「シリアスすぎる。 DCユニバース出身かよ。」マン・オブ・スティール たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
シリアスすぎる。 DCユニバース出身かよ。
アメコミ業界の老舗「DCコミックス」が1938年に生み出した、(おそらく)最古のアメコミヒーロー「スーパーマン」を実写映画化。
DCコミックス原作の映画作品を同一の世界観で展開していく「DCエクステンデッド・ユニバース」シリーズの第1作でもある。
自らの持つスーパーパワーをどう扱えば良いのか悩むクラーク・ケントの前に、追放されたクリプトン星人ゾッド将軍が現れる。
監督は『300』『ウォッチメン』など、コミック映画の雄ザック・スナイダー。
スーパーマンを演じるのは、『コードネーム U.N.C.L.E』『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』のヘンリー・カヴィル。
ヒロインの新聞記者ロイス・レインを演じるのは、『魔法にかけられて』『メッセージ』のエイミー・アダムス。
クラーク・ケントの父、ジョナサン・ケント役に『フィールド・オブ・ドリームス』『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の、レジェンド俳優ケビン・コスナー。
カル=エルの父、ジョー=エル役に『グラディエーター』『ビューティフル・マインド』の、レジェンド俳優ラッセル・クロウ。
ロイス・レインの上司でデイリー・プラネットの編集長ペリー・ホワイト役に、『マトリックス』シリーズや『ジョン・ウィック』シリーズのローレンス・フィッシュバーン。
製作・原案には『ダークナイト』『インセプション』のクリストファー・ノーランがクレジットされている。
皆さんご存知、「鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだっ!」でお馴染みのスーパーマン。
何度も映像化されていますが、本作は新たなスーパーマンを描くというリブート作品なので、過去作を観ていなくても何の問題もありません。
スーパーマンといえば、やはりあのクソださいスーツ!
本作では現代風にアレンジされていますが、やはり青いスーツに赤いマントという星条旗カラーのコスチュームは変わらないので、正直カッコ良くはない。
このコスチュームを着て、コスプレ感を出さないというのはなかなかにハードルが高いと思うのですが、主演のヘンリー・カヴィルはこのハードルを楽々クリアーしています。ここは素晴らしい。
あの驚くべき胸筋と甘いマスクは、まさにスーパーマンといった感じ。
クリプトン星人同士の、ドラゴンボール感溢れるバトルも迫力があって良かった。
アクションシーンはアトラクションのような映像で、劇場の大スクリーンで観ればさぞ迫力があったことだろう。
迫力のある映像と再現度の高いスーパーマンを観れたので、まぁ最低限の課題はクリアーしているとは思うが、個人的にはあまり好きになれなかった。
とにかく暗いんだよっ!
ウジウジするんじゃないよ、あんたスーパーマンだろがっ!
そのくせ長いんだよ!絶対120分以内に纏められた内容だろうこれは!
ダークな世界観のアメコミヒーロー映画で、傑作も存在します。
しかし、それをスーパーマンでやる必要あるのか?
この映画公開時にはすでに「MCU」は存在しており、観客は明るく楽しいアメコミ映画を謳歌しているわけです。
そんな中、数あるアメコミの中でも最も「アメコミ的」であるスーパーマンで、あえて王道を外してダークな物語にした意味がわからない。
DC映画なら、ダークな物語はバットマンで展開すれば良いじゃない。
そうすれば光のスーパーマン、闇のバットマンみたいな感じで対比的に作品を作り出すことができて「DCエクステンデッド・ユニバース」的にも物語に深みと広がりが出ると思うのに。
映画の冒頭から謎の用語がバンバン出てきて全然頭に入らなかったのもハマらなかったポイントの一つ。
無駄に複雑にしないと気が済まないのか?
納得できない点として、クリプトン星人は星と心中するが、その他の惑星をテラフォーミングできるほどの科学力があるなら、さっさと他の星に移住すれば良いのでは?
そうしないのは何故?宗教上の問題?
ケビン・コスナーが死ぬところとかなんか釈然としないし、最後のゾッド将軍殺してウワッーてところとか、いやいやあんたらの戦いでめちゃくちゃ人死んでるから今更やでとか思ったし、なんかダークにしようとしすぎているせいで逆にアホッぽくなっている。
クライマックスでクラーク・ケントがお馴染みのメガネ姿になったのは結構好きです。
こういうお約束をやるのは大事でしょう。
まぁ退屈はしないが好きな映画ではない。
エンドロールでジョン・ウィリアムズのテーマ曲が鳴り響きけば評価爆上がりだったのになー。