生きる(1952)のレビュー・感想・評価
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生きるって?
自分が癌だと知り、相談しようとしたとたんに、死別した奥さんの分にも増して愛して育てた息子に裏切られ、息子以外に何もない自分に気付く、仕事は右から左、書類に判を押すだけ、住民の声に耳を傾けない公務員、多かれ少なかれ、一般庶民は皆そう変わらない、耳の痛い話、だからといって主人公のように、人が変わったように住民のために公園をつくるような仕事をしろ、ということではなく、生き甲斐がありますか?主人公は息子が生き甲斐だったが裏切られ生き甲斐が無くなる?生きるとは?なんだろう?死が訪れた時に満足できること?人それぞれ価値感が違うから答えは無いかも。考えることが促される作品。最近、イギリスでカズオイシグロの脚本でリメイク。
人間の悲哀がひしひしと伝わる
ただ日々を何事もなく過ぎさるのを
繰り返す。目的も目標もなく生きる。
妻に先立たれ、残された息子だけが
生きる生きがい。その息子も大きくなり
独り立ちし、嫁を貰い幸せを手に入れた。
生きがいもなくなり、日々が過ぎるだけ。
胃がんと悟り、今までの自分の人生を
振り返るが何も無い。何も成し遂げていない。
何のために生きてきたのかわからない。
何のために生まれてきたのか。
死ぬまでに生きたという実感を味わいたい。
究極の「生」というものを見られる映画。
70年も前の映画なのに
役所に対する捉え方が今と
変わらないことにゾっとしました。
残りの力で
昔は告知しなかったのか。
患者の一人から聞いた顛末が自分の症状と合い、ビクビクしつつ受診したら
あの男の言った通りに話が進む。
医者もなんと言うか、患者のことを
考えてないようにとれる。考えていないのだ。
今と昔と患者にとってどちらがいいのだろう。
病名と進行状況、患者本人によるのか。
とにかく渡辺さんは自身の病名並びに余命も
確信した。
戦後数年経った日本、喧騒著しい。
自宅の2階には光男夫婦が同居している。
昔だからといって親を敬う雰囲気は皆無。
自分たち二人の生活の為に
父親渡辺さんの持ち金を算段する
あけすけな光男夫婦の会話、
ここに自分の居場所は無い。
二階から呼ばれて内心うれしく思い階段を
上がりかけたら、戸締まり頼むと、だけ。
床の間の小さな仏壇を開けて亡き妻の顔を
拝み亡くなった当時を思い出す。
兄が再婚を勧めるもまだ幼かった光男を
一人で育てて来た。
野球の試合、盲腸の手術、出征、など
思い出が浮かんで懐かしむ。
顔が見たくなりまた階段を上がりかけたら
電気が消され、しかたなく下りて来る。
布団を敷いて目覚ましをかけて寝る用意をして
いたら堪らなくなり、布団の中でむせび泣く。
あんなに可愛がったのに、
なついて来ていたのに、と。
職場の人間が、5日間無断欠勤の様子を心配して訪ねて来る。応対した家政婦は、毎日出勤して行っている旨話す。
驚く光男夫婦、伯父たちにも相談。
飲み屋で知り合った睡眠薬を欲しがる男と
一緒に無茶して一思いに死んでやれと
酒を飲みに来た。
今まで自分の金で酒を飲んだことがないって。
宴会や奢りばかり?
自身では呑みに行ったことがない、
それだけ節約して来たのか。
苦悩に満ちた様子で喉から絞り出すように
話す様には哀愁が漂う。
払拭するかのように、頭を切り替える。
何十年もかかって貯めた5万円を
下ろして所持している。
どう使おうか、わからない。
新しい帽子やパチンコ、、バー、ダンスホール
煌びやかな世界など遊興費に使ってみたが、
何をしても満足できない自分。
ピアノ奏者が客にリクエストを募ると、
「いのち短し、して。」と声を振り絞り叫ぶ。
「『ゴンドラの唄』ですか?」と確認。
渡辺さんは、独唱するのである。
大きな目はウルウルしている。
♪命短し〜♪
♪明日という日のないものを〜♪
♪今日はふたたび来ぬものを〜♪
ギクッ❣️
ストリップでの渡辺さんの新鮮な驚き、可愛い❤️
ダンスホール超満員❗️ぎゅうぎゅう詰め。
ホールを出て歩く渡辺さんの表情、
暗く暗く陰鬱な、連れの男も一歩引く表情。
家近くで女性部下に出くわす。
ただ忙しくて退屈な市役所の仕事を辞めて
職場をかわるので退職届を受理してもらいに
来た、と。家まで来る?
