魚影の群れ

劇場公開日:

解説

厳しい北の海で小型船を操り、孤独で苛酷なマグロの一本釣りに生命を賭ける海の男達と、寡黙であるが情熱的な女達の世界を描く。吉村昭原作の同名小説の映画化で、脚本は、「セーラー服と機関銃」の田中陽造、監督は「ションベン・ライダー」の相米慎二、撮影は「ふしぎな國・日本」の長沼六男がそれぞれ担当。

1983年製作/135分/日本
原題または英題:The Big Catch
配給:松竹富士
劇場公開日:1983年10月29日

ストーリー

小浜房次郎は、娘トキ子が結婚したいという、町で喫茶店をやっている青年・依田俊一に会った。彼は養子に来て漁師になっても良いと言う。マグロ漁に命賭けで取り組んできた房次郎は、簡単に漁師になると言われて無性に腹だたしく感じた。店をたたみ大間に引越してきた俊一は、毎朝、房次郎の持ち船(第三登喜丸)の前で待ち受け、マグロ漁を教えて欲しいと頼む。十日以上も俊一を無視し続けた房次郎が、一緒に船に乗り込むのを許したのはエイスケの忠告に従ったからだった。エイスケに指摘されたとおり、房次郎はトキ子が、家出した妻アヤのように自分を捨てて出て行くのではないかとおびえていた。数日間不漁の日が続き、連日船酔いと戦っていた俊一がようやくそれに打ち勝ったある日、遂にマグロの群れにぶつかった。そして、餌がほうりこまれた瞬間、絶叫がおきた。マグロが食いつき凄い勢いで引張られる釣糸が俊一の頭に巻きついたのである。またたく間に血だらけになり俊一は助けを求めるが、房次郎はマグロとの死闘に夢中だ。一時間後、マグロをようやく仕留めた房次郎の見たのは俊一の憎悪の目だった。数ヵ月後に退院した俊一はトキ子と一緒に町を出ていった。一年後、北海道の伊布港に上陸した房次郎は二十年振りにアヤに再会する。壊しさと二十年の歳月が二人のわだかまりを溶かすが、アヤを迎えに来たヒモの新一にからまれた房次郎は、徹底的に痛めつけ、とめに入ったアヤまで殴りつけた。翌日伊布沖でマグロと格闘していた房次郎は、生まれて初めて釣糸を切られ、ショックを受ける。大間港に、すっかり逞しくなった俊一がトキ子と帰って来た。ある日、俊一の第一登喜丸の無線が途絶えた。一晩経っても消息はつかめず、トキ子は房次郎に頭を下げて捜索を依頼する。房次郎は、長年培った勘を頼りに第一登喜丸を発見。俊一は房次郎の読みのとおり、三百キロ近い大物と格闘中であった。重傷を負っているのを見た房次郎は釣糸を切ろうとするが、「切らねでけろ。俺も大間の漁師だから」という俊一の言葉にマグロとの闘いを開始する。二日間にわたる死闘の末、大物は仕留められた。しかし、帰港の途中、来年の春にトキ子が母親になる、生まれた子が男の子だったら漁師にしたいと告げて、俊一は房次郎の腕の中で息を引き取った。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第7回 日本アカデミー賞(1984年)

受賞

主演男優賞 緒形拳

ノミネート

脚本賞 田中陽造
主演女優賞 夏目雅子
助演男優賞 佐藤浩市
助演女優賞 十朱幸代
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映画レビュー

3.0泥臭い人間らしさ

2024年7月21日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

楽しい

興奮

幸せ

数年ぶり二度目。流しながら観てたので所々内容飛んでいるが、津軽海峡を舞台にした、骨太な作品であることは疑いない。
昭和の後半、まだDVがDVとして認知されておらず、男は男らしくあれとされた息吹が残っている。一般論としてよくないのは重々承知しているが、この人間臭さが物語に深みを与えているし、惹き込まれる要素にもなっている。
2024年の今、大間に夏目雅子的な人がキャスティングされても浮世離れし過ぎて共鳴できないが、この時代なら、と思わせてくれる。

下北の言葉、全然わからないけれど、それでも伝わるものがあるのが、映像の強さ。その映像の強さを形作っているのは、役者の顔であり、所作であり、カメラのアングルであり。漁師は一か八かのギャンブル、人生もまた同じ。人間の暴力性というか、肉体性というか。泥臭い人間の織りなすドラマ、とても良かった。

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Nori

5.035ミリフィルム、スクリーンで鑑賞。言葉に出来ないほど凄い。どうや...

2023年7月22日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

35ミリフィルム、スクリーンで鑑賞。言葉に出来ないほど凄い。どうやったら相米のような映画を撮れるのか。ティーチインの藤井先生も「わからないんです」と素直。

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kazuyuki

4.0漁師の迫力ある漁獲シーン

2022年8月21日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

広島市映像文化ライブラリーでの相米慎ニ監督特集の一つ(平成26年3月)。
長回しの監督と言われているが、クライマックスの捕獲など真に迫力があった。
俳優の演技も真に迫っている。
海原での船のシーンが多いため、撮影も船に乗って追いかけるのだが、かなり撮影は厳しかったと思われる。
漁師として生きる男と女。その辛さと悲しさ。命がけと博打打ちの人生。
日本映画の名作フィルイムが大画面で見られる広島市映像文化ライブラリーならではの醍醐味であった。
原作は、ノンフィクション作家の吉村昭氏。相米監督の中でも独特な映画だそうだ。

2014.03.06 広島市映像文化ライブラリー

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M.Joe

5.0キュルルキュ

2021年1月30日
iPhoneアプリから投稿

耳を引っ掻くようなテグスの擦れる音が恐怖である。カメラが横に少しずれて既に取り返しのつかない大惨事をとらえる。突きつけられる事態。おそらく親父は何をするのが娘の彼氏にとっての解なのか用意などなかったのだろう。男のロマンなどはない、柔軟になれぬ不器用さが男に残酷な罪を背負わされる。現実に背を向けて自分の世界に逃げ込む。マグロを手繰り寄せる下りの長回しはドキュメンタリーのようでもあり、緒形拳の船から乗り出す所作は演技の枠を超えたものであるが、ただ流れる虚しい時間が哀しい。
マグロと人間の区別がつかないとは前妻の言葉。娘の彼に会いに行けば相手の隙をみてマウントして、手まで出す始末の悪さ。体を任せて服を脱ぎ着させる姿は男女の役割分化が象徴されているが、むしろ分化したことで不能になってしまったようでもある。このまま死なれては男は何も果たせぬが、やれることを投げ出してやっても救われない残酷さ。娘の数え歌が響く。
佐藤浩一の家庭内レイプシーンは動物的で、腰のみが機能しているような眼は、何かを屈さなければ自らの存在確認できぬ虚ろな姿をよく表現している。どっしりと中央に位置する夏目雅子の存在感。濡れ場含めて十朱幸代も熱演。どこから撮っているのか考えれば楽しいカメラワークの数々。相米慎二らしさが活きた大作。

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Kj