生きる(1952)のレビュー・感想・評価
全65件中、1~20件目を表示
生きるって?
自分が癌だと知り、相談しようとしたとたんに、死別した奥さんの分にも増して愛して育てた息子に裏切られ、息子以外に何もない自分に気付く、仕事は右から左、書類に判を押すだけ、住民の声に耳を傾けない公務員、多かれ少なかれ、一般庶民は皆そう変わらない、耳の痛い話、だからといって主人公のように、人が変わったように住民のために公園をつくるような仕事をしろ、ということではなく、生き甲斐がありますか?主人公は息子が生き甲斐だったが裏切られ生き甲斐が無くなる?生きるとは?なんだろう?死が訪れた時に満足できること?人それぞれ価値感が違うから答えは無いかも。考えることが促される作品。最近、イギリスでカズオイシグロの脚本でリメイク。
人間の悲哀がひしひしと伝わる
ただ日々を何事もなく過ぎさるのを
繰り返す。目的も目標もなく生きる。
妻に先立たれ、残された息子だけが
生きる生きがい。その息子も大きくなり
独り立ちし、嫁を貰い幸せを手に入れた。
生きがいもなくなり、日々が過ぎるだけ。
胃がんと悟り、今までの自分の人生を
振り返るが何も無い。何も成し遂げていない。
何のために生きてきたのかわからない。
何のために生まれてきたのか。
死ぬまでに生きたという実感を味わいたい。
究極の「生」というものを見られる映画。
70年も前の映画なのに
役所に対する捉え方が今と
変わらないことにゾっとしました。
古き良き時代のファンタジー
市役所市民課長が胃ガンの余命宣告され、それまでの死んだような仕事ぶり、人生を悔い、享楽の果てに自分のなすべき仕事を見つけ最後の命を注ぐ物語。主人公を演じる志村喬さんの表情、姿勢、セリフなど一つ一つが切なく胸に迫り苦しくなります。
黒澤明&橋本忍の体制への批判、皮肉に富んだ脚本、構成はやっぱりさすがです。ただ、主人公が愛情を注ぐ息子の設定がしっくりきませんでした。すでに成人し、結婚もしている息子へあれほどの慕情がわくのか。当時は子離れのタイミングはもっと早いのではないかとか。むしろ娘にして、初恋や結婚に揺れる設定だったらどうだったのかな~と思いました。
お斎の席で渡辺の謎の行動が解き明かされていく
公開は1952年。
その7年前の戦時中であらば「生きる」意味はまったく変わっていた。
ガンの宣告は今では当たり前だが、つい最近まで
精神的な負荷を考えて本人に宣告をすることは稀だった。
死と向き合うことは人生の一大事だが、
戦争ではなく、病気と向き合って死に行くという、
当たり前の日常を新鮮に描いている。
まだ戦後復興の槌音が響く平和の時代を背景に、
登場した事なかれで無気力な役人や、裏社会と結びつく幹部。
平和の中にこそ芽生えた新たな社会の病理を描くことで
新たな時代の生き方を浮き彫りにした作品といえる。
今では見られなくなった自宅で催されるお斎の席上には
渡辺と最後の時間を共有した人々が次々と訪れ、
渡辺(志村喬)の謎だらけの行動が徐々に解き明かされていく。
同僚の役人たちが渡辺の生き方に絆されていく場面は、実に圧巻である。
渡辺が示した生き方。実は多くの日本人が共有していたといえる。
それが奇跡の復興とその後の高度成長をもたらした、
といってよいのではないだろうか。
音声が
1950年頃、市役所市民課課長渡辺は、勤務30年「忙しく退屈」に仕事をし、真面目で無気力な毎日を過ごしていた。そんなとき、自分が胃ガンであることを自覚する。彼は無断欠勤、知り合った作家と盛り場で放蕩、転職をしようとしていた部下の若いとよと出かけたりする。そして残りの時間で、自分ができることを。
ずいぶん前に観賞しましたが、音声がひどくて感動がそがれた思いがありました。今回は字幕で観賞、より深くしっかり感動できました。
そして最近イギリスのリメイク版「生きる LIVING」を観賞。文化の違いがわかりやすいです。当時の日本は、ガンの宣告が一般的では無かったですね。
序盤の市役所内でのたらいまわしのひどさや、病院で医者が待合室の患者と同じことを言うところは、黒澤明流のコメディのシーン。そして~命短し~と歌うところは、泣けてきます。
息子役は金子信雄だったのか、後の仁義なき戦いシリーズとは随分イメージが違います。今作の多くの俳優が、2年後の「七人の侍」に出演。合わせて観ると、また面白いと思います。
