マン・オブ・スティールのレビュー・感想・評価
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SF映画として面白かった
スーパーマンの最新作です。これまでのスーパーマン映画は観たことがないのですが、ちょっと時系列がわかりにくいところはあるものの、普通のSF映画として面白かったです。スーパーマンになるまでのストーリーなので、従来のスーパーマン映画としては違和感があるのかもしれませんが、バットマン三部作の「バットマン・ビギンズ」を思わせて興味深かったです。今後の展開が期待されます。
ラストの詰めに失敗したのが惜しい
新作スーパーマン。
アクションシーンが現代クオリティで「スーパー」な感じが非常に良く表現されてました。これならマーベルヒーローたちにも負けないかな。
生まれてから地球に送られる経緯に始まり、地球人との違いを受け入れるまでのストーリー展開に、一般に語られるスーパーマンが「生まれる」までを見せるんだな、とわかってからはただアクションを楽しませてもらいました。
続編はどうとでも作れる終わり方ですが、ここに大きな違和感がひとつ。
止むを得なかったとはいえ、首都「メトロポリス」をあれだけ大規模破壊したのに(しかも顔バレバレで)、被害にあった人数は洒落にならない規模だと思いますが、次の場面では何事も無かったようにスーパーマンも受け入れる社会って・・・あるのでしょうか。
どこかで見たようなシーン
スーパーマンは、映画版のクリストファー・リーブの頃から見ていたんですが、今回のはどこかで見たようなシーンがあったと気づいたら『マトリックス・レボリューション』でした。
ゾッド将軍とケントが激突してビルも破壊されるシーン、あれはマトリックス・レボリューションにも出ていた。
でも、惑星クリプトンのシーンや宇宙船の質感が向上しており、映像技術の進歩を痛感せざるを得ませんでした。
物足りない
画面からほどばしる臨場感。今年の作品の中ではトップクラスであろう。
しかし、私はこの主人公にあまり魅力を感じることは出来なかった。
使命だからってなぜ人類を助けるの?そこに自分の意思は無いのか?と主人公に問いかけた。
使命を探すのが僕の生きがいという感じだったが、いざ見つけたとき、はいそうですかと安々と引き受ける主人公が分からなかったのだ。感情は普通の人間と変わりない。これから救世主ですと言われたら普通は戸惑う。スーパーマンが振るう拳がちょっと安っぽく感じてしまったのだ。映像の威力だけではなく、鉄拳振りかざすヒーローの覚悟やら口上が欲しかった。たとえいかしたスーツを着ても私の中ではまだヒーローになる前のケントンだった。
コデックスって何?
ドラゴンボールだ!!
ザック監督のヒーロー像
『ウォッチメン』でアメコミの意義の解体に挑んだザック監督(ほんとか?)、
そんなザックがなぜスーパーマン?という洒落臭い疑問なんか軽く吹っ飛ばす超弩級の戦闘シーンだった訳だが。
なんでザック監督はあんなにビルを壊すのか?燃やすのか?
映像的にたくさん壊した方が面白いよねっていう単純な理由もあると思うんだが、それだけじゃないと思う。
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この映画、途中からスーパーマンじゃなくてDr.マンハッタンになっちゃってる気がしたんだけど。
Dr.マンハッタンって、あれです。『ウォッチメン』に出てくるもの凄い超人。
超人なので人間的な狭い視野では物事考えない。宇宙規模で考えるので、「地球救えるんだったら多少の人間が犠牲になるのも致し方ない」って所にいきつく超人です。
カル=エルの闘いっぷりも正にそんな感じで。
ビル壊そうが燃やそうがそんな多少の犠牲より、ここで敵を倒しておかんと地球丸ごとやられちゃう訳で。
こまけぇこたぁいいんだよ!大局を考えろ的な闘い方で、超人的にはある意味正しい。負けたら大変だし。
人間的な尺度で不謹慎とか言ってもしょうがないです。
恐らくそれがザック監督の考える超人=スーパーマンな訳で、筋が通ってるちゃあ通ってる。
でもそれって、映像的にビルたくさん壊すと面白いからっていう理由より、数段怖い。
かつてのスーパーマンのキャッチフレーズって「真実、正義、そしてこれがアメリカのやり方だ」な訳だけど、
今回の新スーパーマンの闘い方が現代の正義だとすると、ちょっと怖い。それを正義として飲み込めって言われてもなあ。
何より怖いのは「平和のためなら多少の犠牲も止むなし」的な事例は、現実に多々起きているってことかなあ。「現実の方がよっぽど残酷」とザック監督は嘯いているようにも見え、彼の破壊シーンを褒める事も貶す事も私には出来ないんである。
