AKIRAのレビュー・感想・評価
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日本アニメを変えた1本
80年代、バブル絶頂時に制作費10億円を投入して作られた本作は、今見ても色褪せない。リアルを追求した2コマ打ち作画に、プレスコでリップシンクされた表情芝居、カメラを意識したレイアウト、当時としては画期的だったCGの導入、細部までこだわり抜いた背景美術など、技術的な見どころだらけの作品だ。大友克洋の絵をそのまま動かすことを目標に作られた本作は、日本アニメの歴史におけるエポックメイキングな作品であることは間違いない。もともと、リアル志向の大友のデッサンを動かすだけでも大変な作業だったろう。
本作が作られたのは日本がバブル経済絶頂期の80年代だが、あの時代でなければこのプロジェクトは成立しなかっただろう。世紀末を迎える当時の終末論的な空気感を感じさせる内容が、2020年代の今の日本とどこかリンクしてしまうのが恐ろしい。日本社会が退廃的な方向に行くことが決定的になってきた今、この映画の空気感は公開当時よりも一層リアルに感じられるかもしれない。
超能力による暴力の復讐劇。暴力によって生み出された暴力的で哀れな鉄男はまるで人類そのものでありその哀れな人類の一人である私はこの暴力的な映画に興奮するがそれを認めてしまうのは悲しいと思った。
本作「AKIRA」(1988年)は日本の漫画「AKIRA」(1982年-1990年、全6巻)が原作の日本のアニメ映画である。架空の第3次世界大戦後の東京を舞台に軍隊の秘密研究の事故に巻き込まれた暴走族グループの少年たちを描く。学校でも所属する暴走族グループ内でも劣等生である主人公の少年、鉄男(てつお)は人気者で女性にもてる暴走族グループのリーダーの少年、金田(かねだ)に対して妬みや嫉妬などの負の感情を抱き、いつか金田を超えたいと思いながらも陰鬱な日々を送っていた。鉄男はある日、軍隊の秘密研究所から脱走した少年に出会う。その少年は軍の研究によって人工的に作られた超能力者であった。そして鉄男自身も彼との出会いにより超能力に目覚める。超能力に目覚めた鉄男は圧倒的な超能力による暴力でいままでのうっぷんを晴らすのだが彼の超能力のチカラはやがて制御不能となり暴走して東京全体が危機になる。金田は友人である鉄男を何とか元に戻したいと思い説得を試みるのだが…。
点数:3.0。お勧めします。暴力の連鎖を描いた悲しい作品であるが映像のクオリティがすごい。高品質のディズニーアニメのようにヌルヌルと動くアニメーション。スピード感のあるバイクどうしの戦いや軍隊や超能力や巨大レーザー兵器など多数登場し迫力の血みどろアクションが繰り広げられ興奮する。暴力的な作品であるが思春期の少年の心情を見事に表現した繊細な作品でもある。思春期の少年の持つ暴力的な一面を鉄男が演じ思春期の少年の持つ熱さをもう一人の主人公、金田が担当する。悪い点だが鉄男とカオリがかわいそうで救いがない様に見えるので-2.0して点数3.0にした。
侮辱され暴力を受け抑圧されていた劣等生の鉄男は偶然に超能力のチカラを手に入れても自分がされたように他人に暴力をふるうことしかできなかった。これは悲しいことだ。暴力を受けてきた人類がまた暴力を繰り返す。この悲しい連鎖を本作は描いている。鉄男はさんざん集団ストーカー行為を受けてPTSDに苦しんだ。ぬいぐるみが動き出し、内臓が落ちる妄想も発現した。そして超能力を手に入れた鉄男は暴走族だろうが軍隊だろうが容赦しない鬼になった。暴力は暴力的人類を育てることしかできないと思った。暴力の連鎖を描いた作品は他にもある。アメリカ映画「ジョーカー」(2019年)は真面目に生きていた社会的弱者の主人公のアーサー・フレックが社会から理不尽な集団ストーカー行為を受けついに自らも暴力をふるう無慈悲な狂人ジョーカーに変貌する話である。アーサー・フレックも鉄男も暴力を受けなければああいう風にはならなかっただろう。暴力が暴力的人類を育てる。その無限の連鎖が今日まで続いている。暴力の連鎖を止めるためには暴力を減らさないといけない。ところが本作はその逆で究極のチカラを求める軍隊がついに人工的に超能力者を開発するような話である。超能力者には兵士も戦車もかなわない。本作は兵器開発競争の行き着く先を超能力として描いている。鉄男は暴走族の端くれでいわば暴走族もチカラを追及する組織の末端である。暴走族と軍隊の共通点は人間の飽くなきチカラへの渇望であるので暴走族と軍隊を関係づける本作はよくできている。本作の結末の通り圧倒的な暴力のチカラを手に入れれば一時的には何でもできるが結局は後世の暴力的人類を育てているだけである。私は後世の人類がどうなるかは予想できない。戦争に勝ちのこった後世の人類はさらにチカラを求めて永久に戦争を繰り返すのだろうか。鉄男はラストでその体が制御不能になり自滅するが後世の暴力的人類は自滅しないとはいえない。