渡辺さんが帰って来た、若い女性と一緒に⁉️
女性部下からあだ名を告げられ、
穏やかな渡辺さんだから顔には出さなかったが
人のあだ名はおもしろく笑えるが‥‥。
色々廻りストッキングをプレゼントした。
付き合ってもらったお礼のつもりか。
パチンコ、スケート、映画。
鍋の席で、
ミイラのように働いて来たのに、
息子はその意を介してくれないとグチる
渡辺さん。
女性から、
「実は息子さんが一番好きなくせに。」
と指摘され躊躇しながら顔が一瞬ほころぶ。
渡辺さんは普通のいい父親だった。
やはり、光男に身体のことを相談しようか。
家で光男の心ない言葉に唖然とする渡辺さん。
5万円使わせられた、とか、
財産分与とか、あんた呼ばわりとか、
妻が可哀想、とか。(どこが?)
渡辺さんの驚愕した表情❗️
きっと一人で育てて来た光男と
今目の前で話す男とは
別人であると思ったに違いない。
役所では渡辺さんへの馬鹿にした噂や憶測。
しかし、
当人にとっては今までにないほど真剣であった。
女性部下も辛辣❗️
新しい職場に行き、
渡辺さんオドオドしながら誘うと、
「でも、今夜だけよ。」やっと付き合ってくれた。
喫茶店でたらふく食べ、
ご馳走に飽きたら、キツい言葉浴びせる女性。
渡辺さんのビックリまなこ。
職場にも家にも居場所は無い。
もがいても暴れても、
息子はどこか遠くにいる。
そんな気持ちになってしまった自分なんだ。
君(女性)はワシに親身になってくれるし、
活気がある。なぜ活気があるか知りたい。
それを知らなけれは、死ねない。
目に涙を溜めて訴える渡辺さん。
やる気になれる、ワシにも何かできるように
教えてほしい、と懇願。
ウサギ🐰のおもちゃ🐇可愛い💕
こんな物作っていても楽しいわよ。
目を潤ませ俯き考え込む渡辺さん、
(この時の音楽)
🎼ハッピー、バースデー♪
しばらくしてハッと目覚めたかのような表情。
遅くはない、遅くはない、
自分にもできる、自分にも何かできる
やる気になればできる。
渡辺さん久しぶりに出勤して、
諸々の事案について
市民課が主体にならんとと行動に移す。
実地調査し始めて5ヶ月、
渡辺さんは亡くなってしまった。
家での葬儀通夜の席、
助役に会いに押しかける記者たち。
助役と記者との攻防。
記者、
渡辺さんが真の功労者だ。
プロモーターだ。
地域の人皆言っていた。
渡辺さん、無視されていた。
公園で亡くなっていた。
あれは、市の上層部に対する無言の抗議❗️
ではないか、という噂が持ち上がっている。
助役、
凍死でもなく自死でもない。
渡辺さんには持病があり胃がんの内出血で。
引く記者たち。皆鎮痛な面持ちで帰った。
助役、やってられないよ、とグチャグチャ言う。 イヤな上司❗️
土木部長、助役にゴマスリ。
イヤなヤツ❗️
黒江町の婦人たちが焼香に来る。婦人たちは亡くなった渡辺さんが公園作りの功労者であることを知っている為、成し遂げてくれた功績を感謝しつつ今はいない現実にすすり泣く。
この婦人たちの様子に、
驚き顔を見合わせる光男と妻。
顔を上げられない助役たち。
伯母が促し伯父、伯母、光男、妻総出で、
婦人たちを送り出す。
居心地の悪そうな助役たちが帰り、
部下たちが車座に座り、
忌憚のない話が始まる。
役所には縄張りがあるんだ。
渡辺さん変わったな。5ヶ月前から変わった。
自分の死期を知っていたのだろうか。
雨が降り、水がはけない地面で衛生面から
付近の住民から苦情が出ていた土地。
その地に土を入れ児童公園にとの陳情。
市役所の数ある課を廻って廻って、
許可を得たり印を貰ったり連絡して貰ったり、
たくさんの過程を経る為に
誰にでも頭を下げて、下の者にまで頭を下げて来るから気の毒になってしまった。