ザック監督の映画みて国際問題語るのも、かなり恥ずかしいっちゃ恥ずかしいんだが、やっぱり怖いという感想になっちゃうなあ。
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今回のスーパーマンに限らずザック監督の描くヒーロー像は、いつもチョッと怖い。
それでも何故かザック作品は嫌いになれないので不思議だなあと思う。
(最初書いた感想を削除して再度書き直したくらいなので結局好きなんだと思う。)
思ったより超大作だた
悩んでないで飛んで行け。
まずは、おめでとう。良かったねぇ~!H・カヴィル。
スーパーマンの続編が監督交代でB・シンガーになった後、
007やら、白塗りヴァンパイアやら、候補に上がったのに、
やれ若い、やれ歳をとってる、とタイミングが合わないまま
辛酸を舐め続けた彼が、よ~やく満を持してスーパーマンに。
長かったよねぇ…本人としては(T_T)
今作で悩みに悩むクラーク・ケントですが、カヴィルの悩みも
それに匹敵する長さ&辛さだったでしょう。
で。そのカヴィル。
う~ん、顔も身体もなかなか。かなり鍛えた感がアリアリv
確かにちょっと背が低いか…?今までのスーパーマンよりは。
まぁでもそんな、細かいことは許してあげましょう。
待って、待って、やっと正体が明かせたクラークさんですから。
いやしかし、街が壊れすぎ(爆)といっても過言ではないほど、
よくもぶっ壊してくれたな~!感もかなりあるんですけどね^^;
(どうして地球外でやらなかったの)
初代シリーズ~前回リターンズ~は、コミカル色アリですが、
75年も経つと世界的に様々な諸事情が変わってきてるようで、
今回のはまったく新しい(そう言ってたけど)スーパーマンです。
ダークなのね~。
C・ノーランとZ・スナイダー感、全開大放出!という感じで。
今回のクラークはものすごく苦悩していて、可哀想なくらい。
こないだも感想でちょろっと書いたけど、
今や世界的にヒーローは苦悩するんですねぇ、昔とは違うのね。
悩んで悩んで成長し、それを乗り越えて自らの使命に目覚める…
それまで観客はずっと待つのね、ひたすら待つんだ、親のように。
ゴメンね、母さんはちょっと前半で眠たくなってきちゃって(汗)
これじゃあ生みの親にも育ての親にもなれないわねxx
しかし暗いながらも親心は全開してましたね。
(殺されても)何度も登場してくる生みの親ジョーのR・クロウ。
いや~良かったです。彼が出てきて説明してくれないと、カルが
自らの使命について、さらに先まで悩んでしまうところでした。
滅びゆくクリプトン星から息子だけでもと救い出すのは正に親心。
そして育ての親ジョナサンのK・コスナー、久々に見たけれど
あんまり変わってない(歳とったのにね)相変らず農場が似合うし。
奥さんマーサのD・レインなんか、どんどん婆さんになっちゃって
(年数が経つから仕方ないんだけど)うわぁ~って感じだったのに。
しかしどちらもクラークを想うという意味で親心全開。
う~。でもな~。お父ちゃん助けてあげて欲しかったぞ、心では。
最近の日本もあの光景は他人事ではなくなってきてますからね。
結局のちに正体もバレるんだし、街は大破壊されちゃうんだし、
もっと早い時期に「僕スーパーマンです!」って名乗り出るとか。
あ、Sじゃないんだ。でもあそこは感情で動いて欲しかったなぁ。
まぁ普通の暮らしをさせてあげたいのも、正に親心であるわけで。
バランス良く見守ってるのが、ロイスのA・アダムスでしょうかね。
けっこう窮地に立たされて、今回はメタボロになりながらも、
しっかり最後までクラークを信じて守り抜き(守られたほうなのか)
次回の伏線(良かったよね~最後の自己紹介)へと繋がっていき…
スタイル変われど、スーパーマン精神に則って作られた新生作品。
次回に(あるわよね、当然)期待しましょう。
しかし、映像は画期的というか超高速で街をぶっ壊していくんで、
いやそれだけは…もうやめてくれと(ないと思うけど)、東京も7年後
にはオリンピックが決まったことだし、平和を守りぬいてくれと、
スーパーマンのこれから。を寝ないで見守りたい母親なのでした。
次回は若干、冗談言ってるクラーク。も見てみたい。
(A・アダムス、役柄もあるけど今回もピチピチムチムチ服。何で^^;)
現代の神話、ひとつの答え。
スーパーマンほど有名で、シンプルなアイコンもあるまい。胸に頭文字を付けるだけで彼の亜流たり得る。歴史が浅く、固有の神話を持たないかの国にとって、唯一無二の神話と言える。日本で言えば古事記の映画化のようなものか。いや、これは明らかに、桃太郎の実写化なのである。
桃が流れてきた川上には桃源郷がある。この映画はその桃源郷を、CGを駆使して描き出して見せる。もっともその設定の多くは、原作コミックで後付けされたものに則っている。日本では目新しく感じるが、アメリカでは周知の事で、いかにそれらしく見せるかに力を注ぐ。