さすが、クロサワ。「生きる」という重いテーマが心に響く
全体のプロットがとてもうまくできていて、セリフやナレーション、場面展開もうまく最高級の脚本だと思った。特に後半の回想シーンで“生きる主人公”を描くところは、「いろいろな見方ができる」と観ている人に提示してから、「本当に生きるというのは、こうゆう姿を言うのではないか?」と考えさせるようになっていて、すごいと思う。
冒頭の「死んでいるも同然の主人公」の描き方、志村喬の力のない演技が上手かった。動かない役所という社会問題もリアリティをもって伝わってくる。「生きる」を伝えるために「死んでいる状態」を描いて、対比が際立つようになっている。
自分の運命を悟った主人公が、先ず享楽へ走るところも、きっかけに小説家を使う展開が自然でうまい。絶望した主人公が「楽しいことをしよう」というのはよくある展開だが、この『生きる』がその元祖なのかもしれないと思った。
主人公がこころを入れ替える場面もよくできていた。「活力にあふれ、まさに生きている若い女性」からヒントをもらうのだが、そのヒントが「なるほど。確かにそうだ」と思えるヒントで説得力があった。主人公が生きるという意味を必死に求めて、女性に顔を近づけつつ強い気持ちを訴える演出も良かった。
この映画のラスボスは、役所のトップの助役だろう。公園を実現するための最大の壁。門前払いのような扱いを受け、助役が他の客と雑談を始める場面は、こう言われたらであきらめない人はいないだろうと思わせる。それでも、低姿勢でありながら鬼気せまる表情で「・・是非・・もう一度ご一考を」と迫る。今は怖いものがない。ここで諦めたら、自分が生きた意味がなくなるという強い思いが普通はできないことをさせる。迫力があり、こころに響く場面だった。
さすが黒澤明
簡単ではない。普通なら渡辺さんはやり遂げたと雪のブランコで終わらせて感動物語にするところを、黒澤はそうしない。通夜の席であれほど渡辺さんに続いて俺たちも変わろう!と言っていた公務員たちが、日常に戻ればまた市民の訴えをたらい回しにするお役所仕事をしている苦いラスト。題名の生きると雪の中のブランコの名シーンから想像する分かりやすい泣ける感動映画ではない。何回も観て、歳を経て分かる深い映画。
生きた屍のようだ
生きているのか死んでいるのかも分からないような人たちはたくさんいる。自分もそう。近頃全くそういう風に感じていたからこそ、改めてそう思う。
このままじゃダメだ!と誓いを新たにしてものの数日でまたミイラのような生活に戻った事など数知れず。
良い映画だ、素晴らしい、傑作だなんて言っても観た人自身が少しでも人生を良くしてかなければ全く意味がない。
後半に描かれた役所の人たちが想いを新たに一致団結したにも関わらずまたミイラとなったラストが実に象徴的。
この映画を観て、ひとつ一つちゃんと自分の人生を思いっきり生きてみようと思いました。
黒澤明監督、ありがとう。
素晴しい
初めて黒澤作品を鑑賞した。
昭和初期の映画の特徴として、本作品もモノクロの画面に早い台詞回し。特に前半は女性の言葉がなかなか聞き取れなくて、ストーリーについていけてるのか不安になった。
途中までは不安だったが、ラストの45分間は画面に釘付けに。
脚本も演技者も市井の人をリアルに描き、無音のシーンも画面からそれぞれの気持ちを深く表していた。
主演の志村喬の演技は映画の冒頭から素晴らしく、大きな目に様々な感情が浮かんでいた。終盤、人生をかけた仕事に向かう背中に、大きな覚悟と哀愁を感じた。
本作品を見ながら自分自身や家族や、いずれ誰もが向かい合う老いや死に、想いを馳せずにはいられなかった。
素晴しい作品
黒澤明監督の最高傑作のひとつ
初見は1980年3月9日、銀座・並木座で鑑賞。(2本立て)
その後も、映画館・VHS・DVD繰り返し観ている。
「生きる」は、黒澤明監督の最高傑作のひとつである。
物語は、ある男の「胃のレントゲン写真」から始まる。その男=渡辺勘治(志村喬)は市役所の課長をしているが、生きながら死んでいるような覇気がまったく無い。その彼が、医者に行くが、そこで他の患者(渡辺篤)から「軽い胃潰瘍です、と言われたら、そりゃ胃ガンだね」と勘治の診察前に話すが、果たして勘治の診察結果は「軽い胃潰瘍です」と医者から言われる。この場面、映画館(並木座)で観ていた観客は、爆笑🤣
