悪魔のいけにえ : 映画評論・批評
2026年1月6日更新
2026年1月9日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
低予算ホラーから伝説へ――「悪魔のいけにえ」が描く恐怖とアメリカの歪み
1974年製作の伝説的なホラー映画「悪魔のいけにえ」。トビー・フーパーが31歳で手がけた2本目となる監督作は、14万ドルの低予算ながら3000万ドル以上の興行収入を記録し、全9作にもなる続編やリブートを生み出す一大フランチャイズへと成長、その後のすべてのホラー映画に影響を与えたと言っても過言ではない。今回の「4Kデジタルリマスター 公開50周年記念版」は10年前に監督が監修したものを元に最新技術で修復されたバージョンとなる。
テキサスを車で旅行するサリーとフランクリンの兄妹ら若い5人の男女。奇行のヒッチハイカーや、怪しげな地元民と遭遇しながら、道中で燃料切れになった彼らは一軒の屋敷を見つけ、ガソリンを分けてもらおうと門を叩く。しかし、そこには恐ろしい人々が待ち受けていた。一人また一人、若者たちは血祭りにあげられていく。

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監督のフーパーは(本人は言及していないが)ヌーヴェルヴァーグの影響を受けたと言われるデビュー作「Eggshells」を1969年に発表、ピックアップトラックの荷台に乗った女性、不気味な地下室など本作につながるビジュアルを早くも登場させている。
その5年後に手がけた本作は、実在のシリアルキラー、エド・ゲインの異常な凶行に着想を得つつも、チェーンソーや共犯である家族の存在といった架空の要素を誇張して創造された。そこに、卓越した撮影、音響、美術、編集が施され、ドキュメンタリーの質感を持つアートハウスのような恐怖映画に仕上がっている。これには低予算のため採用した16mmフィルムの粗い画質が、逆にリアルさを醸成したことも作用している。
さらには従来のホラー映画にはなかった南部の田舎町、無力な男性キャラ、母性、最後まで生き残るヒロイン=ファイナル・ガールの登場など、フェミニズムやキリスト教的な道徳観、地方経済の破綻や孤立といった社会的な背景をフーパーはうまく取り込んだ。前半のレザーフェイスの視点が、後半はファイナル・ガールであるサリーの視点に移行することで、作品が持つレイヤーが引き出され、カタルシスのないエンディングはニューシネマ的な厭世感を感じさせる。
本作公開の前後には「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968)、「ローズマリーの赤ちゃん」(1968)、「鮮血の美学」(1972)、「エクソシスト」(1973)、「赤い影」(1973)、「キャリー」(1976)など、今も残る傑作が次々に生まれた期間だった。これにはヘイズコードの撤廃と新レイティングの新設に加え、ベトナム戦争の長期化による社会不安が影響を与えていると思われる。本作を含むこれらの名作ホラーが半世紀を経ても色褪せないのは、血飛沫ではなく、アメリカ社会の歪み自体を映し出しているからかもしれない。
(本田敬)