おじいさんとお婆さんに拾われた桃太郎は村で評判の美丈夫になる。前半のハイライトである桃の拾得シーンをこの映画は一切描かない。これは周知の場面だからである。
代わりに、桃太郎では一行で済んでしまう主人公の成長を、この映画は丁寧に描く。それもよく知られた二重生活の姿でなく、超人として思い悩む一人物としてである。ここに現代的な新解釈がある 。おじいさんは仲間外れにならないためにその力を隠せと言う。そのためには犠牲を払っても構わないと言い残して、おじいさんは竜巻に呑まれてしまう。この辺りも映画のオリジナルで、ストーリーの根幹を占めている。
残された桃太郎に危機が訪れる。桃太郎と同じ力を持つ鬼の侵略。桃太郎は犬と猿とキジでなく桃源郷の父から授けられた装甲服をまとって退治に出る。
お供も仲間もいない桃太郎は肉弾戦を強いられる。相手も同じく超人であるから、描くには当然CGがいる。但しあくまで人物の格闘である。
ここで製作者は、一度通常人の格闘を振付け、それをCGで拡大するという手法を取る。アニメでよくある「早すぎて見えない」表現は使わない。物理的に、神とも言える能力を持った超人同士の死闘が描かれる。その前には、我々人間たちが作った建造物など、蟻の巣ほどの脆さに等しい。
長い闘いの末、桃太郎は鬼を降参させる事ができず、首を折って殺してしまう。ここにも現代的な解釈があり、最も賛否を呼ぶ所だろう。原作コミックでもスーパーマンはゾッドを殺してしまい、精神を病むという描写がある。
あの時はこうするしかなかったが、本当にこれで良かったのか?恐らく続編が作られる中で、何がしかの答えが現れてくるのだろう。現代の桃太郎は、鬼たちがいなくなってメデタシメデタシとはいかない。或いはこれはリブートの緒編であり、三部作が終わればメデタシになるのだろうか。
バットマンは伝説であり、スーパーマンは神話である。神話を現代的なリアリティで描く事は、伝説のそれより難しい。バットマンコミックの方が、スーパーマンコミックより圧倒的に多い事がそれを物語っている。
75年も描かれ続けた物語なのだから、いろいろ後付け設定がある。曰く、弱点はクリプトナイト。北極には孤独の要塞。そう言ったものを極力排除し、製作者は現代的な英雄神話の復活に専念してみせる。設定に囚われて、最後に子供ができるという逸脱を犯した、前作の反省もあるだろう。78年版を企画した時「現代の神話を作ろう」と言った作り手の精神が、この作品には息づいている。トリビュートやオマージュでは本質は継げないのである。
78年の公開の時、私はアニメ好きの中学生だった。今、50に手が届く年齢になってこの作品を見て、あの時と同じ感想を持った。あの頃の自分と同じ、私の子供と同年齢の人に、特に見て欲しい。きっとこう思うだろう。
“日本ではアニメしかやっていない事を、アメリカでは実写でやってる!”と。
追伸:より深く理解するために、スーパーマンコミックを二つあげておきたい。『スーパーマン:アースワン』と『スーパーマン:ラストエピソード』。『アースワン』は映画にかなり近い内容で、そっくりの場面も出てくる。『ラストエピソード』は映画の最後の“ゴキッ!うぉー!”の意味がよくわかります。
あ、それと、何処かの出版社で、“Man of Steel : Inside the Legendary World of Superman”邦訳してくれないかなあ…
がっかり
ManOfSteel-ダンヒルフレグランスのイメージモデルも務めたハリウッド期待のイケメン若手俳優『ヘンリー・カヴィル』、若すぎるという理由で生憎落選した007の新ボンド役では最も好きな俳優ダニエル・クレイグと最終まで争ったという。確かに彼はほんとにカッコよかった。
が・・・前半のヒューマニズム溢れたストーリーが中途からはあまりの脈絡のない粗雑さにただ落胆。「破壊シーンCGをこれでもかって見せたいだけじゃないの?」って思ってしまうしつこい!とまで思わせるシーンには早く終わって欲しいと思うほど。
恐らく続編含みだが、同じようなお粗末な脚本構成ならばもうご馳走様。主役のビジュアルといいラッセル・クロウ・ケビン・コスナー等骨太俳優の演技の卓越からすれば非常にもったいない。脚本家が全てぶち壊した感が強かった。
映像が凄い
ラッセルクロウ目当てで鑑賞。やっぱり存在感あって格好良かった。
主役の彼もたまにすごく老けて見えたりするけどイケメンでした。
他の映画で見たことある俳優さんが何人かいたけど何だったか思い出せない。
とにかく映像が凄い!今のところ一番凄いかも。アベンジャーズ以上だった。
宇宙船や宇宙の機械が凄い。
ビルが壊れる倒れる!