視聴(今回):液晶テレビ(有料配信NETFLIX) 視聴日(今回):2025年6月20日 初視聴日:何十年も前 視聴回数:今までに3~4回は見た 視聴人員(今回):1(一人で見た)
2025/06/20の昔のレビュー:
鉄男とカオリがかわいそう
火垂るの墓(1988年)によく似た悲しい話であった。おそらく第三次世界大戦の孤児である鉄男とカオリは大戦後の生存競争の厳しい腐敗した大都市を生き抜こうとするが鉄男はクスリに溺れ妄想に苦しみカオリも悲惨な運命をたどる。アクションシーンもあるが鉄男とカオリの悲惨な運命が主題と思われる。アメリカで話題になった映画ジョーカー(2019年)のアーサーのように本作の主人公の鉄男は社会から仲間はずれにされていると思い込んでいる人であるが私はなんとかしてハッピーエンドにしてほしかった。視聴日2025年6月20日 視聴回数1回(早送りあり) NETFLIX 評価3.0
2025/08/11 追記1:
この作品の作られた1988年ごろはまだ米ソ冷戦の時代で核戦争の危機が高かった。あれほどテレビで言っていた核戦争の危険は21世紀に入り叫ばれなくなった。おそらく、ソ連が崩壊して湾岸戦争があって2001年同時テロがあってから核戦争の危険はうやむやになったのだと思うが人類は危機が増えすぎて核の脅威を忘れてしまった。本作「AKIRA」(1988年)では核兵器を超える兵器として超能力が登場するが日本のアニメには核兵器を超える架空の兵器がたびたび登場する。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」(1979年-1980年)では宇宙空間にうかぶ巨大なスペースコロニー(巨大宇宙都市)を地球に落としたり、巨大なスペースコロニーをまるごと巨大なレーザー兵器にしたりして核兵器を超える兵器が登場する。テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年-1996年)ではセカンドインパクト、サードインパクト、人類補完計画などの核兵器を超える兵器(人為的に起こせるという意味での兵器)が登場する。これらは日本人がいかに核兵器に敏感でそれを超える兵器を考えていたかの証拠であると思う。1988年ごろの日本では超能力やオカルトが流行していた。これは万能と思われていた科学技術に限界が見えて科学技術に期待しすぎた反動であったのだろうか。1969年アポロ11号が月面に到達し世界は科学技術に期待しすぎてしまった。1980年代に入ると人々は科学技術に失望し超能力やオカルトに注目するようになったのではないだろうか。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」(1979年-1980年)でも「ニュータイプ」と呼ばれるオカルト超能力が登場する。科学技術が進めば進むほど絶望的に人類を殺傷できる兵器が増えるだけでいっこうに世界は平和にならない。それで人々は科学技術に失望したのではないだろうか。
追記2:
本作「AKIRA」(1988年)は思春期の少年の繊細な心と暴力の話である。思春期の少年は繊細である。まだまだ未熟な心しかもたないにもかかわらず環境変化、友人関係、進学、就職、恋人、チカラへの憧れ、不条理な社会への適応などやることが多い。なので思春期の少年は繊細で壊れやすい。グレたり、不登校になったりするのは繊細な心を守る自己防衛のためであろうと思う。鉄男は繊細すぎて心が壊れてしまったよくいる悲劇的な少年である。私も思春期の頃から心が繊細で壊れて修復不能である。思春期にはまず環境変化に悩まされた。中学まで徒歩で20分ほどだったのに高校は電車バスを乗り継ぎ2時間かけて通わねばならなかった。勉強内容も格段に難易度が上がりついてゆくのは無理であった。周囲の学友は異性の話題ばかりしだし、もてたいのでファッションに気をつかい、オートバイやアルバイトに手を出し始めた。私は友人関係に悩み集団ストーカーにも悩まされ心は壊され私が鉄男なら鉄男と同じことをしたと思う。鉄男が自身の繊細な心を壊された原因の世界にたいして復讐心が芽生えるのは当然であると思った。