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幼い頃観た時はトラウマ級に怖くて、誰かが戦争に巻き込まれるなど絶対にあってはならないことだと強く心に刷り込まれた。
子供にも物心つくかつかないかから戦争について話してきてはいるが、戦争体験者の方のお話を伺う機会の前に、家族からではなく戦争を客観的に描いたアニメから見せてみることにした。
トトロのさつき同様に、14歳という大人に甘えて良い年齢なはずの清太が母の死を抱え、4歳の妹が子供らしく生きられる環境のために必死になる。
元々は父親が海軍で、社会的立場に伴う暮らしをできていた家族が、空襲がきっかけで母と家を失い、一気に社会から疎外された存在としてなんとか命を繋ぐ日々になる。
焼け出されたら頼ることになっていた西宮のおばさんの家も、軍事のためにお勤めと学校に行く夫と娘を配給で賄うことに必死で、育ち盛りの14歳男子とまだまだ幼く手がかかる4歳女児を満たす余裕はない。
焼け出された家の庭に避難前に埋めておいた、亡き母の漬けた梅干しや干しにしん、着物など、清太は母との想い出や母の喪失もこもった心境で差し出すが、元々一般家庭のおばさんからすると、「あるところにはあるのね」と物資の足しとしてしか見られない。
それでも、母の着物で替えた白米は清太のものとして大部分を分けてくれたりと、精一杯してくれてはいるのだが、夫と娘には具入りの味噌汁、清太と節子には具なしの汁のみと、食卓でもあからさまに変化をつけてくる。
居場所を提供してくれるだけでも、充分ありがたいのだが、飢えた清太は大人と子供の中間で、おばさんに甘え続ける心苦しさもあることから、清太と節子での生活の自立を試みる。
大人からすると、生きてこそだから命のためになんとかおばさんのところで辛抱するのが節子の命を守る結果に繋がるとわかるのだが、14歳の清太の甘えたくない甘えられないと思ってしまった境遇も心境もよくわかる。そして節子も、空襲さえなければ途中まではゆとりのある暮らしだったことが発言の端々からわかり、そこもおばさんの心を逆撫でしてしまう。
堤防の横穴に母の遺した7,000円を少しずつ切り崩し生活用品を集めて2人暮らしを始める兄妹。電灯がなくホタルで照らし、カエルも食べ物に見えてくる。中学入学式の時に母が着ていた着物を替えて得たお米が底をつくと、周りの畑から農作物を盗んだり、空襲時に空き巣に入り足しにする生業に手を染めていく清太。
東京の知り合いの住所がわかればよいものの、わからず、西宮のおばさんを離れては、もう頼る大人がいないのだ。
戦争孤児はたくさん生じていたと思うが、戦時中のみんなが横穴暮らしのようなひもじい中でも最も原始的な生活をしていたわけでは決してない。
作中通りかかる子供達も、同じ地域の戦争経験者なわけだが、清太と節子が留守中の横穴を見てかける言葉から見てとれるように、身寄りがなく他人しかいない世界で子供達だけで暮らすことになってしまったせいで、節子の衰弱はすすみ、清太も命を落とした。
亡き節子の亡骸を燃やすために大量の炭を買い込み運ぶ清太が通りかかる横で、横穴を見下ろせる高台に聳え立つ大きな家に、疎開からおしゃれをして豊かなおうちのお嬢さん達が帰ってきて蓄音機を回す。
聞こえてくる音楽を耳に、いぐさの箱に詰めた節子に火を放ち、燃えていく節子の横で寝そべり空を見つめる清太。
母を失いそれを節子には悟られないよう1人抱え込んでいたが、その努力虚しく西宮のおばさんは幼い節子に母は亡くなったと吹き込んでいた。その上で毎晩母求めて泣く節子をどうにかしろと清太に心ない言葉がけをしていた。知るとなお、西宮のおばさんのところに身を置かずに、優しい空間で節子を守りたかった清太の気持ちはよくわかる。
横穴で回想される節子の、戦時中でも子供らしく動き回る幼児らしい仕草がより一層、清太の決断が正解でも不正解でもあったことを物語る。
食べ物がなくなって、母の遺した貯金7,000円のうち、4,000円を既に使った状態で3,000円を下ろしてきた段階で、清太と節子の命のカウントダウンは始まってしまっているのだが、でも、じゃあ氷屋さんの削りかすをすすったあの時、氷を買った立派なおうちに衰弱した節子と駆け込んでいたらどうにかなったのか?
一時的に凌げても他人にずっとは甘えられない。
病院に連れていくも滋養としか言われなかったが、何か手立てはあったのか?
清太も、大人が守ってくれなければ成り立たない子供である理不尽さに戻ってくる。
自分だけなら隣町で学校に行けば良いが、隣町に戻って配給は得られても住居がない。
節子のお世話は誰がする?
清太は温かく育っているから尚更、西宮のおばさんの元で節子を任せようとは思えないだろう。
堂々巡りに陥る。
節子に滋養をつけるために節子を待たせるしかなく、食材を買い込んできても火を通すためには節子を待たせるしかなく、待たされた節子に残された命はもう僅かだった。あと1日早ければなんとかなったのか?
食べれる体力があるうちに、文句を言わず、わずかでも食べられる暮らしに感謝して食べておけばもしかしたら守れた命なのかもしれない。
2人とも、終戦の8月15日段階では生きていた。
米軍の直接的な攻撃で命を落としたわけではない。
にも関わらず、栄養失調と、母も妹も父も亡くし、頼れる大人もおらず、心の拠り所もなく、生きる意味や気力を無くして、未来ある子供が命を落とした。
劇的な死因がないことがより残酷な戦争のしわ寄せという仕打ちである。
清太の経験した、悲しみ、悔しさ、みじめさ全て、三宮で清太の遺体から駅員が抜き取って投げた、節子の亡骸を詰めたドロップ缶ひとつで片付けられてしまう。
作中ざかざかと溜まりゆくホタルの残骸のように、戦争で兵士だけでなく民間人にも火が垂れ降り、名前があり人生を確かに生きていた人間がざかざかと虫けらのように一瞬で亡くなっていった。亡くなったらもう、清太の母、節子、清太のように、虫けら同様ただの気味の悪いゴミ扱い。
火垂るの墓はそのような、ホタルの墓のように、虫けらやゴミのように片付けられてしまった幾多の命を辿り弔う作品だ。
そのやるせなさが苦しいにも関わらず、大人になって観ると思ってしまう。もしもあのまま生き抜けていたとしても、戦後変わりゆく日本の中で、清太は社会的に除け者のような疎外感を感じながら、ただ命だけある惨めな生活に苛まれていただろうということ。もし自分ならと考えれば、悔しくも、亡き家族のもとに召されて良かったのかもしれないと考えてしまう。
作品にもそんな自分にも、久々に観たら、全身の寒気がずっと止まらない。
現実の酷さ惨さ虚しさを幼い節子には悟らせまいと頑張った清太は、途中や結果や最期がどうであろうと、立派だ。