NINE : 映画評論・批評
2010年3月16日更新
2010年3月19日より丸の内ピカデリー1ほかにてロードショー
イタリア映画が世界の頂点に君臨していた時代への愛おしいオマージュ
オリジナルの「8 1/2」については、フェデリコ・フェリーニの自伝的な<私映画>にしてアート・フィルムの最高峰という評価はいまだに揺るぎない。ロブ・マーシャルが、このミュージカル映画版で、映画作家の創作の苦悩を描くというハイブロウな芸術志向を廃棄し、甘やかな通俗さ、フェリーニの尋常ならざる情熱的な女性崇拝にのみ焦点を絞ったのは大正解だった。
冒頭から「8 1/2」のクライマックスであるハーレムの幻想シーンが再現され、一挙に引き込まれる。つまりは、全篇が撮れない映画監督グイド(ダニエル・デイ=ルイス)の内面の遍歴ではなく、常に強い女たちの手厚い庇護を必要とするマザコン男のエロティックな白昼夢として視覚化されているのだ。巨大な怪女サラギーナのエピソードも砂のイメージと戯れるダンサーたちのスペクタクルな群舞として変奏されている。
「8 1/2」以外のフェリーニの名画がパロディ的に引用されるのも楽しい。クラウディア(ニコール・キッドマン)がパパラッチに追走される場面には「甘い生活」のアニタ・エクバーグのイメージが重なるし、「裏道」のオーディション風景の回想における妻のルイザ(マリオン・コティヤール)の大きく見開かれた瞳には、「道」以来、公私共にフェリーニのミューズだったジュリエッタ・マシーナを彷彿させる瞬間がある。
ペネロペ・クルスをはじめ、今、最も艶やかな女優たちが束の間のレビューのように官能的な歌と踊りを披露するのはまさに眼福だが、ケイト・ハドソンのラテン的な陽気さにあふれたナンバー「シネマ・イタリアーノ」で、その魅惑は一気に炸裂する。1964年を背景にチネチッタ撮影所で撮られたこの作品は、イタリア映画が世界の頂点に君臨していた時代への愛おしいオマージュでもあるのだ。
(高崎俊夫)