渡辺さん必死❗️やっとの粘り勝ち❗️
究極は、アレだなぁ。
陳情団連れて来て助役室に入り楯突く
凛々しい姿。
しかし、渡辺さんが頼みに来ても、
「見送れ。」と言い捨て雑談に戻る助役。
渡辺さんの苦しそうな表情。
世の中闇で、渡辺さんは
仕事だけで身体を支えているみたいだった。
歩くのがやっとの渡辺さん。
現場で渡辺さんが倒れると婦人たちが、
助けに走り甲斐甲斐しく世話をする。
水を飲んだ時の表情、
工事を見る顔、
子か孫を見る眼差しだった。
当たり前。あの公園を作ったのは渡辺さん。
またこんなことも、
歓楽街を作りたい反対派に脅されるも、
怯まずに意思を通した。
反対派、おとなしく帰ったなぁ。
胃がんを知っていたと思えるフシがある。
あまりの各課の仕打ちに憤慨する係長に、
「人を憎んでなんかいられない、そんな暇はない。」
また違う人は、
「夕焼け美しい。ワシには(ゆっくりと眺める)そんな暇は無い。」
と言ってたな。
皆で役所の愚痴のオンパレード。
役所とは何もしてはいけないところだなぁ。
何も報われないなぁ。
渡辺さんの手柄を横取りした、‥‥
助役とはっきり言え❗️
お巡りさんが焼香に来た、
渡辺さんの帽子も届けて。
今までの職員たちの会話を聞いていた
光男の後悔の顔。
警察官は言う。雪の中だったが。
「あんまり楽しそうだったし、
しみじみと歌を歌ってられたから
邪魔しては悪いと思って。
帰るよう言わなかったんだ。💦」
気にするな、と帰ってもらう。
渡辺さん、
雪☃️降る中
ブランコに乗って、
♪命短し〜って
❤️心の中は満足、多分顔ニコニコ❣️
だったと想像する。
光男、帽子持って父が遺してくれた通帳書類も
持って何を思うのだろう。
しかし、市役所はいつもの日常。
愕然とする新人職員。
そして公園を見る、
上に上がろうとすれば何もしてはいけないのだ
。生きているのか死んでいるのかわからなくてもただただ日々を過ごすのだ。
それが市役所の仕事だ。
トボトボ帰る新入職員。
古き良き時代のファンタジー
市役所市民課長が胃ガンの余命宣告され、それまでの死んだような仕事ぶり、人生を悔い、享楽の果てに自分のなすべき仕事を見つけ最後の命を注ぐ物語。主人公を演じる志村喬さんの表情、姿勢、セリフなど一つ一つが切なく胸に迫り苦しくなります。
黒澤明&橋本忍の体制への批判、皮肉に富んだ脚本、構成はやっぱりさすがです。ただ、主人公が愛情を注ぐ息子の設定がしっくりきませんでした。すでに成人し、結婚もしている息子へあれほどの慕情がわくのか。当時は子離れのタイミングはもっと早いのではないかとか。むしろ娘にして、初恋や結婚に揺れる設定だったらどうだったのかな~と思いました。
お斎の席で渡辺の謎の行動が解き明かされていく
公開は1952年。
その7年前の戦時中であらば「生きる」意味はまったく変わっていた。
ガンの宣告は今では当たり前だが、つい最近まで
精神的な負荷を考えて本人に宣告をすることは稀だった。
死と向き合うことは人生の一大事だが、
戦争ではなく、病気と向き合って死に行くという、
当たり前の日常を新鮮に描いている。
まだ戦後復興の槌音が響く平和の時代を背景に、
登場した事なかれで無気力な役人や、裏社会と結びつく幹部。
平和の中にこそ芽生えた新たな社会の病理を描くことで
新たな時代の生き方を浮き彫りにした作品といえる。
今では見られなくなった自宅で催されるお斎の席上には
渡辺と最後の時間を共有した人々が次々と訪れ、
渡辺(志村喬)の謎だらけの行動が徐々に解き明かされていく。
同僚の役人たちが渡辺の生き方に絆されていく場面は、実に圧巻である。
渡辺が示した生き方。実は多くの日本人が共有していたといえる。
