下郎の首

劇場公開日:

解説

サイレント時代に映画化された伊藤大輔の「下郎」の再映画化で、彼自身が新しく脚本を書き直し、「明治一代女」についで監督する。撮影は「忍術児雷也 逆襲大蛇丸」の平野好美。主なる出演者は「のんき裁判」の田崎潤、「青春怪談(1955 市川崑)」の瑳峨三智子、「たそがれ酒場」の高田稔、「母性日記」の片山明彦、「藤十郎の恋」の小沢栄、「森繁のやりくり社員」の岡譲司など。

1955年製作/97分/日本
劇場公開日:1955年7月26日

ストーリー

湯治中の結城新兵衛は、碁の席上、言葉の行き違いから相手の浪人磯貝某に殺された。息子の新太郎と奴の訥平は、折悪しく不在だった為、顔に九つの黒子があるというだけで相手の顔も知らなかったが、主従二人仇討の旅に出た。やがて時が流れ、新太郎は病の為にある城下町の乞食小屋に臥す身となったが、訥平は忠勤をはげみ、槍踊をして投銭を稼ぐ日々であった。訥平はある日、雨やどりが縁で、妾のお市と知り合い、お市は素朴な訥平を愛する様になった。お市は新太郎に同情して病を慰めるためと鳥籠をくれるが、新太郎は訥平の乞食根生を罵り、鳥籠を返してこいと命じた。訥平が再びお市を訪れた時、たまたま旦那の須藤厳雪が現れ、訥平は刀で追われた。須藤の顔を見ると九つの黒子があった。訥平の必死の抵抗とお市の助けで、彼は逆に須藤を殺した。思わぬ所で仇を討った主従は、国もとへ急いだが、ほど遠からぬ宿場で須藤の息子静馬をはじめとする一団の追手に発見された。訥平の引渡しを要求された新太郎は、須藤を討ったのは訥平だという口実で、彼が字を読めないのをよい事に、須藤門下が待っている地蔵の辻へ訥平を送った。忠義一途の訥平は、この時ようやく卑怯な主人の裏切りを知ったが、下郎の腕では武士達の刀を防ぐ事が出来ず、彼を追って来たお市と共に殺された。心のとがめた新太郎は訥平を追ったが、彼を待っていたのは群衆の嘲罵だけだった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0どなたかお願いにござりまする。この手紙を読んでくださいませ。

2023年11月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

あらすじは、ネタバレのストーリー紹介の通り。
忠義一途の下郎が、主人の身勝手な裏切りにあったことを信じられぬ気持ちは、痛いほど伝わってきた。結局、主人の裏切りを知らずに身を差し出された下郎も、下郎を慕い一緒に殺された妾も、下郎如きに主を殺された門弟たちも、裏切りを悔い現場に駆け付けるも門弟たちに悪しざまに罵られる主人も、最後に幸せなものは一人もいない結末。
江戸時代、敵討ちの宿命を背負った武士がどれほどいたのかは知らないが、たしか、ほとんどはその本懐を遂げることはなく、その前に敵に巡り合うことさえ叶わず、旅路の空の下で野垂れ死ぬか、いつの間にか別の職人(大道芸とか職人とか)に身をやつして生涯を遂げるとかで、本国では忘れ去られていってしまうことが多かったと何かで読んだ。そうだろうなあ。この話のように、「敵を殺した」ことはできても、「討った」と言えず、ましてやその現場に立ち会ってもおらず、果たして「本懐を遂げました」と胸を張って報告することを躊躇ってしまうような事態に堕ちいったとき、この主人の絶望に近い感情は、こうして下郎を差し出してしまう行為によってなんとか自分の正義を保とうとしたのだろう。この主人は、もう立ち直れまい。病いが高じて、敵討ちを報告することなく、いやたぶんその気も失せて、この地蔵のそばで息絶えるんだろう。プラトニックを貫いてまるで心中のように死んでいった下郎と妾の二人は、見ようによっては幸せな最期だったのかもしれないな。なんだか、切なくて悲しいのに、心に残るのは涼しげな気分だ。

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栗太郎