スタンレー探検記

解説

ヘンリー・スタンリーの第1回アフリカ探検を映画化したもので、「少年の町」「テスト・パイロット」のスペンサー・トレイシーが主演する。ハル・ロングとサム・ヘルマンが史実を調査して荒筋を書卸し、「スエズ」と同じくフィリップ・ダンとジュリエン・ジョセフスンが協力して脚本を書いて、「世紀の楽園」「シカゴ」のヘンリー・キングが監督に当り、「夜はパリで」「ハリウッド・ホテル」のジョージ・バーンズが撮影した。主役のトレイシーを囲って、「紅の翼(1939)」「サブマリン爆撃隊」のナンシー・ケリー、「煌めく銀星」「サブマリン爆撃隊」のリチャード・グリーンを始め、「カッスル夫妻」のウォルター・ブレナン、「海国魂」のチャールズ・コバーン、「虚栄の市(1935)」のサー・セドリック・ハードウィック、「黄昏(1938)」のヘンリー・ドラヴァース、「少年の町」のヘンリー・ハル等が出演している。音楽は「シカゴ」のルイス・シルヴァースが指揮に任じた。

1939年製作/アメリカ
原題または英題:Stanley and Livingstone

ストーリー

1869年10月16日のことであった。ニューヨークヘラルド新聞社長ジェームズ・ゴードン・ベネットは、社の若い敏腕記者ヘンリー・スタンレーを呼んで、4年前アフリカで行方不明となった探検家リヴィングストン博士の捜査を行い、その探検記事を綴れと命じた。仕事に熱心なスタンレーは、ちょうど他の事件が終ってニューヨークへ帰って来たばかりだったが、常に彼を助けて忠実に働くジェフ・スローカムを従えて直ちにアフリカへ渡った。アフリカの港町ザンジバアで、彼はヘラルド紙の競争相手たるロンドン・グローヴ紙の社長タイス卿の息子ガレス・タイスと相知った。彼もグローヴ紙のためにリヴィングストン発見を目指して奥地へ入ったのだが、途中熱病にかかってここの地へ帰り、英国領事の娘イーヴの手厚い看護のもとに病を養っていたのであった。イーヴはスタンレーに生命の危険を説いて、この探検を思い止らせようとした。しかもリヴィングストン博士は、すでにこの世に生きていないと伝えられていた。だが数日後スタンレーとジェフは、ますます奥地に向って出発した。ようやくのことで案内の原住民を雇った2人は数ヵ月というものジャングルの激しい酷熱、果しない沼沢地、熱病、野獣の群などと闘いつつ、言語に絶する難行を続けたのであった。そしてついにタンガニカ湖に近いユジチで2人の苦闘は報いられた。正しくリヴィングストン博士は、生きてこの地で原住民の教化に身を捧げていたのだ。「リヴィングストン博士ですか?」これがスタンレーの最初に発した歴史的な一語であった。彼は極力一緒に帰国するよう勧めたが、博士は静かに首を振るのみだった。やむなく彼もしばらく博士と一緒に生活する間に、その勇気と人格に打たれて深い敬愛を捧げる様になった。記事をヘラルド社へ送るため、スタンレーはロンドンへ帰った。そしてガレスとイーヴの結婚を知り、秘かに彼女に愛を感じていた彼は失望した。しかし尚一層彼に深い衝撃を与えたのは、英国地理学協会が彼の報告を否定し、イカサマ師の汚名を着せたことであった。その時突然の電報によって、リヴィングストン博士が死亡し、遺骸は原住民の手でザンジバアに到着した旨がもたらされ、人々はスタンレーの成功を確認した。そして彼は一躍英雄となったけれども、彼の心にあるものは故博士の残した尊い事業だけであった。報告のために帰米せよという社長の言葉も振り切って、スタンレーは博士の事業を受継いで一生を捧ぐべく、単身アフリカへ向って再び出発した。

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