ゴッドファーザーのレビュー・感想・評価
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表と裏
午前十時の映画祭で鑑賞(10年前に一度ビデオで見た)
驚いたのが、あの有名なゴッドファーザーのテーマ曲がなかなか掛からず、映画の後半に差し掛かって流れた事。
ヴィトー・コルネオが打たれベッドで寝ている顔からフェードでシチリア島の田舎の風景へ。そこでやっと初めてゴッドファーザーのテーマが掛かる。
ゴッドファーザーと呼ばれた男の始まりの場所、こここそが故郷、始まりと言わんばかりにそこから何度も掛かる。
最初の結婚式の盛大で華やかな表の世界と、部屋の中の静寂で荘厳な裏の世界。ラストの扉を隔てて表現される表と裏の世界。
裏の世界を嫌っていたマイケルの変貌。それを見つめる妻の表情。なんか凄いもんみたなと思わせられる。
午前十時の映画祭10
ラスト付近、マイケルの苦悩や困難は既に始まり、不穏な空気のまま映画は幕を閉じる。
"エイドリアン"の結婚式でドン・コルレオーネの偉大さや、コルレオーネ・ファミリーの内情と主要な人物を登場させる演出が冒頭で巧く描かれていて、コッポラの秀逸さが光る場面の一つに思える。
約三時間の上映に重苦しく小難しいイメージもあるが、物語は分かり易く興味の持続力は永遠に。
頼れる存在で説得力ある演技を見せ付けるM・ブランドが弱々しく変貌する反面、マイケル演じるA・パチーノの表情が逞しく変化する演技も圧巻。
"PART II"から怒鳴り散らす印象のマイケルは本作では、ラストに抑えながらの怒鳴りが一度だけ。
時代が変わろうとも、何度観ても色褪せない、新たな発見を繰り返す、素晴らしい名作。
ハラハラする
午前10時の映画祭で鑑賞。
マフィアの抗争の話。
ドンが狙われて、大学卒のマイケルが後を継ぐ。
ファミリーでまともな人間のマイケルがだんだんとマフィアの一味になっていく感じ。
人がバンバン殺されていく、、
何度も目を覆いたくなるね。
理知的なトム、すぐにかっとなるソニー。
太ったクレメンザ。
ソニーの妹の旦那のカルロ。
舞台はアメリカが主だが。マイケルは一度敵対勢力を撃って逃げるためにコルレオーネ村というイタリアに身を隠していた。
そこで女と一度結婚してる。
嘘と謀略と金と暴力と
三時間弱。重厚かつバイオレンス。後半から一気に血生臭い展開へ。シチリアの風景は、ひとときの安らぎであるが、ここも安全ではない。やるかやられるか。
1972年公開のアメリカ映画。娘コニーの結婚式から話が始まり、その新郎だった男が死ぬまで。コッポラは、まだ30代そこそこの年齢でありながら、このような名作を撮ってしまっていることに驚きを覚える。そしてソフィア・コッポラがこの映画からキャリアをスタートしていたことにも。
十数人の主要人物がいる。すべてイタリア人ばかりなところがこの映画の肝だ。
この映画の中で、ファミリーのボスも老いたヴィトーから、血の気の多い長男ソニー、冷徹な三男マイケルへと移り変わる。
苦手
登場人物の区別がつかず話に付いて行けかなった。特に前半は眠気との闘いが続き時間も長く感じたzzz…コッポラ監督の作品は重厚過ぎる面がどうも苦手で、他作品同様この作品も良さを感じることが出来なかった。
(午前十時の映画祭にて鑑賞)
2019-108
ヴィトー・コルレオーネからマイケル・コルレオーネへ。Godfatherの代替わりを通じてアメリカ犯罪社会/マフィアファミリーの変質を叙事詩的に描いたepoch-makingな名作。
①今回(2022.04.04.)『午前10時の映画祭』で初めて大スクリーンで鑑賞。②やはり名作・傑作だ。敢えて難点を言えば、中盤やや中弛みが感じられて前半より後半の方が演出が粗い。でも、マイケルが初めて「ゴッドファーザー」になる洗礼式と、他のマフィアグループのボス達やラスヴェガスのホテル王を次々と血祭りに上げていくところを同時平行に描いていく部分は見事。③マイケルの妹の結婚式で幕を開け、妹の夫を始末した後マイケルのところに半狂乱の妹が怒鳴り込んでくるシーンで終わる血にまみれたマフィアファミリーの物語。華やかで楽しそうな結婚式の裏側で、マーロン・ブランド演じるドン・コルレオーネ率いるマフィアファミリーの構成・内実・活動内容を巧みに紹介していく導入部が素晴らしい。④ただし、名作・傑作と言ったのは「叙事詩的映画」という側面から観た場合のことで、この後名だたるスターや名優になっていく若手俳優が各キョラクターの造形に確かな演技力を見せ、見事なアンサンブルを作り出しているが、各キャラクターの内面を深く掘り下げているわけではない。⑤今回驚いたのは、マーロン・ブランドは見事なメークアップと演技とを駆使した老け役(60歳台らしい)なのだが、それにも関わらず実年齢である40台後半の壮年男の持つ体臭という肉感性というかがメークアップと演技の下から感じ取れること。