主人公は、空爆される街を、叔母との不仲、世間の冷たさだけで人が焼かれているのを他人事のように傍観していた、その戦争の凶器は貧しさとなって主人公に、妹に降りかかる。
残念ながら日本全土が焼け野原となり世界最貧国となった当時、戦争戦災孤児、浮浪者を救済する余裕がない大人たちは彼らを見殺しに。
満州事変、日中戦争、出征戦死した近親者を持たない人々、軍関係者であっても前線から遠い人々、開戦後、半年の快進撃に一喜一憂していた人々、どこか、遠い他人事のように考えていたのではないだろうか?中国に侵攻した軍隊は重慶爆撃、南京事件、となって一般住民に、戦場の凶器は更に東南アジアへ、
他者に向けられる憎悪や暴力は自分にも降りかかる可能性があると考えずにいたのではないか?どこか、他人事のように、
現在、ネットの誹謗中傷、いじめ、セクハラ、パワハラ、喫煙マナー、コンプラ、格差、等々社会問題は、他者への無関心、傍観者になっていることが抑止にならず、する側、を増長させることになっていないか?改善救済を怠れば社会だけでなく、個人の自由と多様性を脅かす。
ウクライナの戦争、イスラエルの紛争は、少なからず庶民生活に世界的な物価高となって影響し、悪くすると核戦争、なんてことにならなければいいが、
この映画は他人事、無関心でいることが、する側を増長し、改善救済を怠れば、いずれ我が身に降りかかることを警鐘している。
かわいそうな悲劇の反戦映画と誤解するようなら過ちは繰り返さる。