吶喊

劇場公開日:1975年3月15日

解説

幕末の“戊辰の戦い”にまきこまれた若者たちの生きざまを通して、明治維新という変革の意味、そして変革の姿を浮き彫りにした青春喜活劇。なおタイトルの“吶喊”とは、突貫する時にあげるときの声の謂。脚本・監督は「青葉繁れる」の岡本喜八、撮影も同作の木村大作がそれぞれ担当。

1975年製作/93分/日本
配給:ATG
劇場公開日:1975年3月15日

あらすじ

今から百年程前。奥州・安達ケ原で、貧乏で嫁も貰えない千太という若者が旅の女を追いかけている。その時、銃声が轟き、万次郎という官軍の密偵見習の青年に、その女、官軍参謀の情婦・お糸を奪われてしまった。戊辰の戦いは薩長雄藩の会津への憎しみから始まり、奥羽戦争は奥羽列藩の世良参謀への怒りから始まった。仙台藩有志による、尊大横暴の奥羽鎮撫総督・世良修蔵暗殺の夜、同じ妓楼で、千太はテルという妓、万次郎はお糸の手で筆下ろしをした。その頃、奥羽の玄関口、白河城は官軍の手に落ち、奥羽列藩組は敗走していた。殊に仙台藩軍の弱腰に怒った、仙台藩下級武士の細谷十太夫は、博徒、百姓、土方など五十七名を集めて、カラス組というゲリラ隊を組織した。千太もカラス組に参加したが、時勢に詳しい万次郎は、時の流れに無知な彼等を鼻の先で笑った。弱い奥羽同盟軍の中で官軍から一番恐れられたカラス組ではあるが、増援もなく孤立無援の戦いのなかで、死傷者が増え、奥羽街道最後の拠点である二本松城も落城した。しかし、縄張り意識に目覚めた千太の働きは目を見張るものがあった。カラス組が藩境死守の任についていた時、仙台藩は戦いを止めた。そうとは知らず斥候に出ていた千太たち五名は、敵の猛射を浴び、千太の目前で仲間の四人が死んだ。錦旗に一矢を報いたいという千太を、万次郎は軍用金一万両を狙うために仲間に誘った。この計画にお糸が加わった。千太が錦旗を襲撃している間に、万次郎は軍用金奪取に成功した。そして、掴まって、打ち首寸前の千太を助けた。万次郎に利用された事を知った千太は怒った。殴り合う二人。その近くを鶴ケ城へ帰る会津の一隊が通った。二人は官軍の群れの中を彼岸獅子の舞を踊りながら、一隊の先頭に立った。その頃、お糸は、万次郎の隠した金を捜し廻っている。落城寸前の鶴ケ城に辿りついた二人の股間は縮み上っていた。そこへ現われたのが、負傷者の手当を手伝っていたテルだ。砲煙弾雨の中で抱き合う二人、息をはずませて千太は叫んだ。「あった!俺のキンタマあった!あったぞ!」

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映画レビュー

2.0本作が一体何の映画なのかは、 1975年とはどんな年であったのか?を知ることから初めないと、21世紀に生きる私達には理解出来ないと思います

2025年6月29日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

吶喊 (とっかん)
辞書を引くと突撃に移る前に、士気を高めるために、指揮者の合図に応じて声を大きく張り上げること。その叫び声。とありました

冒頭、男が女を犯そうとしてこの吶喊の叫び声をあげるシーンから始まります
これが吶喊です

違う、こんな説明では何もわからない
これは名詞ではないのです
これは動詞だ、命令形だ、そう理解しないと本作の一切合財が意味不明になってしまいます
つまり「吶喊せよ!」という意味だったのだと思います
多勢に無勢であっても意気消沈するな、ときの声を挙げて突撃せよ!そう鼓舞している映画であるということです
誰に?広義には日本国民に対してです
狭義には左翼陣営の仲間に対してです