これはメークアップや演技ではどうしても覆い隠せないものであるし、観る側がある年齢に達しないとわからないかも知れない。ただ、映画としての魅力を損なうものではないし、孫と遊んでいるうちに庭で倒れるシーンでは、望遠でとっているからかも知れないけれども、正に孫と遊ぶ一人のおじいちゃんになっていた。⑥一方、饒舌だったパパ・ヴィトー・コルレオーネに比べ寡黙さが目立つマイケル役のアル・パシーノは目の演技が凄い。家業から一番遠いところにいた者が結局家業を継ぐことになるというのは話として面白いので目新しくはないが、マイケルは一定の距離を置いていたとは言え家業を嫌っていた訳ではない。大学を出ているのはインテリヤクザの走りのみたいな感じだし、戦争では勲章を貰うほど活躍したということはそれだけ勇気(というより怖いもの知らず?)・決断力・行動力・実行力があるということで、後年のドンとしての活動の伏線にもなっている。人生の前半で他の兄弟とは違う道を選んだということも独立心があり且つ自我を通すという性格だという意味でこれまたドンとなってからの生き方の伏線となっている。⑦そういった資質を見込まれてヴィトーの後継者となるわけだが、時代が違うのか、性格が違うのか、ヴィトーはファミリー(組織の方です)を纏めるのに友情と信義とを重んじ(敵や仕事相手にも)暴力や恐怖は最後の手段として用いたのに対し、マイケルは最初から暴力・恐怖をその支配の手段として用いることになる。時代の違い、一から苦労してのしあがった者と、苦労なくファミリーを継いだものとの違いと言えばそれまでだか、こういうことが後々マイケルの孤独・悲劇の遠因となる。(『ゴッドファーザーPARTⅡ』ご鑑賞。)⑧マイケルが家業を避けていたり毛嫌いしていたのではないことは、ヴィトーを襲撃させた直接の黒幕とヴィトーの入院中の警護をしようとした時に殴られた悪徳警視(?)を殺す役割を自分から志願したことでもわかる。父親への愛情からという面も有るのだろうが、こういう家に育ったのであれば復讐をすればどういうことになるか理解していた筈なので、身内から「お前は堅気だから」と止められたのを振り切って凶行に及んだ時点でその後のマイケルの人生は決まってしまった。⑨女性に対する姿勢を通してマイケルの人となりとが垣間見えるように思う。ソロッツッオとマクルスキーとを殺ればしばらくは身を隠さねばならず婚約者のケイとは会うことは勿論連絡を取ることも出来なくなることはわかっていた筈だが、それでも自分の恋愛よりも父親への襲撃の復讐・コルレオーネファミリーを守ることを選んだことで、彼の恋愛観・女性観が伺える。その上、シシリーで匿われている時に、ケイという恋人がいるにも関わらず(アメリカに戻ったら結婚する筈だった?)、美しいシシリー娘に一目惚れし半ば強引に結婚してしまう(ここにも彼の性格が垣間見える)。新婚生活は幸せであったが(ここで二ノ・ロータの「愛のテーマ」がいやが上にも詩情をかきたてる)、マイケルに対する暗殺の企てに巻き込まれて新妻は殺されてしまう。この出来事が後のマイケルの冷血な決断・行動に少なからず影響を及ぼしているのだと思う。その後、アメリカに帰国して1年も経ってからケイの前に再び現れて半ば強引に復縁を迫ったうえ結婚してしまう。結婚をしたことのない人間としては、この辺りのマイケルの女性観・結婚観(マイケルの、というよりはシシリアン・マフィアの、と言った方が良いのかも知れないけれども)はよく理解出来ない。⑩ジェームズ・カーンはどう見てもイタリア系には見えないのが難だが、気が短くて喧嘩っ早いというソニーの役柄には適役。ソニーの最後は原作(只今読書中)より派手で残酷だが映画的にはこちらの方が絵になるのは確か。一斉射撃の直前一瞬の間があるのは『俺たちに明日はない』の影響かな。⑪ダイアン・キートンという女優さんに注目するようになったのも此の作品から。美人ではないが何か引っ掛かるものがある女優さんである。それでもこの作品後4~5年は引き続き助演クラスの役柄が続いたが(ゴッドファーザーPARTⅡ含む)、1977年に『アニー・ホール』『ミスター・グッドバーを探して』で一躍トップ女優になって現在に至る。本作では、ラスト、夫をマイケルに殺された(粛清された)コニーがマイケルの家に怒鳴りこんで来た後、それを聞いていたケイトかマイケルに『本当なの?』と尋ね、いささかの口論の後マイケルが否定したのを一応納得して引き下がったはいいものの、閉まりゆくドアの間から、部下達が新しいドンに挨拶する様子を見ながらマイケルが変わってしまったことを理解した様な、これから起こることを案じる様な不安なケイの表情を見せながら映画は幕を閉じる。そのケイの最後の表情と映画の幕の閉じ方が実に印象的でダイアン・キートンという女優が長く頭に残ることとなった。
あらまー、こんなにおもしろかったっけ? 若いときはピンと来なかった...
