嵐が丘(1939)のレビュー・感想・評価
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原作を知らなくても楽しめるが
原作はこんなもんじゃないんすよ。狂気が足りない。スケールが小さい。非常にポップな仕上がり。ラブロマンス映画を撮りたかったのなら、無理に「嵐が丘」を原作にしなくても良かったのでは。まぁ、楽しめたので許す。
嘘。許せない部分はある。本当に「嵐が丘」を撮りたかったのであれば、原作の後半をごっそり削いだのはいただけない。こっからってとこよ!?こっから愛と憎しみのドロドロの復讐劇よ!?まぁ、なんとなく嫌な予感はしましたよ?「104分…?収まるのかなぁ…。」うん、収まる訳が無い。これ程の超名作小説を原作に映画を撮るのなら、尺なんて気にしてる場合では無いのです。イワン・プィリエフ監督の「カラマーゾフの兄弟」(230分)を見習って欲しい。配給会社から何言われようと、原作主義で通して欲しかったです。
とはいえ、ラブロマンスとしては良い作品です。ヒースクリフとキャサリンの面倒くさい性格を軸に、すれ違いや感情の起伏を描き、ロマンチックなラストへ展開していきます。音楽も雰囲気たっぷりに盛り上げています。
余談ですが、主演の2人が撮影中険悪な関係だったことが作品にとってプラスになったというエピソードはある意味本編より面白い(笑)
物凄く良かった。
キャシーが死んでしまうまでは。
キャシーとヒースクリフの関係性が素晴らしく好きで、
性格を追っているだけで愛し合っているのがわかるし、
本当に我が強い二人だからこそ、寄り添え無かったのもわかる。
ああやって傷つけ合いながら愛し合っている、
愛しているから傷つけてしまう関係が本当に好き。
巻き込まれた方は、溜まったもんじゃないけどね。
ローレンス・オリビエ
原作を読んだことがないので見てみた。
ヒースクリフは原作よりも優しめに描かれているようだが、これくらいで十分。それよりも罪が深いのはキャサリン。一番哀れなのはイザベラだった。
モノクロだが、セットも衣装も良いように思った。
名前だけを知っていたローレンス・オリビエを初めて見たが、体格がよく風貌もワイルドよりで、とても魅力的なヒースクリフだった。
結果的に二人は愛を貫いたのかもしれない。 しかし、周りの人たちを不幸にしたと思う。 登場人物の中でいちばん常識的な人だった エドガーとイザベラがとても気の毒だった。
NHKのBS放送で映画「嵐が丘(1939)」を見た。
劇場公開日:1950年12月1日
1939年製作/104分/アメリカ
原題:Wuthering Heights
ローレンス・オリヴィエ
マール・オベロン
デヴィッド・ニーヴン
ジェラルディン・フィッツジェラルド
「嵐が丘」と言えばオレにとっては
ケイト・ブッシュのヒット曲だ。
学生の時にレコード店ではじめてその曲を聴いたとき
強い衝撃を受けたことを覚えている。
明石家さんまの番組のオープニングで
長らく使われたので知っている人も多いと思う。
ケイト・ブッシュは
ドラマ版の「嵐が丘」を見てその曲を書いたらしい。
キャシーの父は街で孤児を保護した。
それがヒースクリフだった。
ヒースクリフはキャシーと愛し合うことになる。
後にキャシーは隣家のお金持ちのエドガーに求婚される。
キャシーの心はエドガーとヒースクリフの間で激しく揺れ動く。
傷心のヒースクリフが家から姿を消した後、
キャシーはエドガーと結婚。
幸せな結婚生活を過ごしたが、
米国に渡り成功したヒースクリフが戻ってくる。
嫉妬に狂ったヒースクリフはエドガーの妹イザベラと結婚。
それは心からの結婚ではなかった。
終盤には悲劇的な結末を迎えるのだが、
結果的に二人は愛を貫いたのかもしれない。
しかし、周りの人たちを不幸にしたと思う。
登場人物の中でいちばん常識的な人だった
エドガーとイザベラがとても気の毒だった。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
ヒースクリフの復習劇とキャシーとヘアトンの恋愛劇のはずだ。
先ず感じた事は『ペニストン』って男性の象徴だと思うが、何を意味するのか?
