ひろしま

劇場公開日:1953年10月7日

解説

長田新編「原爆の子」より、「雲ながるる果てに」の八木保太郎の書卸したシナリオの映画化で、日教組プロの製作になる。「混血児」の関川秀雄が監督し、「村八分」の宮島義勇が撮影している。音楽は、「玄海の鰐」の伊福部昭。出演者は「死の追跡」の岡田英次、神田隆、「旅路(1953)」の月丘夢路、「雲ながるる果てに」の山田五十鈴のほかに、河原崎しづ江、町田いさ子等前進座、東京映画俳優協会、劇団虹の橋等から多数出演している。

1953年製作/109分/日本
配給:北星
劇場公開日:1953年10月7日

あらすじ

広島A高校三年、北川の担任するクラスで原爆当時のラジオ物語を聞いていた大庭みち子は、突然恐怖に失心した。原爆の白血病によって前から身体の変調を来していたのだ。クラスの三分の一を占める被爆者達にとって、忘れる事の出来ない息づまる様な思い出だった。それなのに今広島では、平和記念館の影は薄れ、街々に軍艦マーチは高鳴っている。あの日みち子の姉の町子は警報が解除され疎開作業の最中に、米原先生始め級の女学生達と一緒にやられたのだ。みち子は爆風で吹き飛ばされた。弟の明男も黒焦げになった。今はぐれてしまった遠藤幸夫の父秀雄は、妻よし子が梁の下敷で焼死ぬのをどうする事も出来なかった。陸軍病院に収容された負傷者には手当の施しようもなく狂人は続出し、死体は黒山の如くそこここに転りさながら生き地獄だった。しかし軍部は仁科博士らの進言を認めようとせず、ひたすら聖戦完遂を煽るのだった。その戦争も終ったが、悲惨な被爆者にとって今更降伏が何になるのか。広島には七十年間生物は住めないと云う。病院の庭に蒔かれた大根の芽が出るまでは、人々はそれを信ぜずにはいられなかった。疎開先から引き返してきた幸夫と洋子の兄妹は、病院の父に会いにいったが、そのひどい形相にどうしても父と思う事が出来なかった。父は死に広島には七回目の八月六日が廻ってきたのに、幸夫はその間浮浪児収容所、伯父の家と転々して次第に荒んでゆき、遂には浮浪児を使って掘り出した死体の頭骸骨を、原爆の記念に米人に売ろうとさえした。みち子は河野達級友に見守られながら死んだ。北川に連れられて警察を出てきた幸夫を、今また河野達は「明日は僕らの手で」の合唱で元気づけるのだった。

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映画レビュー

4.0 これだけの惨状、今じゃ撮れないかも

2025年8月14日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

知的

1952年、原爆投下後7年経った広島市のある高校で、白血病により女子生徒のみち子が教室で倒れた。戦後広島にやってきた担任の北川は、生徒たちと原爆症について話し合う事にした。
原爆が投下された1945年8月6日、女教師・米原が生徒たちと被爆し、焦土と化した広島をさまよい、力尽きるまでが回想された。北川は今まで原爆のことを知ろうとしなかったことを謝罪すると、生徒からは原爆のことを世界の人に知ってほしいとの声があがった。病床のみち子は原爆投下前の広島を思い出していた。そんな回想と7年後を行き来しながらの反戦作品。

1953年公開なので、70年以上前の作品だが、広島に住んでいてこれまで本作を観たことが無く、劇場で初鑑賞となった。
原爆を日本に投下したのは、日本人が白人じゃなく、有色人種だから、という発言が有り、当時のアメリカだとそういう発想も有ったんだろうと悲しくなった。
原爆を受けた人たちは長い間その事を言うことが出来ず、自分のこともだが、自分の子供に影響は出ないか、子供の子(孫)に影響は出ないか、そんなことばかり考えていたらしい。
本作の中で、実際の広島市民をエキストラで使ったそうだが、あれだけのリアリティ、今じゃ撮れそうにない様な気がした。
広島では、毎年8月、反戦作品を上映するので、可能な限り多くの作品を鑑賞しようと思った。
ドキュメンタリーでは無いが、限りなく現実に近い映像だと思う。
なるべく多くの日本人に、そして多くの外国の人にも観て、知ってもらいたい、そんな作品です。

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共感した! 2件)
りあの

4.0 今は公園になっている所に人が住んでいた。

Mさん
2025年8月6日
Androidアプリから投稿

考えたら当たり前のことなのだろうが。
朝鮮戦争が始まっていることを生徒の工場の話で伝えていた。

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共感した! 1件)
M

3.0 当時の現代と被爆時を行き来して物語は進む

2025年8月3日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

製作は、日教組であることを初めて知りました。
3組ほどの家族や学校でのお話しが、当時の現代と被爆時を行き来して物語は進みます。

被爆した子ども達の手記を原作もしているようだけれど、映画は大人達の目線で描かれているような気がします。

女学校の教師を演じた月丘夢路が美しい。

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ねこたま

4.5 【原爆投下直後のひろしまの生き地獄のような様と、原爆病の恐ろしさを描いた強烈な反戦映画。良く映像化したモノであり、当時の制作陣に敬意を表する気持ちになる映画である。】

2025年7月30日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

知的

ー つい最近、新聞にアメリカが原爆投下80年の節目に当時の原爆投下の正当性を調査したという記事が出た。
  そこには、若年層の方々が65歳以上よりも20ポイント近く正当性はないと回答したという内容と共に、共和党支持者より民主党支持者の方がその傾向が強いとの付記も有った。相次ぐ、世界各地の戦禍の報道が流れる中、若い人の思想が変わりつつあるのではと思ったモノである。-

◆感想<Caution!内容に触れています。>

・今作では、冒頭に原爆投下後のひろしまの学校での授業中に、女子生徒が鼻血を出し身体が怠いと先生に訴えるシーンが描かれる。先生は、原爆について知識が及んでいない事を詫びた後に、シーンは1945年8月6日の広島の朝の光景が映し出される。
 そして、最後半にその女子生徒の葬儀シーンが描かれるのである。

・原爆リトルボーイをエノラゲイで運ぶ乗務員の気持ちがナレーションで淡々と流れる。
 そして、リトルボーイは警戒警報が全く流れない中、広島の遥か上空で炸裂し、その後、被爆した広島の無辜の民たちの悲惨な姿が延々と描かれる。

・燃えていく家屋の下敷きになり、生きたまま業火に包まれて行く人達。呆けた表情で死んだ赤子を抱く母親。

・元安川に入った先生と生徒達が次々に川の中で倒れていく姿。

・収容所で、ロクな薬も無いままうめく人たちの姿。変わり果てた父親の表情を見て、近付かない少女。

<今作は、1953年の公開だそうであるが、良くこの映画を制作、公開したモノである。製作陣の戦争に対する強烈な怒りが伝わる反戦映画である。>

■今年は、戦後80年という事もあり、シネコンで例年にない数の戦争映画が公開されている。有意義な事であると思う。
 私を含め、日本人の9割以上が戦争を知らない世代になって行く中、映像で戦争の悲惨さや愚かさを描く映画は、右傾化していく且つ増大する軍事費に歯止めがかからない現代日本においては大変に貴重だと思うからである。
 8月1日には、長崎に落とされた原爆により、傷ついた若者達の姿を描いた映画が公開される。多分、キツイ映画だと思うが、日本人としては観なければいけないだろうな、と思っている。

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NOBU