いとこ同志

劇場公開日:

解説

田舎から受験のために上京した純情な青年と、都会育ちの青年を主人公に、恋愛をめぐって傷つきやすい青年期の心理を描いたドラマ。脚本・監督ともにフランス映画界の新進クロード・シャブロル。撮影は「恋人たち」のアンリ・ドカエ、音楽はポール・ミスラキが担当。出演は「殺意の瞬間(1956)」のジェラール・ブラン、新人ジャン・クロード・ブリアリ、映画初出演のジュリエット・メニエル、クロード・セルヴァル、ミシェル・メリッツ等。製作クロード・シャブロル。

1959年製作/フランス
原題または英題:Les Cousins
配給:東和
劇場公開日:1959年10月10日

ストーリー

二十三歳のシャルル(ジェラール・ブラン)は法学士の試験を受けるためにパリにやってきて、同じ年のいとこポール(ジャン・クロード・ブリアリ)の豪華なアパートに同居した。田舎ぐらしのシャルルと、何不自由ない都会生活を送るポール、生活環境の相違は二人の青年の性格をまるで別なものにしていた。旅のもようを母親に書き送る純真なシャルル、彼の子を宿したと泣きこんできた女を、仲間のクロビスに金をやって始末させるポール……。二人の共同生活は両極端だった。シャルルは受験勉強に励み、ポールはアパートに仲間を呼んで酒と恋愛遊戯にふけった。ある日、シャルルはポールに連れられて学生クラブに行き、そこで初めて会ったフロランス(ジュリエット・メニエル)の美しい瞳に魅せられてしまった。何度かの男との交渉をもっている彼女であっても、彼には問題ではなかった。パーティの夜、彼はフロランスに愛をうちあけた。シャルルの不器用だが、真剣な態度に、フロランスも彼を愛すようになった。しかし、破綻は意外に早くやってきた。二人の逢引きの日、フロランスは時間を間違えてアパートにやってきた。そこにはポールだけがいた。彼は彼女のシャルルへの純粋な愛情を聞いてあざわらった。そこにきたクロビスは彼女をそそのかした。彼女はポールに身をまかせた。ポールは彼女と同棲し、シャルルの眼の前で二人の嬌態をみせつけた。シャルルは一切の雑念を払いのけて勉学に励んだ。ポールの試験はシャルルより一日前で、勉強もしない要領居士の彼はみごとに合格した。ポールは彼女と別れた。シャルルは彼女の誘惑をしりそけ最後の仕上げにつとめた。が、彼は落ちてしまった。落胆したシャルルは町をさまよい、レストランでクロビスとむつまじげに語るフロランスをみつけ、よりいっそう絶望的になった。学生証を河に投げ棄て、アパートに帰った。壁のピストルをとり、一発の弾丸をこめた。弾倉を回転させ、寝ているポールの頭にむけた。引金をひいた。弾丸は出なかった。翌朝、ポールはシャルルの不合格をなんとかなぐさめようとした。彼はふとそこにあったピストルをとりあげ、シャルルにむけた。“撃つな”叫び声の終らぬうちに、弾丸はシャルルの胸を射抜いた。呆然とするポール、誰かが押すドアの呼鈴の音が激しく鳴っていた。

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映画レビュー

4.5銃は必ず撃たれねばならない

2023年9月8日
iPhoneアプリから投稿

コンビニもろくすっぽない寒村の片親家庭で育った俺とは対照的に、従兄弟は東京都杉並区住まいの円満家庭ですくすくと育った。俺がこの映画を見て五体満足でいられたのは、ひとえに俺の学歴が従兄弟の学歴より高いからだと思う。そうでなければ軽く自殺未遂でも引き起こしていたかもしれない。いったい何を食ったらこんな残酷な映画が撮れるのか。元気がない人はあんまり見ないほうがいい。

思えば想い人のフロランスを従兄弟のポールに寝取られたシャルルが帰宅する場面のうんざりするくらい強調された1階・2階の上下レイヤーが貧富の逆転不可能性を示唆していた。シャルルがイギリスあたりのビルドゥング・ロマンスのような「清く貧しく」的な高潔な精神の持ち主ではなく、徹頭徹尾余裕のないケチなガリ勉として描かれていたあたりも抜かりない。事実、貧乏人はいつまでも貧乏人のままだし他人に対して余裕もない。『素晴らしき哉、人生』のようなハリウッドご都合主義に対する痛烈なアンチテーゼだ。

とはいえ貧・富とか都会・田舎とかいった単純な二項対立は描き方一つでしょうもない露悪に落ちぶれるリスクがある。シャルルの辿るプロセスの間に一度でも作り手の嘲笑が見え透ければ、本作はたちまちヌーヴェルヴァーグとしての理性を失ってしまう。常に被写体との物理的・精神的距離を推し量り、できごとの客観に徹したアンリ・ドカエの撮影技術に感服するばかりだ。

ラストの誤射シーンはあまりにも美しい。チェーホフの銃という文芸上の規約を鑑みれば、シャルルがポールを銃殺しようとした時点で誰かが撃たれることは必定だった。しかし銃殺の失敗によって先送られた死は、翌日になってシャルルの胸を射抜くことになる。「やめろ!」と言いかけたまま倒れるシャルル。平素の活気と自信を失い狼狽するポール。それを嘲笑うはずのシャルルは既にカーペットの上で事切れているという強烈な皮肉。画面上に緻密に堆積していた一切合切が一瞬にして無へと帰してしまったかのような虚脱感。