映画と小説は別の芸術だから、比べる訳には行かないと思う。しかし、この映画には原作があって、原作と同じ題名なのだから、原作の持つ主旨を変えては駄目だと思う。
この映画を見る限り、主旨を大きく変えているとまでは言えないが、ヒースクリフの性格が、名優ローレンスオリビエの印象に、悪い影響を与えない程度に描かれている。その点が共感できる範疇ではなかった。
また、映画の尺があるから、その時間の中で
100%表現する事は難しいと感じる。しかし、この原作は3代に渡る貴族2家族の愛憎でなければならない。それが、この映画では、2代に縮小されて、ヒースクリフとキャサリンの恋愛だけに収められてしまっている。ネタバレになるが、ヒンドリーはフランソワとの間にヘアトンと言う子供を作り、キャサリンはエドガーとの間にキャシーと言う子供を産んでいて、その続きがまた、恐ろしい愛憎劇を繰り広げられる。つまり、この映画は片手落ちの次元ではなく、原作の10%にも満たない。
さて、原作本の挿入画をバリュティスと言う画家が描いているが、僕は、この画家の展覧会を見に行って、『嵐が丘』のリトグラフを拝見させて頂き、その『オドロオドロした姿』に『嵐が丘』と言う題名がぴたりと感じ、原作を読む気になった。(6年くらい前)
読後、一人の貴族の気まぐれで、拾ってきた『ロマ』の子供に、メチャクチャにされる貴族の落ちぶれ方が、痛快で僕は感動したと記憶する。(あくまでも、僕のその時の解釈)(映画では、ヒースクリフが中国とインドとの間の貴族の子となっているが、原作は拾ってきた浅黒い子になっている)
キャシーとヘアトンで大団円になると言うことは、ヒースクリフの血は途絶えたという事だ。つまり、ヒースクリフは最初から招かれざる客で、彼の復習劇は、保守的なイギリス社会を前にして、一瞬で終わったという事だ。
原作は言うまでもなく、傑作だと思う。
どこでも二人の心は繋がっている。
1939年の映画で、私は小学生の高学年の時、エミリーブロンテの原作(1847年)を読んでいて、高校生か大学生の時、原作をもう一度と読んだ。原作と映画は違うし、ヒースクリフの執念深さが恐ろしくなった 。映画ではヒースクリフ役のローレンスオリビエの暗いイメージを記憶している。この映画や原作で記憶にあるのは、ヨークシア地方の嵐が丘の、冷たい冬の風と二人の引き裂かれない愛の証だったペニストン クラグという岩の城。お互い、自分の肉体がどこにいようと心の中で二人は繋がっている。でも個人的には当時、時代背景や土地勘がなくて、日本の文学全集のような深い感銘を受けず、地域的にも、二人の強烈な愛や仕返しが怖かったというイメージが強かった。今回、何十年ぶりに映画でみようかと思い、やっぱり、ローレンスオリビエのが観たい思った。
エミリーブロンテやシャーロットブロンテ、ジェーンオースティンなどのクラッシックにストー夫人、マークトウェイン、ジョンスタインベックなどを読んで育ったが、UK文学より、米国文学の方が力をもらえるので好きだった。
嵐が丘はかなりリメイクされてるがローレンスオリビアの嵐が丘かしか観ていない。時代背景は難しいが、二人の愛情、憎しみがな表裏一体でなにか今の社会でも共通性がある気がする。感情が容易に溢れ出るほど強い二人は二人が結ばれる宿命にあるはずだが、キャシーはヒースクリフより裕福な生活のエドガー方に目が向いてしまう。でも、離れていてもお互いの存在が感じあえるのがわかるっている。心が一体になっている。何で心が作られていようが二人の心は同じだとキャシーは言う。そして自分はヒスクリフだとも.そして彼が苦しむことは私も苦しむと。シンプルだが一心同体の力強い愛の表現だ。キャシーはヒースクリフを罵って罵倒しても、お互いが感じあえる存在であるから、許しをこう。それに、何か原始的な愛情の表し方をする。例えば私はあなたの奴隷ですというような。これは時代背景から言えるのかなと思ったが、キャシーの夫はまるっきり違う。クリスチャン教養の違いかと思ったが、どうかなあ?間違いなくキャシーとヒースクリフは似たタイプの人間で同じ感性の持ち主なんだと思う。ヒースクリフが『なぜ神が私に命をくれたのか』とイザベラにいうシーンは明らかにかれは『生きるしかばね』になっている。イザベラにひとかけらの愛情もあげられない。ローレンスオリビエの演技は(目の動き)は彼の気持ちをよく表しているし、エミリーブロンテの表現をそのまま残しているようで、このクタシックスタイルの言語も上等だ。