のどかに皆で映画を普通に楽しんでいた。
余命短いことを知った渡辺勘治は、それからというもの生き返ったように行動力を発揮する。歓楽街に行ったり、小田切みきと一緒に過ごしたり、そして、市民のためになるようにと公演をつくることを生前最後の仕事として貫く。その姿は胸をうつ。
この映画できわめてインパクト強い場面が、映画途中で「渡辺勘治が死んでしまうこと」であり、主人公を映画半ばで死なせてしまう黒澤明の映画の作り方に感動した。
そして、後半は「死んだ渡辺勘治の通夜に集まった人々による追想」によって、渡辺勘治を描くという素晴らしい展開。
その追想場面の中でも、やはり「自分がつくりあげた公演のブランコで『ゴンドラの唄』を歌う渡辺勘治」が印象的である。
志村喬は、この映画と『七人の侍』は、甲乙つけ難い名演。
大好きな映画。
黒澤明監督 やはり名作 94点
たまたまNHKで放送していたので見て見た。
これはすごい作品でした。派手ではないが地味で
あるが生きるとは何か?を考える主人公を第三者目線で見る作品。
リメイク版を昨年見て、今年黒澤明監督の作品を見た。
映画の撮り方が特徴があり、とくにワンシーンが長いし演技している役者の顔を真正面から映しているなぁと。
あと白黒でも映画最後まで見れたのでゴジラ-1.0C見に行こうかなと思いました。
真の行政の姿とは‼️❓死に向き合う姿とは❓‼️
テレビの録画📺
想像していたより風刺色が強く、けたたましい音響と白黒の画面から陰惨な想いが駆け抜ける。
実は、真の行政機関の姿は、ミイラでは無く、亡者が支配しているのだ、古今東西。
映画は最下層の管理職の姿なので、さもありなん、でも、上へ行くほど権力欲の塊で、税金の無駄遣いどころか権力者の権威を保つものに過ぎない、最近ではコロナのばら撒き、万博、国、地方を問わず。
余談は置いといて、この映画の主人公は、生きる証として、人のためになる後世に残るものを最後の生き方とした、いろんな享楽は病にはてる者には何の意味もない、元気なうちには気づかない、因果なものだ。
主人公のように生きてるうちに証を残せたのは、なんとも果報者と言えるのかもしれない。
リメイクに比べてオリジナルは極めて残酷な視点であり、人生の悲哀をより感じさせる。
黒澤明の視点は冷酷で暖かい哲学なのかもしれない、娯楽ではなく、人生の指針を示す。
死に至る病の臥せる前に、より、形に残る、多くの人のための、仕事を、ささやかでも、したい、そう思わせられた、ありがとうございました😭
残酷‼️
黒澤明監督は私が世界で一番好きな映画監督です‼️それでこの「生きる」という作品‼️世間では「七人の侍」と並ぶ黒澤明監督の最高傑作と位置づけられていますが、私的にはチョット違う‼️確かにヒューマンドラマとして名作だとは思うけど・・・。ある市役所の課長が癌で余命いくばくもないことを知り、後回しにしていた住民からの要望である、公園作りに全力を傾ける・・・‼️途中で主人公が亡くなり、回想形式に切り替わるのは面白いと思います‼️フツーの時間軸で展開していたら、さぞつまらなくなっていたでしょう‼️そして絶賛されている志村喬さんの演技‼️まるで死神が取り憑いたような演技で、この演技が映画全体の印象を決定づけている‼️ブランコで唄う雪のシーンは良かったと思うのですが、この作品の志村喬さんだったら、周りの人間もひょっとしたら長くないんじゃないか?と予感させてしまう‼️それじゃダメなんじゃないでしょうか⁉️そういう死期が近いことを思わせないような演技じゃないと‼️私が天邪鬼のせいかもしれませんが、この作品の志村喬さんの演技はどうも好きになれない‼️そして官僚主義や反体制を批判したテーマも残酷で、ラストを観ていると結局一人の人間(課長)がいくら頑張ったところで何も変わらないと痛感させられる‼️あまりにも残酷で、私的には多くを語る気にはなれない作品‼️甘いかもしれませんが「赤ひげ」の清々しいヒューマニズムの方が私的には大好きです‼️
ちなみに生前、黒澤明監督はこの「生きる」の事を、「あまり語る気になれない作品だ」と語っておられたらしいです‼️そしてNHKの企画「黒澤明が選ぶ世界の名画100本」では自作では今作ではなく「赤ひげ」が選ばれてました‼️
ストレートなタイトルに心を惹かれた。 主人公のうじうじした話し方や...
