生きる(1952)のレビュー・感想・評価
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私達はみなミイラかも知れません
正に神作品
日本映画の枠を超えて世界の映画の中でも屈指の名作だと思います
黒澤監督作品の常連俳優と言えば三船敏郎と志村喬
その志村喬の恐ろしいまでの鬼気迫る演技が全編に満ちています
胃癌による余命宣告による死を意識した事でのマインドセットの転換という劇中の設定になっています
しかし本作のテーマは死を意識したという前提では決してありません
渡辺課長はミイラとあだ名をつけられています
今風にいうならゾンビでしょう
生きているのだか、死んでいるのだかわからない
いや魂は死んでいるのだが、でも生きているのです
役所批判が本作のテーマなぞでは毛頭ありません
それは主人公が生きながら死んでいることを演出として説明するためのものに過ぎないのです
大きな組織はみんな大なり小なりそんなものです
誰もが、家族のために、独身であれば自分が生き残る為に、その為に自己を殺して生きているのです
ミイラのようにならないで働けているひとは本当に幸せです
そんなあなたは、とよのように確かに生きていると言えます
あるいはこれからミイラになってしまうのかも知れません
病院で看護婦さんが言うベロナールは当時の睡眠薬の名前です
無論大量に飲めば死にます
市電の脇のおでん屋むさしで出会う小説家が、店の主人に家で待つ編集者に原稿を届けにいくついでに買いに行かせたアドルムも睡眠薬です
この小説家のモデルはこのアドルムという薬の名前とその後の行動と言動から、なによりその風貌、衣装、丸眼鏡から破滅型の小説家として有名な坂口安吾その人で有ることは明らかです
彼は当時覚醒剤とアドルム中毒で精神錯乱の末、入院して世間を騒がせたことで有名です
その彼がモデルの小説家が渡辺課長に、与えられた生命を無駄にするのは神に対する冒涜だと諭すのです
渡辺課長が黒い犬に酒の肴を落として食べさせるのを二人がじっと見るシーンは、彼が生きる意欲を喪失していることを象徴するものでした
小説家は言います
あなたはこれまで人生の下男だった
人生を楽しむことは人間の義務だと
ゾンビが生きていることを実感するには、これもまた真理です
彼は渡辺課長に人生の快楽を教える代わりに、代償に魂を要求しない善良なるメフィストの役を務めると言います
つまり悪魔の誘惑と言うわけです
メフィストフェレスの化身は黒い犬です
だから彼はおあつらえ向きに黒い犬がいる、早く案内しろというのです
渡辺課長が新しい帽子を被って行く静かなカウンターのバーは文豪が通う店で有名な銀座5丁目のルパンがモデルでしょう
店の雰囲気とカウンターの上のランタンが似ています
きっとそれ以外の彼が連れ回すお店は全部モデルがありそうですが残念ながら浅学で分かりません
新しい帽子は、彼の新しいマインドセットを象徴する記号として全く見事な演出です
しかし引き連れわました果ての娼婦と一緒のタクシーの中で、渡辺課長の余りの哀れさに、自分は悪魔足り得ないと片手で顔を覆い伏せるのです
彼が教えたような快楽では、最早生きている意味を感じこともできず、魂が満たされないほどに、渡辺課長が冷たく死んでいるミイラだと知ったのです
ゾンビになってさ迷う渡辺課長は、結局とよから自分の魂が満たされうる本当の喜びとは一体自分に取って何なのかを掴むのです
ウサギのオモチャの象徴する、シンプルなことでも魂が充足する喜び
そしてハッピーバースデーの歌
本当に素晴らしい感動的な演出でした
特にハッピーバースデーはエヴァンゲリオンの最終回のおめでとうのシーンはこのシーンのオマージュだったのかも知れません
それこそ胃癌という十字架を背負ったキリストが復活した瞬間でした
そしてグダグタの通夜のシーンこそ、エクセホモなのです
この人を見よ!のシーンだったわけです
回想のシーンとは鞭打たれるキリストの光景なのです
そして彼は奇跡を成し天に召されたのです
私達もミイラかもしれません
大野係長は課長に昇進するとたちまちかっての渡辺課長と瓜二つになっています
糸こんにゃくの木村も結局椅子を蹴って立ち上がったものの書類の山に顔を隠すのです
橋の上から背中を丸めて新公園を見下ろしてとぼとぼと去る姿は、彼もまたかっての渡辺課長そっくりです
何の為に生きているのか?
渡辺課長のように新公園を残すような立派なことをなすことでなくてもよいのです
とよのようにオモチャの製品を作ることに喜びを見いだすことでも良いのです
それこそ小説家の言うように快楽の為であっても良いのだと思います
日々を無感動に生きること
それはミイラなのです
死を宣告されたひとや老人だけが渡辺課長ではないのです
中高生でも、大学生でも、新入社員であってもミイラになりえるのです
あなたはミイラになっていませんか?
