エーゲ海に捧ぐ

劇場公開日:

解説

ローマ、ギリシアを舞台に、青春の果てしない欲望、野心、愛を描く。製作は熊田朝男。版画家であり、芥川賞作家である池田満寿夫が、自らの小説『エーゲ海に捧ぐ』と『テーブルの下の婚礼』を基に、初めて脚本・監督を担当。撮影はマリオ・ヴルピアーニとマウリツィオ・マッギ、音楽はエンニオ・モリコーネ、編集はマリオ・モッラ、美術は高橋秀が各々担当。出演はクラウディオ・アリオッティ、イロナ・スターラ、サンドラ・ドブリ、オルガ・カルラトス、ステファニア・カッシーニ、マリア・ダレッサンドロなど。

1979年製作/日本・イタリア合作
原題または英題:Dedicato al mare Egeo
配給:東宝東和
劇場公開日:1979年4月21日

ストーリー

ギリシアの片田舎からローマへ絵を学びに来ているニコス(クラウディオ・アリオッティ)は、貧しさと飢えの中で倦怠の日々を送っていたが、籍を置くアカデミアへも通わず、退屈しのぎに向いの部屋に住む娼婦の裸体を覗き見していた。彼の下宿には、30歳を少し過ぎたばかりのエルダ(オルガ・カルラトス)と彼女の妹で幼い時の発熱で聴覚を失い、物言わぬリーザ(サンドラ・ドブリ)と、病身の母親がひっそりと暮していた。そんなある日、エルダとニコスが結ばれ、彼らの愛と性の行為は日毎にエスカレートしていった。ニコスにはかつて、同級生のアン(マリア・ダレッサンドロ)という恋人がいたが、今はエルダに夢中だった。病身の母親が死に、エルダと結婚したニコスは、ひょっとしたことから、名の通った画廊の経営者のダンチオに会うチャンスにめぐまれ、そこで、ダンチオの娘アニタ(イロナ・スターラ)に会い、目が合った瞬間、お互いに何かを感じる。それから、まもなく、ニコスの個展が秋に開かれるという話が進み、アニタは、積極的にニコスを誘ってきた。エルダの目を盗み、アニタとの情事を続けるニコスを、ただひたすら、いつも見つめている者がいた。それはリーザだった。彼女は口に出せないニコスへの想いを、その瞳に秘めていた。リーザを連れていくという口実で、エーゲ海に行く許しをエルダから得たニコスは、アニタと、その友だちでカメラマンのグロリア(S・カッシーニ)とでエーゲ海に向かった。まばゆい陽光のもとで、時が過ぎていった。ニコスは、エルダからの執拗な電話に悩まされていた。「そこに女がいるんでしょう」嫉妬深く聞いてくるエルダの声に、ニコスは何も答えることはできなかった。いつの間にか眠ってしまったニコスが、まどろみからさめると、目の前にピストルを手にしたリーザが立っていた。驚くニコスに、ピストルの引き金がひかれた。“ニコス”はじめて発せられたその言葉はエーゲ海の碧さに吸いとられるように消えていくのだった。

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映画レビュー

1.5ギリシャの観光映画に終わる

2021年11月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

画家池田満寿夫氏が芥川賞受賞で一気に時代の寵児となり脚光を浴びる。「限りなく透明に近いブルー」の村上龍氏と同じく、その話題性から映画制作に至ることになったが、残念ながらどちらも感心するものでは無かった。村上監督作は、まだ映画としての形を良くも悪くも整えていたが、この池田監督の挑戦は、完全に失敗に終わる。小説の内容から映画表現の限界があることは承知していた。それよりもストーリー自体が単純で面白くない。知恵遅れの少女の設定も凡庸で、また作為的に処理されている。結局、風光明媚なギリシャの観光映画に止まる。殆ど素人の俳優の演技にも見るべきものが無い。画家や小説家がひとりで成立する創作に比して、やはり映画は様々な職人たちの技術の集積の上で、監督の映画愛と演出の個性が表現できないと成立しないと改めて認識する。その意味で映画監督の才能は、オーケストラの指揮者に求められるものに近いと思う。

  1979年 9月5日  飯田橋佳作座

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Gustav