あらまー、こんなにおもしろかったっけ?
若いときはピンと来なかったけど、改めて観たらヤバイな。
昔の映画が良いと言っていた親の気持ちがわかってしまった…
名作中の名作。 平成が終わるこのときに初めて見ました。 全てがかっ...
名作中の名作。
平成が終わるこのときに初めて見ました。
全てがかっこいいにつきる。
まずは、コルリオーネ家のドンがかっこよすぎる。
麻薬取引を嫌い、正義と愛に溢れているマフィア。
このファーザーが亡くなってしまってからはコルリオーネ家がどんどん悪循環の方向へ向かっていく。
愛されていて、信頼されていて、大黒柱だった、ファーザー。
やっぱりドンはこうでなくっちゃ。
ファーザー亡きあと、三男のマイケルがカタギから悪の世界に踏み込んでいく。
それもまたかっこいい。
19世紀末のアメリカの経済状況、イタリアの移民生活など当時の時代背景の勉強にもなります。
文句の付けようがない
失礼なことを言ってしまうが、人間は皆が少し歪んでいてひねくれている。
ここで言う人間というのは映画のキャラクターではなく、このレビューを書いている自分や映画を好きな人という意味で言わしてもらっている。
しかしこの映画を観て言えることは、極端な捉え方をしてもらっては困るが、やはり良い映画は誰が観ても良いということ。
自分も何十回と観てきたが、毎回新しい発見や素晴らしさを感じることが出来る。
前振りが長くなってしまったが簡潔にレビューをさしていただく。
まずはなんと言っても一人一人登場人物の人間性の表現力の上手さだと思う。
ビトーの人間力と恐ろしさや優しさや、慈愛に満ちた空気感。
マイケルのファミリーを守ると決めた決意を表す眼の輝き。
ソニーの激しくも不器用でファミリー思いの悲しいほどの愛情表現。
フレドの臆病で優しさが取り柄で稼業にむいていないが、コルレオーネファミリーに生まれたことをも憎むことのない優しい人間性。
トムの血の繋がりなんて関係のないということを解らせてくれる説得力のある言動。
このゴッドファーザーという映画をマフィア映画だと聞いて、勘違いをする人も多いが、そこらじゅうにある家族愛を描いている映画を10本観るなら、ゴッドファーザー1本で十分にお釣りがくるだろう。
男が観れば、こんな男に憧れるという登場人物が必ず見つかり、自分はどんな男なのかを登場人物と比べて考えることをするだろう。女性が観れば男がいかに野心があり、臆病で強い生き物であるがゆえに弱い部分があり、生きていくうえで女性が必要で家族が必要で愛が必要なのかを少しは理解してもらえると思う。
時代は違えど、裏切りや政権交代、犠牲になる敗北者たちがいる。
暗い話にも聞こえるがいつの時代も表裏一体。コインの裏と表。
新しい命や私利私欲に溺れない人間同士の慈愛や生きるということの価値や意味を深く深く考えさせてくれるゴッドファーザーという最高の映画を世に出してくれたフランシスフォードコッポラ監督に、自分は心から感謝し、これからも何度となくゴッドファーザーを見返しては考え共感し感銘を受け続けいくであろう作品に敬意を払いたい。
最後に一言だけ言わしてもらいますが、
アルパチーノの眼が明らかに途中で変わっていくのは鳥肌物です。
これぞ傑作
まさに傑作としか言いようがない作品。全ての主人公のキャラ形成がしっかりしていて、濃厚なドラマとしての出来栄えが実に素晴らしい。表の顔と裏の顔を使い分けるマフィアたちの苦悩やロマンスが実に魅力的であり、感傷的でもあるように感じられた。
人の顔を覚えるのが大変
イタリア系マフィア一族の話。日本の仁義なき戦いみたいな感じ。三部作でこの1作目はゴッドファーザーの父ちゃんの跡を継いで主人公がゴッドファーザーになるまでの話。
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これがゴッドファーザーの父ちゃん息子めっちゃおんねん。しかも主人公以外みんな顔がほぼ一緒やねん。なんなら兄弟以外も兄弟だと思うほどわからんねん。
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なので見る時はネットでわかりやすい人物相関図を見てから見るのがおすすめです。特に序盤は結婚式会場から始まるから人が多すぎて混乱します。
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仁義なき戦い見たものからするとやっぱりゴッドファーザーのがスマートでかっこいい。やってることは同じだけどね(笑).