それが奇跡の復興とその後の高度成長をもたらした、
といってよいのではないだろうか。
音声が
1950年頃、市役所市民課課長渡辺は、勤務30年「忙しく退屈」に仕事をし、真面目で無気力な毎日を過ごしていた。そんなとき、自分が胃ガンであることを自覚する。彼は無断欠勤、知り合った作家と盛り場で放蕩、転職をしようとしていた部下の若いとよと出かけたりする。そして残りの時間で、自分ができることを。
ずいぶん前に観賞しましたが、音声がひどくて感動がそがれた思いがありました。今回は字幕で観賞、より深くしっかり感動できました。
そして最近イギリスのリメイク版「生きる LIVING」を観賞。文化の違いがわかりやすいです。当時の日本は、ガンの宣告が一般的では無かったですね。
序盤の市役所内でのたらいまわしのひどさや、病院で医者が待合室の患者と同じことを言うところは、黒澤明流のコメディのシーン。そして~命短し~と歌うところは、泣けてきます。
息子役は金子信雄だったのか、後の仁義なき戦いシリーズとは随分イメージが違います。今作の多くの俳優が、2年後の「七人の侍」に出演。合わせて観ると、また面白いと思います。
さすが、クロサワ。「生きる」という重いテーマが心に響く
全体のプロットがとてもうまくできていて、セリフやナレーション、場面展開もうまく最高級の脚本だと思った。特に後半の回想シーンで“生きる主人公”を描くところは、「いろいろな見方ができる」と観ている人に提示してから、「本当に生きるというのは、こうゆう姿を言うのではないか?」と考えさせるようになっていて、すごいと思う。
冒頭の「死んでいるも同然の主人公」の描き方、志村喬の力のない演技が上手かった。動かない役所という社会問題もリアリティをもって伝わってくる。「生きる」を伝えるために「死んでいる状態」を描いて、対比が際立つようになっている。
自分の運命を悟った主人公が、先ず享楽へ走るところも、きっかけに小説家を使う展開が自然でうまい。絶望した主人公が「楽しいことをしよう」というのはよくある展開だが、この『生きる』がその元祖なのかもしれないと思った。
主人公がこころを入れ替える場面もよくできていた。「活力にあふれ、まさに生きている若い女性」からヒントをもらうのだが、そのヒントが「なるほど。確かにそうだ」と思えるヒントで説得力があった。主人公が生きるという意味を必死に求めて、女性に顔を近づけつつ強い気持ちを訴える演出も良かった。
この映画のラスボスは、役所のトップの助役だろう。公園を実現するための最大の壁。門前払いのような扱いを受け、助役が他の客と雑談を始める場面は、こう言われたらであきらめない人はいないだろうと思わせる。それでも、低姿勢でありながら鬼気せまる表情で「・・是非・・もう一度ご一考を」と迫る。今は怖いものがない。ここで諦めたら、自分が生きた意味がなくなるという強い思いが普通はできないことをさせる。迫力があり、こころに響く場面だった。
さすが黒澤明
簡単ではない。普通なら渡辺さんはやり遂げたと雪のブランコで終わらせて感動物語にするところを、黒澤はそうしない。通夜の席であれほど渡辺さんに続いて俺たちも変わろう!と言っていた公務員たちが、日常に戻ればまた市民の訴えをたらい回しにするお役所仕事をしている苦いラスト。題名の生きると雪の中のブランコの名シーンから想像する分かりやすい泣ける感動映画ではない。何回も観て、歳を経て分かる深い映画。
そりゃ既視感あるわな
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市役所の課長が、無気力で無為な人生を送ってた。
そんなある日、胃がんであることが発覚する。
