瞼の母(1962)
劇場公開日:1962年1月14日
解説
長谷川伸の原作を「怪談お岩の亡霊」の加藤泰が脚色・監督した人情時代劇。撮影は「若き日の次郎長 東海道のつむじ風」の坪井誠。
1962年製作/83分/日本
配給:東映
劇場公開日:1962年1月14日
ストーリー
番場の忠太郎は五歳の時に母親と生き別れになった。それから二十年、母恋いしさに旅から旅への渡り鳥。風の便りに母が江戸にいるらしいと知ったが、親しい半次郎の身が気がかりで、武州金町へ向った。親分笹川繁蔵の仇飯岡助五郎に手傷を負わせた半次郎は、飯岡一家の喜八らに追われる身である。金町には半次郎の母おむらと妹おぬいがいる。わが子を想う母の愛に心うたれた忠太郎は、喜八らを叩き斬って半次郎を常陸へ逃がした。その年の暮れ、母を尋ねる忠太郎は母への百両を懐中に、江戸を歩きまわった。一方、飯岡一家の七五郎らは忠太郎を追って、これも江戸へ出た。仙台屋という神田の貸元に助勢を断られた七五郎らに遊び人の素盲の金五郎が加勢を申し出た。鳥羽田要助という浪人もその一味だ。金五郎は軍資金捻出のため、チンピラ時代からの知り合いで、今は料亭「水熊」の女主人におさまっているおはまを訪ねた。おはまの娘お登世は木綿問屋の若旦那長二郎と近く祝言をあげることになっている。だから、おはまは昔の古傷にふれるような金五郎にいい顔をしない。おはまの昔馴染で夜鷹姿のおとらも来た。金五郎がおとらを表に突き出したとき、忠太郎が通りかかった。おとらから、おはまが江州にいたことがあると聞いて、忠太郎は胸おどらせながら「水熊」に入った。忠太郎の身の上話を聞き、おはまは顔色をかえたが「私の忠太郎は九つのとき流行病で死んだ」、と冷たく突き放した。娘を頼りの今の倖せな暮らしに、水をさして貰いたくないからだ。忠太郎はカッとなって飛び出した。暗い気持の忠太郎を、金五郎一味が取り囲んだ。「てめえら親はあるか。ねえんだったら容赦しねえぜ」と、忠太郎は一人残らず斬り伏せた。一方、お登世と長二郎に諌められたおはまは、忠太郎の名を呼びながら探した。忠太郎はおはまたちから身を隠し耳をふさいだ。離れていくその後姿を拝んで、男泣きの忠太郎は風のように去っていった。