1975年 公開、ATG 、カラー作品
岡田裕介 製作
プロデューサーとして最初の作品
万次郎役としても出演しています

公開から半世紀も経ってしまうと、何故にこのような映画が撮られたのか皆目わからなくなってしまいます
本作とは一体何の映画なのかは、
1975年とはどんな年であったのか?を知ることから初めないと、21世紀に生きる私達には理解出来ないと思います

人民広場事件から25年目、60年安保闘争敗退から15年目、70年安保闘争敗退から5年目
ベトナム戦争が終結した年、すなわちベ平連が目的を無くした年、成田空港闘争は膠着状態で開港に進んでいました、大学紛争は全国的に沈静化して終息しつつあり、連合赤軍事件という陰惨なリンチ殺人事件が国民に衝撃を与えていました
さらにそこに赤軍派によるクアラルンプール事件がおき世界を揺るがせました
国民には反体制運動への嫌悪感が大きく広がっていました

更に、左翼陣営内部においても主導権争いによる内ゲバ事件も頻発していた、そんな時代だったのです
団塊の世代は、25歳から30歳位にもなろうとしていて、数年の留年も限度があり、就職しなくてはならない年齢になろうとしていました、中には家族も持っていて、もはや昔のように政治闘争に明け暮れる余裕もなくなっていました
ポスト団塊世代は、シラケ世代とも言われ政治には見向きもしなくなり当然左翼陣営に加わろうという新入生は激減していました
♪もう若くないさと~君に言い訳したね~という歌詞のある「いちご白書をもう一度」という歌は1975年の大ヒット曲でした
つまり、60年代には革命を目前にまで見た反体制運動は全面的な退潮を迎えていたのです
まるで、官軍に追い詰められている奥羽列藩同盟軍のように
時の流れには逆らえないような敗北感が左翼陣営に満ちていたのです
本作を見て、つまらない、面白くないと思われるのは当然だと思います
確かにいま反体制運動は奥羽列藩同盟軍のように追い詰められているかもしれない、
しかしそれを認めて下を向くな、
吶喊せよ!
性欲ならば、吶喊する元気さがいくらでもまだあるだろう?
反体制運動は性欲のように国民の原初的な権利であり、欲求なのだだから、敗退する事など未来永劫にありはしないのだ
本作はそんな映画なのだと思います
半世紀も過ぎ去って21世紀の世の中でこのようなアジテーションをされても、余りに奇異にすぎて引いてしまいます
受け付けない方も多いと思います
しかし、公開当時には、このような製作意図は容易に伝わったのだと思います

撮影 木村大作とありますが、彼らしい映像は何ひとつありません

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あき240

3.0戊辰の戦い

2021年2月15日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

一人(伊藤敏孝)は貧乏な農民で女を追っかけてばかり、面白いかどうかが判断基準。
もう一人(岡田裕介)は官軍の密偵で、この二人が戊辰の戦いに巻き込まれていく。
最初と最後に登場する坂本九が演じる老婆や、酌婦を演じる伊佐山ひろ子と千波恵美子が印象的。

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いやよセブン

1.0--すべてがかみ合っていない

2019年9月21日
PCから投稿

坂本九がミスキャスト。いきなり見る気なくす。次に出てくるいい加減な田舎者若造がいくら何でも節操がなさ過ぎる。感情移入できない。次に歴史的背景が難しすぎる。何やってるのかわからない。情報屋が一体何なのかわからない。いったいどの人物に感情移入してみたらいいのかわからない。なんでこんなものを映画化する気になったのかもわからない。写真が下手くそ。岡本喜八は。ただの写真のへたくそな映画に成り下がっている。

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ろーけん

5.0評価低いけど・・・

2019年8月16日
Androidアプリから投稿

若い頃の無駄な熱さを思い出す良作、惜しくも飛行機事故で死んだ坂本九のおばあちゃんが物語りの始めと終わりを愉快に締めてくれてます。
私が大好きな岡本喜八映画の一本です。

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なんてこった