渡辺課長になっていませんか?
それこそが本作のテーマなのだと思います
死期がせまったからの話ではありません
人間はいつかは必ず死ぬものです
必ず老いるものです
生きているという実感を味わうように貪欲になるべきなのです
ブランコに乗って主人公が歌う有名シーン
「♪いのち短し 恋せよ乙女」の歌い出しで始まるゴンドラの唄です
その歌詞こそ本作のメッセージそのものです
死に直面した時の人間の在りようの難しさをひしひしと感じた。鬼気迫る...
死に直面した時の人間の在りようの難しさをひしひしと感じた。鬼気迫る志村喬の目つきが怖かった。所詮死んでいく気持ちは自分自身でしか分からないものであり取り巻く人々は自分の都合のよい解釈を後づけで語る。時間の経過とともに存在していたことはいずれ消え去ると思うと「生きる」という切なさが募った。
考えさせられる
1952年にコレが作られたってのがすごい。
噛めば噛むほどという映画のうちのひとつ。
日本人の汚い部分もまざまざも見せ付けられて
すごくイヤな気持ちにもなった。
でも、勉強になるし、必要な「イヤな気分」なのだろう。
作家さんの
「人生を楽しむのは人間の義務ですよ」
「貪欲に生きなきゃ。貪欲は悪徳なんて古いんです、
貪欲は美徳なんですよ」
「与えられた生を「生きない」のは神への冒涜ですよ」
これらの言葉が忘れられません。
すばらしかった。★5か迷う。 胃癌(死)の宣告を受けて、生きること...
すばらしかった。★5か迷う。
胃癌(死)の宣告を受けて、生きることの意味を考える深い作品だったと思う。
人間、死が近いものだと実感しないと(すると)生の意味や、生まれてきた意味(使命)を考えないのかな。
喫茶店でのシーン
「死ぬまでに1日でも生きて死にたい」
「何かすることがしたい、しかしそれがわかない」
それに対して女は
「ただ働いて、食べて それだけよ!」
このシーンが印象に凄く残った。
自分もそうだな。ただ食って、寝るの繰り返し。
(生きてる意味はなんだろう??)
5ヶ月で埋め立てから、公園完成っていうのはあのお役所では早すぎる気がしたが、、、
働いて、食べる。ただそれだけ
吃音の設定なのかな。死を認識してて生きる人の持つ説得力なるものが描かれている。葬儀後の役所の様子の描写に残念ながら納得してしまう現状がある。橋の上からのラストシーンにせめてもの救いがあった。
蘇州夜曲
初めて見ました!
黒澤明監督作品!
いのち短し恋せよ乙女〜♪
おもちゃの兵隊などの曲が出てきて、よくバレエ教室で小さい子が踊るような曲。
この頃からすでに日本の社会に馴染んでいた曲だったんだなと思ったのが一点。
市役所をたらい回しにされる、というのは、
今は都市伝説になっているかもしれませんが、昔の市役所の体質はあんなふうだったのかな、、と思いを馳せました。
案外、身内は家族のこと見えてないもんだなと思ったのも一つ。
死を意識して生きるから、心に残るのかなと思ったのがもう一つ。
大学の時の英語の先生で、まだ30代とかで若かったけど、心臓に持病があると仰っていました。確かにものすごく顔色が悪かった。
その先生の授業で、取り上げられたデモクラシーというテキスト、難しくてさっぱりわからなかったけど、デモクラの授業と生徒からは呼ばれていて、印象的だった。
授業中、先生が突然、感動した曲を紹介したいと、蘇州夜曲をテープで流したことがあった。
メロディーが美しいよね!と。
みんなに紹介したかった!と。
それ以来、私こ心の中には蘇州夜曲がガッツリと刻み込まれたのですが、卒業後数年たって、先生が亡くなったと聞いた。
その時に、なんとなく、やはり先生は自分の命のことをずか意識していたんじゃないかと思ったのでした。
命を意識した状態で行う行動には、気迫のようなものが詰まっていて、それは人にも必ず伝わるのかなと思います。
先生のデモクラシーや蘇州夜曲は、多分ずーと覚えてると思います。
そんなことも思いました。
黒澤明の代表作
黒澤明監督の代表作。近年は「七人の侍」がフィーチャーされ過ぎているが本作も必見の名作。1950年代前半の黒澤は神がかっていて「羅生門」「生きる」「七人の侍」を連続して産み出している。いずれも映画史上の古典的名作。
ガンで余命いくばくもないことを知ったある下級官吏が生きる意味を求めてさまよう様を描く。また家族の問題、官僚主義の問題も描かれる。