ストレートなタイトルに心を惹かれた。
主人公のうじうじした話し方や態度には少々イライラさせられるし、思いつめたような表情も気味が悪い。
しかし、それも名演技ということか。
人生の最期を悟ってあれほど仕事に没頭できるかは私は自信がない。
いつポックリいくか
葬式の時に胃ガンだと知ったからそりゃ頑張れるんだよみたいに水を差す発言のあと、「そうじゃない、そんなこと言ったら私たちだっていつポックリいくかわかんないよ」みたいなセリフがあった。あれがよかった。あのセリフから帰納的にこの映画は作られてるとさえ思えるほど残った。
ミイラ?キリスト?意志をもって生きる!
いのち短し 恋せよ乙女‥‥
志村 喬さんの目の演技に吸い込まれた。
死に直面した公務員の生き方を通して、
人間の真の生き甲斐を問いかける感動作。
渡辺課長が生きる事に目覚める隣りで
ハッピーバースデーが流れるシーンや
夜更けの公園でブランコに乗って
「ゴンドラの唄」を口ずさむシーンも良かったが、
お葬式に婦人会の方々が無言でお別れする
シーンが一番泣けた。
やる気になれば人生が変わる
志村喬扮する時間をつぶしているだけの市民課長渡邊勘治は20年ほど前から死んだ様な風情であった。地区から公園にしたいと言う要望について役所は馬鹿にした様にたらい回しにした。あと少しで30年無欠勤の市民課長が休んだ日であった。市民課長は余命半年の胃ガンであったが医者からは胃潰瘍と言われた。
この間カズオイシグロ脚本の生きるを観たので黒澤明版生きるを観直してみた。いざ死を悟った時にどう生きるのか。ショックから如何に立ち直るのか。果たして自分がその立場に追い込まれたら頑張れる意思を持てるのか。とても自信が持てないな。でもやる気になれば人生が変わるかも。
人間への信頼
死の宣告を通して、平凡な(死んだように生きていた)人間が愛の行為者に変身する姿を、切実に丹念に描いた名作中の名作。
人間としてどう生きるか?生をどう受け止めるか?尊厳を賭けた人生とは?
それは愛の行為者として、自らの生を地上の愛として根付かせることだ。
こういう作品は突然生まれるわけではなく、その時代に“生まれるべくして生まれる”ような宿命を感じる。
戦争の惨禍を受け、罪なき罰の犠牲者となった日本の庶民。その逆境を生きていかなければならない敗戦後のカオスの時代には、自由の名のもとに溢れ出す動物的な欲望と活力が旺盛であっただろう。
しかし、黒沢の視力は人間の善性と愛を見据えていた。動物的な欲望に打ち勝つだけの強い理性(善性と愛)を持っていなければ人間とはいえない。「死」をグッと引き寄せ、「生」とがっぷり四つに組んで、人間への信頼と希望を与えてくれた。
人物にたっぷり肉付けをして、その性格や表情やクセを綿密に詰め、それぞれの人物にあだ名をつけ、“名は体を表す”ようにそれぞれの存在感で見事に競演させた。
役所の閉塞感、とよの闊達さ、息子夫婦の冷たさ、歓楽街の騒がしさなどなど。緩急のリズムの面白さを味わっているうちに、徐々に深刻な段階へと進む、その堰を切ったような凄まじまさに度肝を抜かれる。
とよが靴下を受け取るとき、どうして私に?と問うたあと、素直に渡辺の親切に感謝するシーンが好き。奇妙なコンビの二人が、最初にクリアしなければいけない感情のやり取りだった。
自分のあだ名をミイラと言われたときは、これから殻を破るエネルギーをもらったようで、一緒に笑ってしまう渡辺。
映画が終わったあと、鑑賞者の魂も殻を突き破られ、震えるほど感動するのだ。
志村喬の目とゴンドラの唄
