土と兵隊
劇場公開日:1939年10月14日
解説
火野葦平の「土と兵隊」を笠原良三と陶山鉄が共同脚色し「五人の斥候兵」の田坂具隆が監督した戦争もの。昭和十四年日活多摩川映画製作。「五人の斥候兵」とともに、このほどアメリカから返還された往年の名画である。
1939年製作/日本
劇場公開日:1939年10月14日
ストーリー
夕陽を浴びて輸送船隊が航行してゆく。その船内では、敵前上陸を前にして、肉親に手紙を書くもの、配給の酒をくみかわすもの、軍歌を歌うものたちのいずれもが、張りつめた気持を、かくしきれなかった。第二分隊長玉井伍長は、部下十三名を集め、自分が倒れた時は坂上上等兵を分隊長に戦うよう後事を託して訓示を終えた。そして小隊長山崎少尉の発した上陸開始まで休めの言葉はあったが、眠りにつく兵はなかった。やがて、漆黒の海を進んできた輸送船は目的地に達した。小艇に乗り移った玉井伍長は、番号を呼称させて十三名のいることを確認した。陸を踏んだ兵士たちを待ち構えたように、激しい敵の軽機関銃の音が響いた。泥の中に散った玉井隊は、すぐに応戦の火蓋を切った。艦砲の援護射撃、飛行機の爆撃も効果がなかった。中隊の命令で後退の伝令が来た時、乗本一等兵が敵弾に倒れた。堤防線に集結した、玉井伍長は乗本の死を恩いうかべながら、主力部隊が金山衛上陸を完了したことを知った。故国に乗本の骨の一片でもと願う玉井伍長のはからいで遺骸は火葬にされた。やがて、泥湾の道を乗本の怨みを背負った玉井隊が行進して行った。行軍につぐ行軍。そんな中で、内藤が脱落し、後送となった。前進を続ける玉井隊は途中で会った隊より、目的地金山まであと十二キロもあり、危険だと注意された。幾多の危険をおかして玉井隊は太鼓橋を渡ったが、前面には無気味なトーチカがあり、機関銃弾が飛んできた。玉井伍長は耳に傷を負ったが、濠から濠に移り、窓に手榴弾を投込みそれを占拠した。もう嘉善城は近い。玉井隊は久しぶりに憩をもち山羊料理に舌鼓をうった。またも部隊に前進命令が下った。