極めて根源的なテーマで重い作品だが実は映画的快楽に満ちている。観ていただければ分かるが、ストーリーテリングの巧みさ、素晴らしいモノクロの撮影、志村喬をはじめとする当時の日本映画演技陣のレベルの高さに感嘆する。また黒澤は職人的な監督だからエンターテイメントとしての映画を決して外さない。町のおかみさん達が市役所に陳情に来るシーンや主人公のお通夜のシーンはコミカルですらある。
技術的な欠点はほとんどない。セリフも怒鳴りあうシーンが少ないので聴き取れる。
昨今の御涙頂戴の感動ドラマとは全く違います。本当のドラマとはこれです。
●残された人生で何するか。
ずっと観たかった作品だが、ちょっと想像と違ってた。
余命幾ばくもないと知らされたら、自分はどうするだろうか。
知らされなくても、いつかは死ぬのだけれど。
このへんのプロセスの描写はバッサリだ。黒澤明の潔さ。
当時の文化、役所体質の描写が興味深い。コミカルでよい。
いのち短し、恋せよ乙女。小田切みきに持ってかれた。
男の生き様
志村喬、怪演。
無頼作家・ラストの部下に見られる様に、男の友情とは互いの孤独を理解し合う事。父息子の関係も本来そう有るべき(エディプスコンプレックス。
愛なき贈与なんて有り得ない、欲望の身体化に「生きる」糧見出だす。
凄く良かった
こりゃあ凄い、
初の黒澤作品。
静と動の対称で印象づけたり
重いことを明るく仕上げたり
本当に現在にも生きる技術を
作り上げた人だったんだなあと思った
あの絶妙な間で
私たちをキャラクターに感情移入させたり
考える時間を与えている
とても大切な間
あれ以上長くてもダメだし、本当に絶妙
深刻なシーンでも客を笑わせる
そんなことが出来るんだと思った
細かい言動ぜんぶが演出なら相当こだわってる
ストーリーも素晴らしくて、
決して真似したくはない主人公なんだけど
私たちは確実にこの人から何かを得て
何か学んだ。
2度目の鑑賞。 テーマやメッセージ性は名作と呼ばれるに相応しいと思...
2度目の鑑賞。
テーマやメッセージ性は名作と呼ばれるに相応しいと思いますが、映画として面白いかと聞かれると微妙な感じがします。
若い部下に付きまとう所とか見てられませんし。
お役所仕事で5ヶ月で公園作るなんて絶対無理だし!
黒澤作品は他に好きな映画沢山有りますが、この映画は合わないかな。
僕には古すぎる映画でした。
「午前十時の映画祭」で鑑賞。黒澤監督作品。途中、間延びして寝てしまった。今風に言えば、30年近くことなかれ主義を続けてきたコミュ障のおっさんが、最後に一花咲かせたという感じ。がん告知、息子夫婦とのコミュニケーション、生活、風習が今とは随分かけ離れていて、設定をすんなりと受け入れられなかった。終盤の主人公が放蕩生活から脱出し仕事に熱意を燃やす決心をしたシーン、同僚による主人公の在りし日を回想するシーンの演出はうまいと思った。
本当の誕生日
自分は黒澤映画のファンで、軽い活劇系の映画も大好きですが、ちょっとテーマ性の深いこの生きるも素晴らしい映画です。
生きるという事で大切なのは、その長さではない、どれだけ生きたかではなくどう生きたかが大切なのだと思い知らされました。
100年生きても本当に生きてない人もいるし
20年だけの人生でも本当の人生を生きれる人もいる。その生きてない者の舞台に役所を持ってきたのも素晴らしいチョイスですね笑えます。
役所勤めの主人公は生きているのに生きていない人間でしたが、余命を知り呆然とします。
しかし自分の夢、目的を見つけ、本当の意味で人生が始まります。
その目的を見つけるシーンはパーラーの場面なのですが、他の席でお誕生日の歌が流れる演出が心憎いですね。
あれが志村喬の本当の誕生日です。
何かに情熱をもって生きる事の大切さを教えられました。
泣ける
冒頭に主人公の胃が映し出され、これはこの話の主人公の胃である、というナレーションは面白かった。
人生って夏休みの宿題みたいな感じだと思った。終わる頃になって焦りながら頑張ってやり遂げる。人生も似てるな〜。
生きる意味とは何か。長い人類の歴史の中で多くの者がその問題にぶち当たってきた。しかし、生きている意味などないのだ。「なぜ生きるのか」そんなことを考えること自体が人間のエゴイズムに過ぎない。
私もいつか死ぬ。そんなことは分かっているのに日々無駄に過ごしている。ぼーっと過ごす日々に嫌気がさす。
命短し恋せよ少女。
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