて‥‥
賛否あるかと思いますが、やはり切腹NO‼️
後始末、誰がするんだ。
桜庭ななみさん、ピッタリ。
可音の話し言葉、誰が教えたんだろう❓
忠臣孫左
またしても役所広司の演技のうまさ
大石殿を慕う人々の心
泣きました
原作と脚本の出来が相当いいのだろうか? 1000本以上の映画を見ているが、 この映画は個人的にいちばん泣けた映画かもしれない。
動画配信で映画「最後の忠臣蔵」を見た。
劇場公開日:2010年12月18日
2010年製作/133分/G/日本
配給:ワーナー・ブラザース映画
役所広司
佐藤浩市
桜庭ななみ
山本耕史
風吹ジュン
田中邦衛
伊武雅刀
笈田ヨシ
安田成美
片岡仁左衛
門柴俊夫
池宮彰一郎原作
杉田成道監督
赤穂浪士の吉良邸討ち入りで、
大石内蔵助率いる46名が切腹により主君に殉じた。
しかし瀬尾孫左衛門(役所広司)と寺坂吉右衛門(佐藤浩市)はともに
討ち入り前に逃亡したとされていた。
瀬尾孫左衛門と寺坂吉右衛門は実在の人物であるが、
この物語自体は池宮彰一郎の創作らしい。
映画化もドラマ化もされているが、自分はこの作品のことは知らなかった。
2人が討ち入りに加わらなかった理由が描かれている。
役所広司
佐藤浩市
桜庭ななみ
安田成美
片岡仁左衛
門柴俊夫
出演者の演技が皆すごくいい。
映画を見て泣けることはよくあることである。
原作と脚本の出来が相当いいのだろうか?
1000本以上の映画を見ているが、
この映画は個人的にいちばん泣けた映画かもしれない。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
生娘に恋され、理性と使命感でなんとか踏みとどまるおっさんの話。羨ま...
主人の命を命がけで護る武家の覚悟
忠臣蔵のその後を描いた作品。 歴史の生き証人を命じられた赤穂浪士と...
佐藤浩市!
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』では討ち入りに参加できなかった佐藤浩市。大石内蔵助の命にて行動する彼には一点の曇りもない使命感に満足できる16年であったことが伝わってくる。そこへ討ち入り前夜に逐電脱盟した瀬尾との再会なのだ。
瀬尾と一緒に暮らす年頃の女子・可音(桜庭)。明らかに家来の立場で接する瀬尾。その可音に一目惚れした豪商茶屋家の倅。ところが嫁にするには身分がはっきりしなきゃダメ。瀬尾には、やんごとなきお方の忘れ形見とだけしか言えないのだ。最初は乗り気ではなかった可音だったが、瀬尾孫左衛門に抱いた淡い恋心も叶わぬものと知ると、縁談を承諾する。
16年間の忠義。単に大石内蔵助の隠し子を育て上げるという単純なものではない。四十七士の裏切り者として身内からも世間からも疎まれる立場なのだ。おかげで人知れず竹林の隠れ里で暮らさなくてはならなかったのだ。ましてや公儀からは罪人とされる立場。隠遁生活は苦しいものであったであろう。
婚礼が決まり、祝言に向かう花嫁可音の御一行。途中、元浅野家家臣と名乗る侍が次々と現れるところは号泣モノ。一度は瀬尾を罵り斬りかかった者までもが彼を称え、列に加わってゆく。
最初は寺坂が役目を終えて切腹する方向に進むかと思ったけど、最後の忠臣蔵は瀬尾だったのですね。世話になった元夕霧太夫のゆう(安田成美)が瀬尾に死なないでほしいと色恋で迫るも、武士たるもの女に動かされるものではない。自分に厳しく、窮屈な生き物なのだ。寺坂と違い、後世に真実を伝える術もない。赤穂浪士の後を追うように切腹するシーンは痛く、重く、物悲しい。祝言の席から姿を消した瀬尾を追いかける寺坂。わずかで間に合わず腹を切った後。介錯しようとするも、「介錯無用!」と自らの首を斬る瀬尾であった・・・
【2010年12月映画館にて】
どこまでも美しく、どこまでも悲しい映画。
忠臣蔵の16年後の話。
ストーリーに引き込まれた2時間半、見ごたえがありました。
別所広司、佐藤浩市の2人の演技の安定感と武士の顔になたっときの凄みは流石です。
くわえて、安田成美と桜庭ななみの美しさに何度も見とれてしまいました。外見だけではなく、所作や佇まい、話し方すべてが美しい。
終盤の嫁入りのとき、家を出るときは別所広司の付き添いだけだったのが、浅野家の元家臣が次々と加わっていき、それに堂々と「まみえることの叶わぬ亡き父に代わり、御礼申し上げます」と立派な言葉をかける可音が気品に溢れていて、孫左衛門がいかに立派な育て方をしかたがわかる場面だった。
ラスト、孫左衛門がゆうからの一緒に暮らそうという涙目の申し出をと言い断り、可音との思い出を回想しながら最期を迎えるのを見て、「武士だから」というのはそういうことなのか、と意味を悟りました。忠臣蔵とはそういう世界観なのですよね。
どこまでも美しく、どこまでも悲しい映画でした。
最後の赤穂武士
Amazonプライム・ビデオで鑑賞。
原作は未読です。
吉良邸討ち入り前日に逐電した孫左衛門と、討ち入り後に大石内蔵助の命で生き残った吉兵衛―ふたりの赤穂武士の姿を通して、誰もが知る「忠臣蔵」のその後を描いた人間ドラマ。
孫左衛門が抱える秘密と、“おひぃさま”可音に秘められたものにミステリーを持たせて、背後に隠された人々の想いが交錯しました。吉兵衛の生き様が対比となる構成が秀逸。
殉じることを許されなかった。生き抜けと命じられた。宙ぶらりんになった心と、使命を果たさんとする心…。忠義と愛に彩られた想いの結末に、侍の矜持と美学を感じました。
人間関係の厚さ
人が生きることの意味とは
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