町も破壊される。
最初は主人公に同情したけどあれだけビルやらなんやら破壊されると敵をおびき寄せてしまった元凶だよなあと思ってしまった。
主人公の幼少時代の子役が可愛い。そしてまさかのケビンコスナーが父役とは!なんかお腹出てたし老けたけどやっぱり印象に残った。ちょっとウルウルくるのは彼との家族愛のシーン。
ハリウッドのCG見ちゃうと日本のが物足りなくなる。
ストーリーにはあまり入り込めなかった。ずっとシリアスだったのに最後はお笑いぽかった。
最後がちと…。
ノーランが制作に回るとどうなるかが楽しみであった。
ザック・シュナイダーはヴィジュアルに特に定評があるが、ウォッチメンは中身もあったわりといい作品だと思ってる。
この二人の監督がタッグを組むと…。
あ、こうなるのね(笑)
ノーランらしさ
・人物描写に焦点を当てる
・タイトルをラストに持ってくる
・時間軸を前後させる
これを最初に持ってきて、あとはザック爆発(笑)!
田舎のアクションシーンまでは良かったんだけど、
ラストが…。
街中、壊しすぎでしょ?ビル投げ倒し過ぎで、そのなかで死んじゃう人もいるでしょ…。
将軍との戦いも海とかにして、守るようにしないと。
それとそのあと、どうやって街が回復?
ほぼ更地になってたのに…。
で、あれだけ顔ばれして、メガネかけてなんとか?
そりゃ無理あるんじゃないすか?ザックさーん。
うーん、150分もやったわりに最後の一時間がぐちゃぐちゃ。
このあとは対バットマンでしょ?
どう考えてもスーパーマンのほうがつよいんですが…。
惜しいなぁ。
これなら、ノーランが監督でしっかり作った方が良かったかな。
悪者をやっつけたはいいが、感謝よりも恨み節が聞こえそう
これまで何作と制作されてきたスーパーマンを完全リブート。「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン製作、「300 スリーハンドレッド」のザック・スナイダー監督の起用で期待されたスーパーマン誕生秘話。
さて中身だが、ザック・スナイダーがこれまで見せてきた独特の映像表現は封印、ひとつひとつを深くじっくり描きながらも全体のテンポが落ちないクリストファー・ノーランの色が濃い。
とくにクラーク・ケントと育ての親との情愛がしっかり描かれる。
異端の力に悩めるクラークだが、しつこく絡んでくる相手にはとんでもない千倍返しをしてみたり、ヘンリー・カビルが歴代のスーパーマンとは一味違う人間臭さを醸しだしている。
養父のケビン・コスナーと養母のダイアン・レインは、どちらもいぶし銀の渋さで作品を引き締める。
執拗にクリプトンの再興を狙うゾッド将軍の強さは半端でない。カル=エル(スーパーマン)とゾッドの戦いに、気の強い女性記者ロイスと、ゾッドの美貌の副官・ファオラを絡ませて、どのキャラクターも申し分ない。
単純に英雄を持ち上げた、陽気でアメリカンなヒーローものと切り口がこうも変わってしまうと、さすがにジョン・ウイリアムズが作ったテーマでは脳天気すぎる。全篇、ハンス・ジマーの書き下ろしスコアが鳴り響く。一部、同氏の「ローン・レンジャー」と被るところがあるが、新たなスーパーマンの雰囲気をよく捉えている。
ここまでは期待通り、いやそれ以上のデキなのだが、なぜあそこまでワケもなく街を壊す。あの壊しようは、壊し屋・マイケル・ベイも真っ青だ。スーパーマンがゾッドに投げ飛ばされるたびに、ビルの柱という柱を打ち砕き、高層ビルが倒壊していく。これでは、スーパーマンがゾッドを打ち負かしても心の底から喜べない。地球にとってクリプトン人そのものが迷惑な来訪者だ。
ビルを突き破るほどのダメージを繰り返し受けても立ち上がるスーパーマンが、路面に叩きつけられただけで突っ伏す矛盾もいただけない。