映画では鉄男は今の世界をぶっ壊し自分に優しい世界を新しく作り直そうとしたのであった。テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年-1996年)ではラストで主人公の少年シンジが巨大人造人間ロボットであるエヴァンゲリオン初号機のチカラを借りて今いる世界をぶっ壊して自分に優しい世界を新しく作り直そうとするのだが途中でやめて中途半端に新しい世界となるがこの時のシンジはどんな気分だったのだろうか。思春期の私が「新世紀エヴァンゲリオン」を観ていたら共感できると思った。「AKIRA」で繊細な心を持つ少年の鉄男がかわいそうなのは同じく繊細な心を持つ少年だった私が共感できるからであろう。
追記3:
私は何十年も前、ひとりで夜中コンビニに出かけた時暴走族ぽい原付バイク二人組(茶髪と覆面、どちらも若く十代くらい)にカツアゲされそうになった。彼らは歩道にもかかわらず堂々と原付バイクで走行し私の後ろから追ってきて「ひいちまうぞコラ!」みたいな事を言っていた。私は怖かったが無視しているともう一人が回り込んで来たので勇気を出して「道を尋ねたいなら言ってみたまえ。」みたいな事を空威張りで言ってみた。そうしたら、「~はどういけばいい?」みたいな事を茶髪が言ったので「コンビニで地図を見てやる」と私は言い近くのコンビニに急ぎ早歩きで戻ると彼らは追って来なかったので私は助かったのであった。(当時はスマホなどという便利なものはなかった)私と暴走族との縁はこれっきりである。ところで「AKIRA」に登場する暴走族のリーダーの金田は友人思いの素晴らしいリーダーである。しかし私は上記の暴走族の思い出もあり金田は好きになれない。
暴走族っぽいバイク映画といえばアメリカの実写映画「イージー・ライダー」(1969年)であろう。麻薬の密売で大金を得た無法者のワイアット(ニックネーム:キャプテン・アメリカ)とビリーはバイクに金を隠し、現実逃避のためバイクでアメリカを横断する旅に出る。ワイアットとビリーは「自由」を求めて自由の国アメリカをバイクで疾走するがアメリカの現実はひどいありさまであった。彼らは旅の終点で本当の自由は逃げることでは手に入らないと気が付くのであった。この映画の良いところは素晴らしいBGMと自由を求める主人公たちの悲劇的結末である。自由はどうやったら手に入るのか考えさせられる。この映画を観ると暴走族は見た目は自由な様でも実は全然自由ではないと気が付かされる。
追記4:
本作ではカオリというヒロインが登場するがカオリは鉄男以上に不幸で救いなく描かれている。しかし、アメリカのCGアニメ映画「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018年)ではカオリそっくりなスパイダーマンの仲間の一員のペニー・パーカーが登場する。ペニー・パーカーは未来時代からやってきた日系アメリカ人の女子高生で日本の女子高生の制服を着ておりスパイダーマンと同様の力を出せるメカ「スパ//ダー」に乗り込んで敵と戦う強い少女である。幸福で救いのあるカオリが見たいのなら「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018年)を観ることをお勧めする。
追記5:
私はこのアニメ映画「AKIRA」(1988年)の人工的な超能力者の子供たちが好きになれない。子供たちはマサル、タカシ、キヨコ、アキラの4人が登場するが、幼稚園児くらいの背格好にもかかわらず、この子供たちは顔だけ老人のように年を取っている。実際に子供が早く老化するような病気があるようだが好奇的関心のためだけに映画でこのような設定をしたのだとしたら気持ちはよくない。映画にはよく障害者が登場する。アメリカ実写映画「チョコレートドーナツ」(2012年)では本物のダウン症の少年が登場しとてもいい演技をする。映画の内容はゲイのカップルが育児放棄されたダウン症の少年の親になろうとする話だ。ルディ(アラン・カミング)とポール(ギャレット・ディラハント)はゲイで愛し合っていた。ある日、育児放棄されたチョコレートドーナツが好物のダウン症の少年マルコ(アイザック・レイヴァ)を保護し二人は親がわりになろうとするが…。この映画は主人公のアラン・カミングが演技をがんばりすぎているのが気になるが良作である。この作品での障害者の描かれ方は良いほうだ。障害者は好奇的関心のためだけに映画に登場することが多いのは気になる事案である。
アニメのパラダイムシフト
古さを感じさせない大作
科学の進歩は人間を滅ぼすのか?