こういう悲劇は今なお先進諸国のいたるところで勃発しているんだろうと思うとおぞましい気持ちになる。しかもそこには銃というデウス・エクス・マキナも存在しない。何度でも言うが俺は従兄弟より学歴が高くてマジで良かったと心の底から思う。俺は別に学歴厨じゃないし自分の大学に対して過剰な自負心もないけど、客観的指数として明確に勝っている何かがある、という事実が本当に心強い。逆に言えば、学歴を自尊心の最後の拠り所に見据えていたシャルルが、それさえも従兄弟に負けたことを契機に死へと向かっていくのは必然であるように思う。世の中勝ち負けじゃないよ、というのは、まあ、その通りなんだけど、全部負けてたら死にたくもなるだろ。

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因果

3.0同志ではない

2022年7月17日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

2022年7月17日
映画 #いとこ同志 (1959年)鑑賞

正直者は馬鹿を見る

田舎者は都会者には勝てない

そして、世の中金がすべて

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とし

5.0非倫理

2020年12月14日
PCから投稿

いとこ同志についての個人的な解釈です。

ふつう、ものがたりは勧善懲悪をもっている、と思う。
露骨にそうでなくても、悪いことをしたひとは窮地へおちいり、良いことをしたひとは報われる、という帰着点があるはずである。

いとこ同志が新しかった理由は、そうでなかったことにあった。
とても新鮮だった。

しろうとの感想──に過ぎないが、1950年代あたりまでは、映画に、アンハッピーエンドが、ほとんどなかった。

アメリカンニューシネマもヌーヴェルバーグも過去のものなので、わたしには、その両者に先も後もない。

それらの潮流を経て、めでたしめでたしな大団円──では終わらない映画=アンハッピーエンドが、発明された。
なんか、すごくバカっぽい言い方だが、だいたい合っていると思う。

アンハッピーエンドが発明されると、悪行を重ねながら逃避行するボニーとクライドとか、頭にダイナマイトを巻き付けて頓死するフェルディナンとか、暗澹たる結末を持った映画が増えていった。

いまはそれがめずらしくない。

しかし、いとこ同志が、それらよりも、近年の映画さえ──よりも、新鮮なのは、かんたんに言えば、悪い人がむくわれてしまい、良い人がむくわれない世界だったからだ。
それはピカレスクロマンでもカタストロフでも、アンハッピーエンドでさえなかった。

そんな世界が、さりげなく描かれている。

この映画のデマンドの叙説には、こんなふうに書かれている。
『クロード・シャブロル監督が『美しきセルジュ』の後に手掛けた第2作で、等身大のヌーベルバーグを体現。みずみずしい青春の光と影を斬新な描写を交えて描き出す。』

汎用な解説としては「みずみずしい青春の光と影を斬新な描写を交えて描き出す」──と曖昧な言い方をせざるを得ないのは解る。
ただ、いとこ同志の真価は、みずみずしい青春でも、斬新な描写でもない。
その非倫理である。
新しい。──と、見た当時、思った。

ところがシャブロルは、それをテーマにしていたわけじゃない。
意識してやった感じさえない。

どこのヌーヴェルバーグの概説でも、シャブロルは、ゴダール、トリュフォーに次いで三番手に語られる作家だった。作風も、先鋭なゴダールとヒューマニストのトリュフォーの中間地点だった。が、私的には「いとこ同志」こそが「ヌーヴェルバーグ」だった。

器用だけれど、散らかった才能の持ち主だった。
ヒッチコッキアンとされており、サスペンスで顕現した、かとおもえば、崩したコメディもある。統一感のない作風だった。
と言っても、晩年まで精力的だったので、多作であり、個人的に見たのは四五作、おそらく全仕事の十分の一に満たないと思う。

だが、個人的に、そのように解釈している。

コリーフィンリーという監督が2017年にサラブレッドという映画をつくった。
オリヴィアクックとアニャテイラージョイが出ている。
あっちの監督は、映画を見ているし、知っている。

映画の正規な情報は、しかるべき解説を参照してもらえばいいが、わたしにとってサラブレッドは、現代に翻案した、いとこ同志だった。

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津次郎

3.0明日従妹が試験だとわかっていてよく騒げるものだし、それを止めないのも不思議

2020年8月3日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

総合:55点 ( ストーリー:60点|キャスト:60点|演出:50点|ビジュアル:55点|音楽:60点 )

 大きな現代的な造りの部屋に住み車を乗り回し享楽にふけるポールと、田舎から出てきた真面目で純朴そうな青年の2人を対比させて描く。

 前半はかなり退屈した。状況がよくわからないし物語に特に大きな動きもなく、派手に遊びまわるポールを見せられる。まるでフェリーニの『甘い生活』のようだ。そのような場面の描写は、演出が古くてちっとも面白くないし演技の不自然さが目に付いた。
 ポールは何しているのかわからなかったが、シャルルと同じように試験を受けたのだからどうも学生らしい。彼がどういう人物なのか、状況がよくわからないのにも興味を削がれた。ポールがシャルルが明日試験だというのに宴会して思いっきり騒ぎ立てるのにも呆れた。
 シャルルの不器用さと対応力の無さも気になった。明日試験なのに彼はどうして騒ぎ立てるポールを止めようともしないのか、ポールよりもシャルルの無能さを侮蔑してしまった。彼はあまり状況を変えられるだけの力も無かったし、上手くいかない時に思い詰めすぎる。そんな彼が上手く生活をまわせず迎える結末は衝撃的であったが、このような展開は極端すぎるとも思った。

 映像は多くが部屋の中で白黒で撮影されていて、パリの華やかな街並みも大学での生活も殆ど描写されない。映像としてはつまらないし面白みがないだけでなく、世界観が少数の人間関係だけになり狭くなっていたのも好きになれない。

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Cape God