これまで、ロードショーとその後に
テレビでも鑑賞していた作品だったが、
直前にロバートレッド・フォード監督の
「モンタナの風に抱かれて」を観て、
また、昨年の「サラの鍵」での印象が
強く残っていた
クリスティン・スコット・トーマス
を見たくなり
録画ディスクを持ち出して再鑑賞した。
冒頭のベドウィンに全身火傷のまま
助けられた探検家伯爵の姿を再び見て、
この映画はこれから思い出だけに生きる
彼の記憶に付き合いながら
物語がまた始まるのだなあ、
との不思議な感慨を覚えた。
砂漠を舞台にした物語。
「アラビアのロレンス」での
“砂漠は清潔で美しい”との科白もあるし、
この作品での砂漠の美しい描写に加え、
ある意味、
砂漠が伯爵と人妻の純愛を引き寄せた
と言えなくも無い。
しかし、一方では、
死の世界の象徴のようにも語られる場面も。
伯爵の“今は雨が死ぬほど恋しい”を受け、
皆が雨のシャワーへ彼を連れ出す場面。
また、死を前にした人妻の
“ここじゃ死ねない”
“砂漠じゃイヤ”
との科白が、砂漠への嫌悪感を感じさせた。
また、ベルギー人なのに「英国人の患者」
とした題名の含み、
更には、インド人英国兵隊と爆死した部下
との人種を超えた関係エピソードや、
人妻の“地図のない大地を…”との
最後のメモからは、
国境や民族の垣根の無い世界への希求も。
この作品の骨子は、愛し合いながらも
成就出来なかった二人の想いを、
若いカップルに
希望を託したものなのだろうが、
今回の鑑賞の切っ掛けからすると、
私が観たクリスティン・スコット・トーマス
出演作品の中だけでの話で恐縮ながら、
彼女は出演順に、
「イングリッシュ・ペイシェント」での
一方的な不倫から、
「モンタナの風に抱かれて」での
不倫への自重、
そして「サラの鍵」では、
夫と離婚しながらも、
サラと彼女を取り巻く人々に思いを馳せ、
同じくサラと命名した娘への希望を
想うという、
連続して成長を遂げる女性像を演じている
ように見えてしまうという
面白い一連の鑑賞経験だった。