ご都合主義
ジャパニメーションの金字塔!圧倒的な世界観、ビジュアル、音楽!
やっと劇場で観れました。
初公開時以来の鑑賞。
2020年にIMAX上映されましたが、コロナ禍と重なり観に行けずそのままになってました。
(会社勤めの性で大事をとって社命でなかなか映画館に行けず。)
2020年東京オリンピックを予見したと話題になった後、その東京オリンピックもコロナ禍で延期。
AKIRAバイク(やPerfumeなど)が登場するはずだった開会式は、電通の悪巧みのため実現せず。
いろんな思いを経ての劇場再鑑賞です!
今観ても全く古びることのない内容。
細かい設定に基づく世界観。
人物だけでなく、砂塵や煙までも、原作漫画の筆致すら感じさせる緻密な描写。
読経からケチャ、ガムランを使用した芸能山城組による斬新な音楽。
今回の鑑賞では、迫力の音響の印象が強い。
つい先日、無料で動画配信されましたが、大スクリーンだけでなく、圧倒的な音響も存分に楽しめる映画館での鑑賞は必須!
さんをつけろよデコ助野郎!
youtube無料期間で視聴。
制作費10億円も納得の大迫力な映像。これがアニメ!?
ストーリーとしては単純で、超能力を手に入れた鉄雄を、金田達が助けに行く。舞台が世紀末感溢れる日本ということで、今の日本と現実離れしつつも、きっとこんな未来もあり得るのかなあ…と怖くなったり。政治家の足切りはどの時代もありそうで少し笑ってしまった。
不良感溢れる岩田さんの声、とても魅力的。
突然力を手に入れてしまうと、そら力を使って目的を達成しに行くだろうなと鉄雄に共感してしまう。あの気持ち悪い幻覚だったり、腕から生えまくる触手みたいのだったり、素晴らしい作画の仕事。
意味のわからないラストだったけれど、サードインパクトみたいなものが起こったのかなと強引に納得してみる。
何故か突然YouTubeに公式に上がったので再鑑賞。「女の子に暴力...
久しぶりの再見(最初に見たのは封切時か?)。サイバーパンクアニメの金字塔。
おのずと知れたサイバーパンクアニメの金字塔。このレベルのアニメが今から40年近く前に制作されていたことに驚く向きもあるが、それ以上に大友がコミックと言う表現方式でリアルタイムで多くの傑作を発表し始める同時代に息をしていた者にとって、何よりもその時代の中でも飛びぬけた革新的表現を構築していた大友のそれに影響を与えていたものの中にアメリカンニューシネマがある事は自明の理であったろう。🎦イージーライダー、🎦地獄の黙示録、🎦キャリー、🎦2001年宇宙の旅、など多くの革新表現の中に身を置く大友が自身の表現の中で結集させた📖Fire-Ball以上の衝撃を望む者はいないはずである。ご承知のように📖Fire-Ballは1979年創刊のアクションデラックス誌上に50ページの未完作品と掲載(後に100ページに増項され完結)。この未完が衝撃であった。のちに加えられた50ページは作者の語り部としての自己満足感が多く、その衝撃を貶めることになるのだが、未完であったが故にその解釈の幅は🎦2001年宇宙の旅レベルまで拡張し、SFファンの間で伝説となった事は周知の事である。
このSFエッセンスをその翌年のアクションデラックス誌上に発表される問題の衝撃作📖童夢のプレリュードとしてのこの📖Fire-ballは📖AKIRAへと昇華する。アートシアターギルド(ATG)の映画作品に溺れ、🎦時計仕掛けのオレンジや🎦ソイレントグリーンなどの未来描写をも取り込んだ大友の描く世界観は一気に世界の見据える未来像となる。
しかしながら🎦アニメAKIRAの中で描かれる世界は、ヴェンダースの描く小津の🎦東京物語よろしく、未来ではなく自身へのオマージュであった。ヴェンダースにおける小津は、大友にとって手塚であり同郷の大先輩である石森(石ノ森ではない)であり、藤子であり、何よりもっともあこがれの強い横山光輝であった。🎦AKIRAの主人公、金田は📖鉄人28号の金田少年へのオマージュであることは有名である。まるで役所広司に小津の🎦東京物語の主人公、笠智衆演ずる平山周吉にあやかって平山と名付けるかのように。
ヴェンダースは1945年8月14日生れ。そう日本の終戦記念部の前日の生まれである。しかもかつての第二次大戦の日本の同盟国でデュセルドルフの出身。デュセルドルフには当時ドイツ最大の日本人街があったと言う。しかも医者の家庭で育ったヴェンダースには当時日本で交易のあった神戸に住む手塚一家とイメージがかぶるのである。しかしヴェンダースには手塚のような高踏さは無く小津の持つ市井へ穏やかなまなざしこそが小津と重なるのである。そしてヴェンダースの出生10年後にわれらが大友はこの世に生を受ける。正確には9年目後ではあるのだが、この大友の生後10年を経て日本は第一回目の東京オリンピックを開催する。10歳になった大友に映った日本はヴェンダースが憧れた失われる日本ではなく再生する日本であったはずである。そしてその後崩壊した日本を描いた大友の予言がジワリジワリと日本に忍び寄っているようで恐怖を覚えるのである。そう・・都市こそ破壊はされないものの・・・日本人の心はどうであろうか?
