駅馬車(1939)のレビュー・感想・評価
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本作の醍醐味であるダブルクライマックス
本作の主要ストーリーである一台の駅馬車に乗り合わせた乗客達の人間模様の描き方が素晴らしい。そしてラストのダブルクライマックスのインディアンの襲撃に抗する銃撃戦と主人公の因縁の決闘は映画史上の白眉である。特に疾走して逃げる馬車とそれを馬で追うインディアンたちの銃撃戦の描写は素晴らしかった。観ていて専らスピード感とスリル感に駆られた。本作公開当時としては、このシーンは新鮮で衝撃的だったのではないだろうか?黒澤明がジョン・フォードをリスペクトし、映画のお手本と仰いだ理由が本作を鑑賞して良く分かった。確かにその遺伝子は黒澤映画に受け継がれている。ラストのハッピーエンドも心地よい。
セリフがいい! 戦闘シーンも。
セリフ回しがおしゃれでかっこいいですね、劇中の「いずれいずこかでたまにあたり酒に死すだろう・・・」というセリフの後に「帰るのか?」と聞かれて「いや、もう一杯飲む」と答えるこのやりとり、最高におしゃれでした!!
後、ラスト戦闘シーンの迫力は段違いですね、圧巻とはこのことです。
名画がよみがえつた!
昔どこかの名画座で観た時は、フイルム状態が悪く、細部は暗くて分からなかったが、今回は鮮明に観れた。光と影のコントラストが、モノクロとは思えない美しさを生みだし、スクリーンに釘付けにする。恐らく、B級映画として作られたこの映画が、なぜかくも愛され続けているのかがよく分かる。30年代まだ映画製作技術が未熟だった時代に、これほどダイナミックでスピード感あふれる映像が、スクリーンに映し出されたら、観客は皆湧き立っただろう。当時の歓声が聞こえてくる気がする。
ジョン・フォードの写真を見ると、黒澤明を思い出す。黒澤明を師と仰ぐ映画人がいるように、黒澤明はジョン・フォードを師と仰いでいた。黒澤明の格好もそうだが、映画のスタイルも似ている。この作品のジョン・ウエインは、さしずめ、三船敏郎といったところだろうか。手に汗握るアクションシーンも、黒澤明は、ジョン・フォードに勝るとも劣らない。
しかし、黒澤明が上手く出せなかったのが、ジョン・フォードの詩情性だ。「詩情豊かな映像の詩人」と言われるように、西部劇というアクション主体の作品の中にも、登場人物たちの人生の機微が、ちゃんと表されている。軍人の妻、水商売の女、アル中の医者、銀行頭取、賭博師などなど、駅馬車という小さい空間に閉じ込めて、人間ドラマを描いていく。緊急時の駅馬車でなければ、この人物たちは、乗り合わせることはなかったかもしれない。そうなのだ、アパッチに狙われた駅馬車だからこそ、こんな面白い人間ドラマが展開した。本末転倒だが、アクションシーンは、人間ドラマのオマケのように思えてくる。駅馬車は、奥が深い。
受け入れがたい時代の価値観
総合:35点
ストーリー: 30
キャスト: 70
演出: 65
ビジュアル: 55
音楽: 75
ものすごい名作だと聞いて、確かまだ小学生か中学生くらいだったときに見たのが最初でした。そのときは殆ど何も映画の情報や先入観無しで見ました。
しかしそれでも私にはどうも駄目でした。女すらも乗せている駅馬車を獰猛に襲ってくるネイティブアメリカン(インディアン)は完全に悪。白人社会の秩序を侵略し破壊する脅威としてしか表現されていない。しかしなんで自分たちが襲われているのか理由がわかっている? 本当は君らこそが彼らの土地を侵略して彼らを女子供も含めて虐殺しているからこうなっているのではないんですか? それなのにこの一方的な白人目線の描き方は何なんですか? と憤りを感じました。
そうなるともう馬車の乗員にどんな背景やドラマがあろうがもう駄目。白人たちも少しは痛い目にあって彼らの怒りや苦しみを思い知ったほうがいいんじゃないの、まして自分たちが被害者面なんてしちゃ駄目でしょう、なんてことすら思ってしまったのでした。
この時代は白人たち支配層こそ絶対の正義な存在で、それを脅かすものは悪だという白黒はっきりつけた価値観が確立されていた。だから戦後の自由で平等な価値観を持つ私には受け入れがたい内容でした。
もし日本が誰かに、例えばアメリカの白人に侵略されて土地を奪われ虐殺され、それに反抗する日本人を一方的に悪者に描かれて次々に射殺される映画なんてものがハリウッドで作られたらやはり気分悪いでしょう。映画の内容以前に主題が悪いのです。だから私にはとても名作とよべるものではありませんでした。
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