テリー・ギリアムといえば『未来世紀ブラジル』や『12モンキーズ』のような鉄臭いカルトSFというイメージが強いが、私としては『バロン』や本作のようなジュブナイル・ファンタジーも捨てがたい。
80年代前半のアナログな舞台装置だけでここまで手触りと匂いのある異国情緒や時代劇を立ち上げることができるというのはやはりすごいことだと思う。しかしそれは事実の忠実なる再現を意味するのではない。むしろ逆で、彼は我々の中にある漠たるイメージを限界まで加速させたような誇張表現に徹する。
たとえば序盤のナポレオンなどがいい例だ。彼は身長155センチという超低身長で、自分よりもスケール感の小さい娯楽にしか楽しみを見出すことができないくらい卑屈な性格をしている。小人症の人々を酒宴に呼びつけ、自分より背の低かった歴史の成功者たちの名前を列挙するシーンなどはとりわけ惨めったらしい。一方、現実のナポレオンは160センチ後半くらいの身長だったらしい。低いといえば低いが、時代を鑑みればさほど絶望的というほどでもない。
他にも、古代ギリシアのシーンも街中にありえないくらいの人口がごった返しているし、タイタニック号のシーンではまるでギャグのように(まあコメディ映画ではあるんだけど)思い切り船体が傾く。
とにかくやることなすことすべてが規格外で、それらは我々の空想を気持ちよく飛び越していく。
海中から現れた巨人は、海賊船を頭に被れてしまうほど巨大だし、魔王の根城は見上げても見上げても果てがないほどの黒い壁に覆われている。
こうも雄弁に嘘を語り続けられていると、次第にこっちのほうが本物なんじゃないかという気がしてくる。事実、眼前に迫りくる無理難題を6人の小人症と1人の子供が快刀乱麻を断つがごとく乗り越えていくさまを見ていると、受け手であるこっちまでやにわに万能感が萌してくる。
しかし、そこまでやっておいて最後の最後で手痛い現実のしっぺ返しを食らわせてくるのがテリー・ギリアムという映画監督である。
少年と小人が最後に相対したラスボスの悪魔の強さたるや。彼はそれまでコメディを基調としてきた物語世界に暴力と死のシリアスネスをお見舞いする。この容赦のなさがテリー・ギリアムだなあ…
全員が絶体絶命のピンチに陥ったまさにそのとき、別次元から唐突に神様が現れ、まさしくデウス・エクス・マキナといった具合にその場の全てを平定する。神様は自分から4次元ドアの地図を盗み出した小人たちをしこたま叱りつけたうえで彼らと一緒に元の世界に帰ってしまう。
取り残された少年は自室のベッドでハッと目覚める。あれは全部夢だったのだろうか、と思案する間もなく周囲の異様な匂いに気がつく。なんと自宅が火事で燃えていたのだ。少年は命からがら外へ逃げ出すが、両親はこの前買ったばかりの調理器を家の中に忘れたことに気がつき取りに戻る。しかし調理器の中には先ほど相対した悪魔のカケラが入っていた。少年が静止する間もなく、それに触れた両親は爆発四散する。
終わり。
現実と空想のパワーバランスを是正するためにここまでやるか、とは言いたくなるが、それにしても清々しいオチだ。空想は素晴らしく、そして現実は恐ろしいのだということを両側面から描き出すことのできる稀有な監督だと思う。それはそうと爆発オチって本当に面白いな。個人的には『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』に匹敵する爆発オチだった。