この映画でショックなシーンは夫のエドガーがキャシーがヒースクリフをまだ愛していると知るシーンである。エドガーの妹とヒースクリフを結婚させないでと泣きつくシーン。強烈であり、育ちが良くキャシーを心から愛してるエドガーの失望して立ちすくむ様子が痛いようにわかる。キャシーの死の床のそばにすわるシーンでも、エドガーは『祈り』を捧げる。でも、ヒースクリフは『貴方は私が生きている間は休むことができない』と 彼女に負いかぶさって、泣く。この二人のキャシーに対する愛情は同じだと思うが、表現の仕方、感情の表し方が違う。
蛇足:
キャシーはアメリカ映画の風と共に去りぬのスカーレット・オハラ(ビビアンリー)
のように気性が強いね。
わがままキャッシー
マールオベロン扮するキャッシーとローレンスオリヴィエ扮するみなしごのヒースクリフは子供の頃から仲良く暮らした。キャッシーの父親が亡くなりヒースクリフはキャッシーの兄ヒンドリーに冷たくあしらわれた。ある日、舞踏会をふたりでのぞきに来た時、犬に噛みつかれキャッシーは怪我をして、ヒースクリフは出て行った。ヒースクリフは野蛮な者と扱われていたが、キャッシーは馬屋番のヒースクリフを愛していた。しかし、キャッシーがエドガーにプロポーズされた事にショックを受けたヒースクリフは姿を消してしまった。上流階級のお嬢様と使用人の愛は果たして続くのか? お互いに意地をはったあげく、お互いの配偶者を裏切る様な展開で、キャッシーのわがままによる不幸な愛かな。
Heathcliff ! It‘s me. I'm Cathy. I‘ve come home !
「恋」とはかくも激しくかくも恐ろしいものなのだと強烈な印象を与えてくれた作品。この後今日まで「恋」についてこれ以上にインパクトを与えてくれる映画にはまだ出会えていない。尚、原作の方は後日読んだが、この映画は原作の前半部分だけを映像化したものであって『小説・嵐が丘』の完全映画化ではありませんので。ヒースクリフとキャサリンとの愛憎のエッセンスを抜き出したものと思った方が良い。だからこの映画では一層「恋」とは相手への所有欲であり渇望であり憎しみであり一体化への願望であり、自分は相手であり相手は自分であり、二人で一人であり…を純粋な形で結晶化出来たのだと思う。こんな「恋」は一生で一回しか出来ないだろうし、死んでもそら化けて出てくるわな。
原作あってこその映像作品
イギリス、ヨークシャーの嵐のような風のきついムーアの荒野の丘に立つ一軒家のお屋敷が舞台
そこのお嬢様キャシーと、街で拾われて来て子供時代から一緒に育った元浮浪児のヒースクリフの悲恋の物語
世界三大悲恋物語、世界十大小説のひとつと言われる同名文学小説の映画化作品
映像がなかなかみごと
当時としては珍しいローアングルからのパンで登場人物を追いかけるとかしてみせます
ややこしい原作を整理して分かりやすくした脚本で、出演者がみな良い演技なのですが、
いまいちはしょりすぎて、それぞれに感情移入しづらかったのは確かです
映画単体では正直忍耐が要求されました
ワイラー監督の手腕とオリビエ
ウィリアム・ワイラー監督の格調高い名作
白黒の計算された画面構成が 美しい
若きオリビエの アメリカ進出第一作だが、英国演劇界をこのあと引きいてゆくのが、私でも予想される存在感だ
演技力はもちろん、タキシードって こう着るのね、と思わせる姿
ハンサムだが その重厚さが、 より舞台の方に 向いている感じはする
マール・オベロンは美人だが、ドレス姿より 嵐が丘で風に吹かれている方が、自然で美しい
適役だろう
私生活でも 華やかな恋愛遍歴がある人で、何か 受け身ではない、強さを感じる
この二人は 仲が悪かったらしいが、それがいい意味で パッションを感じさせるのかも
有名な物語で 私達がイメージするものを、ワイラー監督はきちんと映像にして見せてくれている
なお、ヒースクリフと結婚する 義妹役の ジュラルディン・フィッツジェラルドは 有望な若手女優だったが、主張が強く 仕事を干され、困難な道を歩んだ
将来を感じさせる、知的な美貌の持ち主であり とても残念である
その後、トニー賞に 女性演出家として 初ノミネートされているが、女優としては 時代に合わなかったのかもしれない
早く 生まれ過ぎた不幸、みたいなものを 感じる
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