往時のアメリカ(特に農業地帯であった南部諸州)では、黒人は、被差別人種ー。
(令和の今でも人種的な偏見は拭いきれてはいないやにも聞き及びますけれども。)
もともとは、農園での労働に従事させるためにアフリカから(奴隷商品として)連れてこられた黒人たち。
彼・彼女らを、もし平等な人間としてみるならば、到底そんなことはできなかっただろうし、過酷な労働で使役することもできないー。
いわゆる「colored」として、自分たちとは別異なもの―「物」としてでも扱わなければ(いちおうは)キリスト教的博愛主義・人道主義を標榜するアメリカでは、社会的にも許容はできなかったという事情もあったことでしょう。
そして、そんなふうに白人に虐(しいた)げられていた黒人同士の間では、男性が女性を徹底的に差別する「男尊女卑」を顕著に行い、末端に位置づけられてしまった黒人女性を強烈に差別することで黒人社会(黒人男性)は白人たちからの強烈な差別に耐えるという、それ自体も明らかに不合理な構造を生み出してしまっていたのだろうとも思いました。評論子は。
そんななかでも、しつかりと自我を確立していたハーポの彼女・ソフィアや、歌手としての地歩を固めていたジュグは、セリーの「生き方」に、さぞかし大きな影響を及ぼしたことでしょう。
セリーが自分の妹や、伝道師とともにアフリカに渡っていた息子・娘の再会を果たすことができたという強運も、彼女のその「生き方」が引き寄せたものと断じたら、それは単なる憶測との批判を受けてしまうでしょうか。
いずれにしても、艶やかなネリーの肌ように、逆境の中でも輝くようにな「生きること」への渇望を描いた一本として、本作の佳作としての評は、揺るぎないものと思います。
本作は、TSUTAYAの宅配レンタルで2003年版が送られてきたので、その鑑賞の前段として、地元のレンタル店から「緊急レンタル」してきた一本になります。
その意味では、リメイク作を鑑賞するために「にわか仕込み」「おっとり刀」で鑑賞することとなった作品になりましたけれども。
しかし、見ごたえのある重厚な作品だったことは、疑いがなかったものとも思います。