あらくれ(1957) : 映画評論・批評
2020年7月21日更新
1957年5月22日よりロードショー
成瀬監督作では異色の存在 次世代への転換点になった作品として見逃せない1本
「あらくれ」は成瀬作品の中では異色の存在である。ことさらにヒロインが逞しい。「晩菊」「流れる」「稲妻」など、したたかな女性像を生み出してきた成瀬だが、この「あらくれ」のお島は、男勝りで腕っぷしも強い珍しいキャラクターに仕上がっている。そのため、自分を貫く奔放な女性像が当時の映倫審査に引っかかり、18歳未満は鑑賞が制限されるという、今では考えられない公開措置が取られたそうだ。
「浮雲」で高い評価を得た成瀬は「林芙美子の原作はこれで終わり」と語り、念願の自然主義作家・徳田秋声の原作「あらくれ」に取りかかった。脚本・水木洋子、撮影・玉井正夫、主演・高峰秀子、共演・森雅之、加東大介と、「浮雲」組が総結集したことでも、成瀬監督自身の新たな一面に挑戦する意気込みが伝わってくる。
養女に出されていたヒロインが、そのしがらみに絡め取られる、という設定は、高峰秀子自身の境遇ともダブり、観る我々の心をざわつかせる。しかし、そのお島は、亭主ともみ合いに階段から転落する、ホースの水をぶっかける、夫の浮気相手とつかみ合いをするなど、やたらとケンカっ早い。パートナーを替えては新しい商売を立ち上げ、成功したと思えば裏切られる。浮沈は激しいものの、周囲の人々との触れ合いを含め、大正時代の自由な空気感が面白い。成瀬作品にはないヒロイン像が描かれ、高峰秀子は「二十四の瞳」以来の、本来苦手な自転車を操り颯爽と走り抜けるシーンまで登場する。ただ、メロドラマを期待した観客は肩すかしを食う形になった。
新境地としては思ったほどの反響を得られなかったからか、成瀬=高峰コンビはこの5年後、林芙美子の自伝を映画化した「放浪記」で女性の一代記に満を持して挑戦、賛否両論の大きな話題を巻き起こす。「あらくれ」の脚本家・水木洋子は続けて成瀬に、山下清の「裸の大将」映画化を提案するも受け入れられず、2人のコンビはこれで解消となった。ちなみに成瀬は次作「鰯雲」で橋本忍と初タッグを組み「コタンの口笛」につなげ、水木は堀川弘通を監督に「裸の大将」を完成させている。
後期の成瀬のフィルモグラフィにあっては埋もれがちだが、監督だけでなく周辺も含め、次世代への転換点になった作品として、見逃せない1本である。
(本田敬)