いただけないといえば、ラストで将軍が部下の女性兵士に「Captain」と呼びかけ、字幕もそのまま「キャプテン」となっていたが、あそこはきっちり階級の「大尉」と訳すべきだろう。
難癖はつけたが十分に楽しめる映画であることに変わりはない。あの「ダークナイト」シリーズも飛躍したのは2作目だ。次作に大いに期待したい。でも、あんな不死身のスーパーマンにバットマンがしゃしゃり出て、いったい何をさせてもらえるのかな?
演出にはかなり気合を入れていますね。
元々スーパーマンとは、クリプトン星出身のクラーク・ケント(カルエル)が地球に避難し地球で活躍するお話ですが、今作ではクリプトン人のSFバトルにかなり特化した演出となっています。
おかげで主人公のクラークケントの存在がストーリーが進むにつれ若干薄くなっていく気がします。最初はクラークに視点を置いて、彼の苦悩を描いていますがね。
この作品の演出を楽しむには3Dで観た方がいいかもね。
クリストファーノーランも制作に携わっている。彼が放つの凝った演出が観られる。
この映画、以外と酷評を受けていることにびっくり。
世間て厳しいのね。少なくとも制作者のやりたいことや熱意は感じられますが。
ブルーレイは予約しました。届くのが楽しみですね。
特撮技術はこの映画の為に!見える現実世界と見えない心の内側
今から35年前の78年に制作された「スーパーマン」も当時の映画撮影技術の総力を結集した、最先端技術に因る大迫力シーンをスクリーンに蘇らせる事に成功した作品だ。
そして、今作を今観て思うのは、映画の特撮技術とは、やはりこの「マン・オブ・スティール」の様な作品制作の為にこそある技術だと実感する。
だから、出来るならこの迫力の画面は絶対に、ドデカイスクリーンで、3Dで観なくては勿体無い!と思う。少々高くても、決して損はしない筈だ。そして、くれぐれもDVDが出る迄なんて、待ってはもったいない映画なのだ。
映画は、やはり魅せ物だ。ストーリー抜きに、先ずは映像その物の迫力や、美しさや、力強さなどのあるスピード感、その物を体感する事も映画を観る魅力の一つだ。
文学が言葉その物を駆使する事によって、その言葉の持つ世界感を深く描き出すのと違って、映像は、そのシーンの画面を観るだけで、作者の制作意図の総てを一瞬にして理解させ、伝える力を持つ。これぞ、映画の醍醐味と言う物です。魅せる楽しさ、スクリーンに幻想の世界を映し出す面白さの原点がこの作品には絶対有ると思うのです。
映画のストーリーは、今から80年以上も前に生れたアメコミの代表作だから、今迄にも色々とスクリーンに登場しているので、大まかなストーリーを知らない人もいないだろう。
だから、本作にとっては、ストーリーそのものは余り重要では無く、何処まで迫力のある映像を魅せてくれるのか、その楽しみに尽きると思う。
その点今作は、申し分無く楽しめる作品だった。
そうは言っても、クリストファー・リーヴの「スーパーマン」大好きだった私には、2作品の違いが気になり、78年の作品の細かい所は忘れているので、この映画を観る前に再度DVDでチェックして観た。
クラーク・ケントが学生時代に学校で、仲間外れにされていたシーンなどは完全に失念していた。そして、デイリープラネット社で新人記者として働くクラーク・ケントのボケとスーパーマンに変身した時のシャープで粋な振る舞いの、そのギャップの楽しさがある作品で、見直すと、映画館で観た当時の思い出も同時に蘇って来て、個人的にはもの凄く楽しかった。
今回の「マン・オブ・スティール」ではより、このクラーク・ケントが自己のアイデンティティーに悩める様が深く描かれている。そして、自己の秘密を理解したその後の彼が、水を得た魚の様に、力試しをするシーンの彼の表情が何か、凄く嬉しそうで、胸が一杯になった。更に、育ての父ジョナサンをケヴィン・コスナーが演じ、この父子の心の絆もより更に印象深いシーンで感動的だった。