しばし会社を休み、元部下の女の子と親しくなった。
その子は役所をやめて製造業につき、生き甲斐を感じてた。
その影響で、課長は職場復帰後、公園の建設に尽力する。
主婦が役所に提案し、たらい回しにされてた案件だった。
なお尽力する場面は直接は描かれず、課長はガンで死ぬ。
その後に関係者が思い出して語るような形で描写される。
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古過ぎる映画は見にくいな。どうも音声のバランスが悪い。
よく聞こえないので、TVの音量を大きくせざるを得ない。
すると大声やBGMが異常にうるさく、結構ストレスになる。
見始めて10分、何この既視感?って思ったんよな。
これ、去年映画館で見て、寝てもた同名映画と同じやん。
あれはこの作品をもとに、作られた海外作品やったんやな。
今回は寝ることはなかったが、やっぱりよく分からんかった。
っていうか音の問題があってあまり集中できてなかった感じ。
生きた屍のようだ
生きているのか死んでいるのかも分からないような人たちはたくさんいる。自分もそう。近頃全くそういう風に感じていたからこそ、改めてそう思う。
このままじゃダメだ!と誓いを新たにしてものの数日でまたミイラのような生活に戻った事など数知れず。
良い映画だ、素晴らしい、傑作だなんて言っても観た人自身が少しでも人生を良くしてかなければ全く意味がない。
後半に描かれた役所の人たちが想いを新たに一致団結したにも関わらずまたミイラとなったラストが実に象徴的。
この映画を観て、ひとつ一つちゃんと自分の人生を思いっきり生きてみようと思いました。
黒澤明監督、ありがとう。
素晴しい
初めて黒澤作品を鑑賞した。
昭和初期の映画の特徴として、本作品もモノクロの画面に早い台詞回し。特に前半は女性の言葉がなかなか聞き取れなくて、ストーリーについていけてるのか不安になった。
途中までは不安だったが、ラストの45分間は画面に釘付けに。
脚本も演技者も市井の人をリアルに描き、無音のシーンも画面からそれぞれの気持ちを深く表していた。
主演の志村喬の演技は映画の冒頭から素晴らしく、大きな目に様々な感情が浮かんでいた。終盤、人生をかけた仕事に向かう背中に、大きな覚悟と哀愁を感じた。
本作品を見ながら自分自身や家族や、いずれ誰もが向かい合う老いや死に、想いを馳せずにはいられなかった。
素晴しい作品
黒澤明監督の最高傑作のひとつ
初見は1980年3月9日、銀座・並木座で鑑賞。(2本立て)
その後も、映画館・VHS・DVD繰り返し観ている。
「生きる」は、黒澤明監督の最高傑作のひとつである。
物語は、ある男の「胃のレントゲン写真」から始まる。その男=渡辺勘治(志村喬)は市役所の課長をしているが、生きながら死んでいるような覇気がまったく無い。その彼が、医者に行くが、そこで他の患者(渡辺篤)から「軽い胃潰瘍です、と言われたら、そりゃ胃ガンだね」と勘治の診察前に話すが、果たして勘治の診察結果は「軽い胃潰瘍です」と医者から言われる。この場面、映画館(並木座)で観ていた観客は、爆笑🤣
のどかに皆で映画を普通に楽しんでいた。
余命短いことを知った渡辺勘治は、それからというもの生き返ったように行動力を発揮する。歓楽街に行ったり、小田切みきと一緒に過ごしたり、そして、市民のためになるようにと公演をつくることを生前最後の仕事として貫く。その姿は胸をうつ。
この映画できわめてインパクト強い場面が、映画途中で「渡辺勘治が死んでしまうこと」であり、主人公を映画半ばで死なせてしまう黒澤明の映画の作り方に感動した。
そして、後半は「死んだ渡辺勘治の通夜に集まった人々による追想」によって、渡辺勘治を描くという素晴らしい展開。