この2点が素晴らしいです。イギリス作品よりオリジナルの方が良いという意見が多いのもうなづけます。黒澤監督のこだわりも凄いと思いました。
渡辺課長の葛藤が白黒の明暗の中にくっきりと浮かび上がっていました。
ジャングルジム越しのブランコの構図も素敵でした。
辞めた女性と喫茶店で話し、ぎらついた目で畳みかけた後に、やるべき事に気が付いて、晴れやかな顔で階段を降りながら、偶然ハッピーバースデーの合唱に見送られるシーンが良かったです。
ここから、お通夜のシーンはとても引き込まれまて観ました。
私はこの時代の映画をほとんど観たことが無かったので、終戦から7年しか経っていない盛り場があんなに華やかで活気があるとは知りませんでした。ナイトクラブもお洒落で、戦後急速にアメリカナイズされたとはいえ、音楽等のセンスはそんなに簡単に身につくものではないから、きっと戦前からすでに下地はあったのでしょう。戦争が無かったら日本はどれだけ豊かだったでしょうか。
ケーキが綺麗で美味しそうでした。丁寧な仕事ぶりです。それと、うさぎのおもちゃが可愛い。さすがmade in Japanです。
死ぬまで「生きる」ということ
「生きる」
1952年公開。
監督:黒澤明。
生きるということは、死ぬまでは生きる。
そういうこと。
主人公の渡邊(志村喬)は30年間市役所に勤続する市民課長。
自分が胃癌で余命が半年程しかないことを悟る。
心は千々に乱れて、生きた心地がしない。
誠に往生際が悪いのだが、非常に人間的である。
若い市役所の女性職員のとよ(小田切みき)にしか本音も言えず、
彼女にケーキや汁粉、すき焼きを奢るのが唯一の息抜きで、
とよの生命力が心から羨ましい。
とよと過ごす時間が生き甲斐になる。
つらつら考えるに全く無為な市役所での30年間勤務。
心には虚しさしかない。
渡邊の後悔の思いは映画の1時間22分まで続きます。
そして小田切みきにハッパをかけられて一つの仕事を成し遂げてから
死のうと決意するのです。
近隣の主婦たちの以前からの陳情。
汚水の溜まる空き地を子供達の遊び場に再開発する。
主婦たちの陳情は、役所で10回以上盥回しにされます。
公園課→いや土木科へ→嫌、衛生課→会計課→造園課→またしても土木課、
全く埒が開かない。
そして遂に渡邊は死を賭して駆け回るのです。
一番の反対勢力は小狡い助役(中村伸郎)
ともかく粘る、諦めない。
「まぁ、そこをなんとか・・・」
「どうかご一考を・・・」
相手が根負けするまで、頼み倒す。
後半は意外や、渡邊が公園建設を決意した所で、突然通夜の場面に変わる。
5ヶ月後、渡邊課長は死亡して
通夜の席です。
そして公園建設は誰の功績なのか職員たちは口々に話し始めます。
そして回想映像が交互に挟まれて、渡邊が胃の痛みを堪えつつ、
各課に掛け合う様子や、現地見学、そして大掛かりな造成工事が始まる。
ダンプカー、コンクリートミキサー、
ぬかるみに砂が撒かれ、徐々に遊具が備えられ、
公園は形を成して行く。
見守る主婦や子供たち。
公園は着々と仕上がって行きます。
「生きる」と言えば志村喬の歌う「ゴンドラの唄」
“命短かし恋せよ乙女“
“紅き唇 あせぬ間に“
“熱き血潮の 冷えぬ間に“
“明日の月日は ないものを“
感動的なラストかと思うと、
市役所の事務室では、少しも変わらずに、部署へのたらい回しが
行われている。
あくまでも役所の官僚主義を皮肉り、
職員の「事なかれ主義」を皮肉る、
リアリズム映画でしたが、
「ゴンドラの唄」の余韻はリリシズムに満ちていました。
ビル・ナイの主演でリメイクされたそうです。
どんな「生きる」なのか、楽しみです。
全65件中、1~20件目を表示