ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト : 特集
ストーンズ&スコセッシ ニューヨークプレミア会見
──コンサートの演目(セット)リストについてですが、今回、よりブルージーでスロウなナンバー中心になったのは皆さんの年齢と関係しているのでしょうか?
キース「ワッハハハ(爆笑)」
ミック「うーん……18カ月も前のことだから、もう忘れちゃったよ(苦笑)」
キース「セットリストは、いつもミックが考えるものなんだ。だって、歌わなくちゃいけないのは彼だからね。突然俺が『おい、ミック、10曲同じキーだぜ』とでも言わない限り、俺が言い争うこともない。そうやって俺らの演目リストはつくられる。だって、歌うってのは大変なことだからな」
ミック「僕としてはその夜に最適だと思う曲を選ぶだけなんだ。『これは、だから』なんて理由づけを考えたりしていないんだよ」
──スコセッシ監督、あなたがとらえたかった一瞬は何だったのですか?
マーティ「それは、バンドが渾然一体となってライブを作り上げていく瞬間がかいま見えるシーンだ。それぞれの曲は物語のようで、バンド全体の音は映画のキャラクターみたいなものだ。しかも1曲ごとに、また違うキャラクターがある。世界最高のカメラマンたち──ロバート・リチャードソンを筆頭に、ロバート・エルスウィット、ジョン・トール、『ロード・オブ・ザ・リング』をやったアンドリュー・レスニーらが最高の瞬間をとらえてくれた。35ミリのフィルムで撮影したから、10分間でフィルム交換をしなくてはいけなくて……、フィルム交換が連続するというあわただしい撮影だった。だから連続するシークエンスを撮るために、20台ほどのカメラが必要だった。その撮影しているメカニズムが、まるで曲ごとに何かが生まれるマシンみたいだった」
──60年代のドキュメンタリー映像が挿入されますが、その中で「60歳になっても演奏していると思いますか?」と聞かれたミックは「もちろん」と答えていましたが、70歳になってもバンドを続けていますか?
ミック「それは分かんないなあ」
キース「でも、あとたった5年しかない(一同、爆笑)」
マーティ「そんなに先の話じゃないよ。その映像を選んだのは、編集のデビッド・テデスキなんだけど、選ぶのに9、10カ月を要したんだ。あの夜のライブシーンの編集はすごく楽しくて、予想よりも早く完成してしまった。ところが、一番難しかったのは、過去の映像をどうはめ込むかで、デイブは400時間以上の素材に目を通し、40時間くらいにまとめてくれて、それを私が見て、編集していった。選ぶ決め手は(ライブシーンとの)バランスで、何かを語っているけれど多くを語りすぎていなくて、あるいは何も語っていないものを用いた。ライブシーンを壊さないような映像がカギだった。4、5時間のドキュメンタリー映画を作れるほどの膨大な素材があったね」
──(スコセッシ監督へ)アルバート&デビッド・メイスルズ監督の「ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター」(69年)の影響が見受けられましたね。
マーティ「メイスルズ兄弟は、その後のストーンズのライブ映画の素晴らしい作品の数々に、大きな影響を与えたと思う。ハル・アシュビーの『ザ・ローリングストーンズ』や、ジャン=リュック・ゴダールの『ワン・プラス・ワン/悪魔を憐れむ歌』にもね」
キース「『コックサッカー・ブルース』(写真家ロバート・フランクの監督作品)も忘れないでくれよ」
マーティ「もちろんさ(笑)。ゴダールの映画は、名曲『悪魔を憐れむ歌』がレコーディングスタジオで完成するまでがとらえられていて、本当に感動的だ。本作はそういう過去の作品から大きな影響を受けているよ」
──映画の始めと終わりにスコセッシ監督本人が出演していますが、ストーンズのメンバーの方の感想は?
ミック「あのエンディングで、マーティが何人もの人たちから演技指導を受けなくちゃならなくて、大変だったよ(一同、爆笑)」
マーティ「うん、そうそう、あれは悲しい体験だった。私はイライラすると、(おでこに手をあてながら)こんな風にするらしい(笑)。あれは、不運な監督を笑い者にしてみせるという効果を狙ってのことだった。それに、ユーモアを交えたかったのさ(爆笑)」
ミック「どうもありがとう! レディース&ジェントルマン!」