愛情あふれるゴッドファーザーの生き様
かなり前に見たことがあるはずなのに、ほとんどのシーンの記憶が無かった。アルパチーノは、ジャスティスを最近見たからか、真逆の役をやっているな、という印象。この独特の雰囲気、緊張感がたまらない。間違いなく名作である。
悪魔の息子
最初のシーケンスは絶対にすべてを示しています。それが起こるにつれて、告白の宇宙の同じ平面、ファウストの神話で終わる裁判所への連続的な通過を遅らせる(そのタイプはサービスを求めるようになった。悪魔に彼の魂を売るだけです)。この文脈では、マイケル・コレオーネ(Michael Corleone)が選出されることは容易に想像されます。彼はまだ自分自身を知らないが、彼の後半の父親、悪魔自身を引き継ぐために十分な残酷さといたずらを持っています。
名付け親
殺し、殺されるかというシンプルな世界で生きているイタリア・マフィア達にはオメルタという鉄の掟がある。
しかし、時代の流れと共にその掟は風化し、古風なマフィアは逆風の中を生きる事になる。ある意味主人公達コルレオーネファミリーはアンチヒーローとしての立場を取っているわけだ。
序盤の書斎での暗い場面が良い。郷愁を呼び起こす物悲しいBGMと共に始まる。ファミリーの顔役であるドンに、「友人」がお願い事をしに来るシーンだ。昔から日本ではヤクザに頼み事をすると骨の髄までしゃぶられ、手を切るのが難しいという。芸能人のヤクザ絡みの話をニュースで見聞きする度に、やはりそうなのかなと思う。
敬意と恐怖を綯交ぜにしつつ、娘に乱暴した不良に制裁を求めに来た父親。
それを気の毒そうに聞くドン。絶妙な光加減の中、内密な相談は進む。
ドンは頼みを聞くことは容易いと言う。ただし、それは友人であればの話だ。頼みに来た父親は、マフィアと距離をおいていた。今更虫が良いのではという牽制をやんわり込める。この辺りが絶妙なさじ加減である。
チンピラのようなキャラクターではこの雰囲気は出せない。マーロンブランド一流の演技である。父親も最初は怒りに震えていたが、図星を突かれてぎょっとする。
しかし、しばし考えた挙句、ドンは引き受ける。ここで観客は、父親は大きな借りを作ることになったことを印象付けられる。
序盤からここまで引き付けられるシーンがあるだろうか。その後は打って変わって明るい喧騒である。何と、一家の結婚式の一場面であったのだ。
この対比が何とも鮮やかでゾッとする。のどかで天気の良い日に平然と大量虐殺をやってのけるような、そういう二面性が支配している世界だということを見せつける。
いわゆる印象に残るシーンがいくつかある。圧倒的な存在感を伴うシーン、はたまた滑稽で悪い意味で脳裏に焼き付いたシーン。この映画では両方が見られる。つまりは完成度においてはアラがあると言わざるを得ない。
ただそのアラゆえに人の心を打つのか、引っ掛かりがあるのかと思うと功罪なのかもしれない。
その中で一番印象に残るといえば、ルイスのレストランのシーンと甲乙つけ難いがルカブラージの出ているシーンだ。
一見愚鈍そうに見えるが、その実ファミリーの殺し屋として様々な汚れ仕事に身を捧げて来たルカ。彼に潜む凶暴性はその佇まいから伝わる。冒頭で謁見のセリフを練習している愚直な様がかえって恐ろしさを際立たせる。命令であれば、どのような恐ろしい仕事であっても実行するのだろうという予感がする。そのルカ最大の見せ場は皮肉にも、自身が殺されるシーンである。
敵対勢力の場にスパイとして赴いたルカは裏をかかれて首を絞められ、殺される。その時の苦悶の表情、真に迫っていて一目見た時から脳を離れない。
この作品では様々な暴力、殺人のシーンがあるが群を抜いて光るシーンだ。
冒頭のシーン、このシーンとルイスのレストランのシーンがこの映画の山場だと確信している。逆にその他のシーンは蛇足と言っても良いだろう。そう言い切るだけの名シーンだ。
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