ところで、世界恐慌後の希望として、30年代に「スーパーマン」は誕生し、70年代後期にヴェトナム戦争で行き詰まったアメリカが、新しいヒーローを渇望して「スーパーマン」は生れた。
ならば、今アメリカは自己のアイデンティティーに苦しんでいるのかも知れない。
劇中、クリプトンで反逆を企んだメンバーが、エル(クラーク・ケント)を地球迄追って来た時に、進化した物が生き残るのだと言う。確かに自然界は厳しく、進化の波の中で巧く泳ぎ抜き、生き残るのは至難の業だ。そして自然界に於いては、生き残った者が生きる権利を有すると言う事も納得出来るのだ。しかし、事人間界に限って言うならば、何を持ってして進化と呼ぶのかは、神のみぞ知る事ではなかろうか?
進化している筈と考えている人間の文明も実は、結果として退化を促進させているだけなのかも知れない。
人間の進化や、退化なども、遠い未来の人間が過去の現実をどう捉えるのかで、決定するのではないだろうか?
期待外れ
期待して楽しみにして見に行きましたが、色々腑におちません。
というかストーリーや構成に無理がある。詰め込み過ぎたのではないでしょうか・・・
■特によくわからないのは、
ヒロインとどこで恋に落ちたのかまったくわからないのに、キスシーンがある。
いつどこで彼女は特別な存在になったのでしょうか?
まったくそんなシーンはありませんでしたが、なぜかスーパーマンの大切な人のポジションにいつの間にかすっぽり。その辺り全く描写ないんですけど…?
スーパーマンを引き渡せという時もなぜ彼女を連れてく必要があったのか劇中で意味がわかりませんでした。
彼女を幽閉した部屋になぜ鍵があったのかも謎。おかしくないですか?
■スーパーマンはそもそももっと謙虚でしたが、あらゆるものを壊し、進んで破壊していました。ある時は市民を建物の中にと言っていましたが、その建物さえも破壊。明らかに人間を無駄に殺している。前後の行為が矛盾しています。
なのに、人間は「彼は敵じゃない」と言い始めるのですが、普通に考えればその前に、彼が地球に来てなければこんなことにならなかった!迷惑と考えるはずです。
終始おかしいなと思い、物語が超冷めになってしまいました。
他にも母星で父が近代的な乗り物に乗らず、ドラゴンに乗っていたり、
よくわかりません。
今までで一番破壊してますね。少々詰め込み過ぎの内容欠落の作品に思えます。
これ面白いって言ってる人は、この辺り何も疑問に思わなかったのでしょうか
不思議でなりません。
期待していただけに残念です。
主役をそのままストレートに表現したかった?
プロデューサーが、バットマンのノーランです、これは外せんと思い観に行きました。
なんと、内容はドラゴンボールの実写版でしょうか。
悟空対べジータでしょうか、丁度息子と観ていた場面を思い出します。
うーむ何を基準としてこの内容のしたのか・・・・
スーパーマンは、やはりさんさんと輝く日の光の下で堂々と戦う戦士。
だからでしょう、あくまで明るく、将来に希望を持たせます。
育った環境が・・・いやいや育ての親が素晴らしい。
身を呈して息子に教えます。
「正義に使おうが、悪に使おうがお前が決めろ。」
「使わない勇気を持て。」
「人間は弱い、だから・・・・」
あの力を目の前にして、なかなか言えません。
俗物である私なんか、自分の利益の為に息子の力を使おうとするでしょう。
徹頭徹尾独立した心根を持ったこの父親像が本作品の主眼ではないでしょうか。
でも・・・ふらふらした心根を持つ私には、ダメです。
もっと悩み、爆発し、悔恨を見せる、スーパーマンにして欲しかった。
ダメですね、私のような正義と悪の境界線をどちらに行くでも無く、ふらふらしているおっさんは・・・元気な男の子を持つ家族向けとして良いでしょう。
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