その追想場面の中でも、やはり「自分がつくりあげた公演のブランコで『ゴンドラの唄』を歌う渡辺勘治」が印象的である。
志村喬は、この映画と『七人の侍』は、甲乙つけ難い名演。
大好きな映画。
黒澤明監督 やはり名作 94点
たまたまNHKで放送していたので見て見た。
これはすごい作品でした。派手ではないが地味で
あるが生きるとは何か?を考える主人公を第三者目線で見る作品。
リメイク版を昨年見て、今年黒澤明監督の作品を見た。
映画の撮り方が特徴があり、とくにワンシーンが長いし演技している役者の顔を真正面から映しているなぁと。
あと白黒でも映画最後まで見れたのでゴジラ-1.0C見に行こうかなと思いました。
個人的には「噛み合わず」、
個人的には「そこまでいいものだったかなあ」と。
古い映画ということもあり、全体的にセリフの音声がくぐもって低かったりボソボソ話してたり、声が割れてるかんじもあって聞こえづらかった、というか、8割くらい聞きとれなかった。
音量をあげればいきなり怒鳴り声になったり騒音になったり、小さくすればそんなボソボソなかんじで、見にくかった。
それでも高い評価のこの映画、なんとかがんばって見てみた。
中盤までの騒がしいくだりとか女性とのデートの部分も、話はわからんではないけど「んー、それでどーなるの?、残りの人生で盛り上がっていくんじゃないの?」って変に自分が期待してたからか、中だるみはしちゃったかな。。。
後半までそんなかんじで、いよいよ開き直って割り切って残りの人生を、と思いきや、そこで亡くなってしまいあれやこれやという回想の展開。
「あー、そういうことか」と思うも、あとは男連中が事後談義だけで「その顛末」を聞かされるかんじだったから、気持ちも入り込めないまま、その本人は亡くなってるし、で、なんか自分と噛み合わなかった。
終盤は、その事後談義も男連中の酔っ払いながらの侃侃諤諤の議論の流れ。
そのよさはわからんでもない、まだ話がわかるだけよかった、でも、正直、「そこまでいい」とは思えなかった。
ところで、その主人公の人が時に本田圭佑にも見えたり。
真の行政の姿とは‼️❓死に向き合う姿とは❓‼️
テレビの録画📺
想像していたより風刺色が強く、けたたましい音響と白黒の画面から陰惨な想いが駆け抜ける。
実は、真の行政機関の姿は、ミイラでは無く、亡者が支配しているのだ、古今東西。
映画は最下層の管理職の姿なので、さもありなん、でも、上へ行くほど権力欲の塊で、税金の無駄遣いどころか権力者の権威を保つものに過ぎない、最近ではコロナのばら撒き、万博、国、地方を問わず。
余談は置いといて、この映画の主人公は、生きる証として、人のためになる後世に残るものを最後の生き方とした、いろんな享楽は病にはてる者には何の意味もない、元気なうちには気づかない、因果なものだ。
主人公のように生きてるうちに証を残せたのは、なんとも果報者と言えるのかもしれない。
リメイクに比べてオリジナルは極めて残酷な視点であり、人生の悲哀をより感じさせる。
黒澤明の視点は冷酷で暖かい哲学なのかもしれない、娯楽ではなく、人生の指針を示す。
死に至る病の臥せる前に、より、形に残る、多くの人のための、仕事を、ささやかでも、したい、そう思わせられた、ありがとうございました😭
やっぱり名作
以前DVDで観て、今日NHKの地上波で放映していたので観ましたがやっぱりいいですね。
お葬式のシーンは『北の国から』の、杵次(大友柳太朗)のお葬式のシーンの参考にしたのかな?的な、黒澤監督の映画は世界中の映画監督のお手本になっていて本当に上手いと思います。
残酷‼️
