甘い生活
劇場公開日:2020年7月31日
解説
イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの代表作の1つで、ゴシップ紙の記者の目を通し、1950年代後半の退廃したローマ上流社会を絢爛に描いた作品。作家を夢見てローマにやって来た青年マルチェロは、現在はゴシップ紙の記者として享楽的な日々を送っていた。彼はナイトクラブで出会った大富豪の娘と一夜を過ごし、取材したハリウッド女優と狂宴を繰り広げる。そんなある日、友人家族を訪ねたマルチェロは安らぎに満ちた彼らの生活を羨むが、友人は子どもを道連れに無理心中してしまう。絶望感に苛まれたマルチェロは、狂乱の渦へと身を投じていく。主演のマルチェロ・マストロヤンニは本作で一躍世界的スターの座へ駆け上がった。第13回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。1960年製作・公開。フェリーニ生誕100年を記念した「生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭」(2020年7月31日~8月20日=東京・YEBISU GARDEN CINEMAほか)で4Kデジタルリマスター版が上映。
1960年製作/174分/イタリア・フランス合作
原題:La dolce vita
配給:コピアポア・フィルム
日本初公開:1960年9月20日
スタッフ・キャスト
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2020年1月29日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
生誕100年を迎えたフェリーニの代表作。ローマの大通りに集いし豪華セレブやパパラッチ、それを取りまく野次馬たちを配しながら7つのエピソードが紡がれる。その中心にはマストロヤンニ演じる新聞記者。彼の目を通して描かれるこれらの出来事は、すべて当時のタブロイド紙を賑わせた実際の事件が基になっているそうだ。ストーリーとしての繋がりはないものの、時代の流れや社会の蠢きを大局的に活写しようとした壮大な目論見がうかがえる。
冒頭、キリスト像がヘリで吊り下げられながらローマ上空を寺院まで飛行する描写であっけにとられ、中盤の「マリア様を見た!」という少女たちとそれにあやかろうとする野次馬たちの一大騒動、それからトレヴィの泉で戯れる女優と主人公、さらには浜辺に打ち上げられる怪魚の描写に至るまで、幻想的で視覚的な面白さはとどまるところを知らない。フェリーニが映像の魔術師と呼ばれた所以を存分に堪能できる傑作だ。
ゴシップ紙の記者というパパラッチの片棒である主人公は、庶民から上流社会の人々と付き合う。夜のローマ、恋人、愛人、海辺のこと、父との関係、友人、殺人、その全てが退廃していく。キリストはなぜ答えない。風貌の変わった主人公は、あの海辺で再開した少女の言葉さえ聞き取れなくなる。波の音が強い。それでいい。男は変わった。
物語は幻想的であり現実的でもある。
フェリーニは何を描きたかったのか
はっきりとは分からないが
「崩れてゆく何か、見えない何か」
何度観ても答えはそこになる。
※
2023年2月3日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
頽廃。
いろんな女と浮き名を流す記者が主人公。ちょこちょこ話はあるが、どれもこれも面白くない。
・突如始まるマリア騒動。なんだった?
・父親騒動。これもまたなんだった?
・ラスト間際の乱交パーティー。危険。日本人もこの感覚で多数がレイプ被害に。もはや見ていて虫唾が…
ところどころにぶち込まれるセックスの話題。これが芸術というなら、私にはちょっとわかりませんね(笑)イタリアもフランスと似た感覚ですかね。互いの国民たちはあまりよく思ってないらしい(どっかで聞いた)のが面白いですね。
ネタバレ! クリックして本文を読む
同じような馬鹿騒ぎシーンが長すぎて、正直何度も眠くなってしまった。
しかし、これが、観終わってみると、いくつかのシーンがとても印象に残っており、けっこう考えさせられる。うーん、やはり深い映画だった、と思った。
まず冒頭のシーン。この場面は、この映画を象徴するシーンだと思う。宗教がその役割を果たさない世の中。金儲け主義と不道徳がはびこっている。その中で何も考えられない人びとが何も考えず今日を生きる。
シルヴィアという女優を追ってマルチェロはヴァチカンの塔に登っていくシーン。他の記者たちの脱落をよそに彼はひたすら駆け上がって、彼女と遂にてっぺんに辿り着く。勝利者だ。しかしそこには、あとは飛び降りるしかないと言わんばかりのどん詰まりがあるだけだった。
友人スタイナーの登場。彼の素晴らしく自制された様子は、少々辛そうで壊れるのを抑えている感じが伝わり絶妙だった。彼はマルチェロにとっては、救いの選択肢の候補だった。彼が子供を道連れにしたのは意味があったのだろう。
マルチェロの父親も登場する。父親はふつうに快活で、楽しく生きる術を知っているように見える。でも、あっけなく彼は帰ってしまった。親も、もはや行くべき道を示してはくれない。
そして繰り返されるエマとの口喧嘩。「母性の押しつけ」を嫌がるマルチェロ。エマの自殺未遂の勝手さ。彼女の愛は本当に愛と呼べるのか。
そして何と言っても最後のシーン。夜通しどんちゃん騒ぎをして疲れ果てたマルチェロと対比的に、少女の驚くほど美しくみずみずしい顔が眩しく映し出される。
さすが、深い映画だった。
しかし、それにしてもやはりどんちゃん騒ぎのシーンは退屈だったかな…