黒澤明監督は私が世界で一番好きな映画監督です‼️それでこの「生きる」という作品‼️世間では「七人の侍」と並ぶ黒澤明監督の最高傑作と位置づけられていますが、私的にはチョット違う‼️確かにヒューマンドラマとして名作だとは思うけど・・・。ある市役所の課長が癌で余命いくばくもないことを知り、後回しにしていた住民からの要望である、公園作りに全力を傾ける・・・‼️途中で主人公が亡くなり、回想形式に切り替わるのは面白いと思います‼️フツーの時間軸で展開していたら、さぞつまらなくなっていたでしょう‼️そして絶賛されている志村喬さんの演技‼️まるで死神が取り憑いたような演技で、この演技が映画全体の印象を決定づけている‼️ブランコで唄う雪のシーンは良かったと思うのですが、この作品の志村喬さんだったら、周りの人間もひょっとしたら長くないんじゃないか?と予感させてしまう‼️それじゃダメなんじゃないでしょうか⁉️そういう死期が近いことを思わせないような演技じゃないと‼️私が天邪鬼のせいかもしれませんが、この作品の志村喬さんの演技はどうも好きになれない‼️そして官僚主義や反体制を批判したテーマも残酷で、ラストを観ていると結局一人の人間(課長)がいくら頑張ったところで何も変わらないと痛感させられる‼️あまりにも残酷で、私的には多くを語る気にはなれない作品‼️甘いかもしれませんが「赤ひげ」の清々しいヒューマニズムの方が私的には大好きです‼️
ちなみに生前、黒澤明監督はこの「生きる」の事を、「あまり語る気になれない作品だ」と語っておられたらしいです‼️そしてNHKの企画「黒澤明が選ぶ世界の名画100本」では自作では今作ではなく「赤ひげ」が選ばれてました‼️
ストレートなタイトルに心を惹かれた。 主人公のうじうじした話し方や...
ストレートなタイトルに心を惹かれた。
主人公のうじうじした話し方や態度には少々イライラさせられるし、思いつめたような表情も気味が悪い。
しかし、それも名演技ということか。
人生の最期を悟ってあれほど仕事に没頭できるかは私は自信がない。
こうして、日本型村社会がアメリカンドリームを謳歌し始める
民主主義に於いて行政は、国民の為に存在する。
1952年に『20年間男やもめ』って事は、
1932年から役人をやっている事になる。つまり、戦前から役人をやっていた訳で、行政の機関の一員と言うよりも、官僚なのではないだろうか?もっとも、地方公務員は官僚とは言わない。しかし、映画の中ではこの人物の詳細は説明されていない。従って、戦後民主主義が謳歌され始めた時期の官僚に対してのアイロニーな出鱈目なお話と思うべきだ。
この主人公の心の動きを見ても、奇々怪々でわけわからない。亡父曰く。『貧困層はこんな生活感持っていなかった』付け加えて『役人はアプレガールとは遊ばないぞ』って怒っていた。
僕が知る限り、役人は威張っていた。それがDNAと化して、日本型の終身雇用までも否定される原因になってしまう。
『たとえ役人と言えど、能力を発揮しなければ駄目だ』ってね。
そして、それが民間会社に゙伝承し、能力主義が育つ。
よくよく考えてみれば、自分の命を犠牲にしてつまらない公園を作ったに過ぎない。
って考えたら、ブラック企業の『さきがけ』に見えるが。
因みに、小田切ミキさん演じる娘さんは我が亡父と同い年で、アプレガールではない。
いつポックリいくか
葬式の時に胃ガンだと知ったからそりゃ頑張れるんだよみたいに水を差す発言のあと、「そうじゃない、そんなこと言ったら私たちだっていつポックリいくかわかんないよ」みたいなセリフがあった。あれがよかった。あのセリフから帰納的にこの映画は作られてるとさえ思えるほど残った。
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