その一方でこの日本には映画はもとよりファッション、建築と経て昭和歌謡や漫画と言う当時世間では西洋のファインアートや荘厳なクラシック音楽とはおよそかけ離れたところに位置するサブカルをせっせと紡ぎだす文化の土壌があった。この織り成した曼荼羅こそが2000年以降の日本のカルチャーコンテンツ大国の基盤を作る事になるのである。その事態を予言したかのような大友のアニメ🎦AKIRAには高度成長の少年たちを支えた多くの漫画が封じ込められている。高野よしてるの📖赤ん坊帝国、井上智の📖魔人バンダー、黄金バットにシルバー仮面、ウルトラQ、ドラえもん、サイボーグ009、怪人同盟、ボンボン、さるとびえっちゃん等など往年の漫画ファンには心ときめかせたエッセンスが🎦AKIRAにはふんだんに封印されている。まさに大友が体験したマンガ世界であったろう。まさにマンガのメルティンポット。🎦AKIRAのワンシーン26分超の場面で金田同級生の学校で読んでいるマンガ雑誌が「ぼくら」である点に注目したい。設定は2020年であるにもかかわらずだ。
そしていよいよこの大友がこの📖🎦AKIRAで捧げたおおもとのコンテンツこそが石森・平井コンビの伝説的傑作📖幻魔大戦である。大友組の今敏や高寺彰彦などの作風にも強い影響を与えたこの未完の大作は後にりんたろう監督でアニメ化された際キャラデザインで大友も参加。その強い憧憬がうかがわれる。また大友のSFデザインには📺ラットパトロールや📺ワイルド7などの影響もみられる事から70年代の活劇娯楽番組のエッセンスの昇華・洗練も見て取れるところである。最後に大友はヤンマガ連載終了時にこの作品を手塚治虫に捧げた。その後一切マンガが描けなくなった大友は藤子・F・不二雄先生を訪ね何故そんなに描くことが尽きないのかを聞いた。そしてアニメの世界へと旅立ったのである。手塚、藤子、石森(石ノ森ではない)横山のSFエッセンスを最大限に作品化したこの大友克洋をしのぐSFビジュアリストは向こう100年は出現しないであろう。その金字塔こそがこの🎦AKIRAなのである。
伝説の作品をYouTubeで鑑賞
かゆいところに手が届かない
Youtubeで配信されたので、ようやく観ました。
映像と世界観は素晴らしいの一言に尽きます。これは他の人が語りつくしていると思うので割愛します。
で、いくつかの不満点が以下。
■金田が鉄雄にとどめをささない
金田は鉄雄に落とし前を付けるため、親友を手にかける覚悟を決めて戦いに身を投じたはずです。ここでどのように二人は決着をつけるのか、その結果金田は何を思うのか。そういった点が気になって観ていたのですが、結局はアキラとエスパー3人組によって解決されてしまいました。金田は最後まで巻き込まれ主人公のままで、不完全燃焼でした。
アキラとエスパー3人組の協力で金田も一時的に超能力が使えるようになって鉄雄を始末すれば良かったと思った。「誰でも内にアキラを秘めてる」とかいうワードの伏線回収にもなるし、金田は鉄雄と決着をつけられ、助けを求めた鉄雄を救うこともできたのではないでしょうか?
■一部キャラの結末が雑
まず竜と言うおっさんですが、よくわからないままよくわからないじいさんと会話してよくわからないまま撃たれて退場しました。鉄雄にやられるべきだったのではと思いました。
次に山形。作中でかなりショッキングな出来事のはずなのですが、肝心の殺害シーンが描かれず、感情移入しにくかったです。彼のバイクも印象に残ってなかったので、金田が壁に突っ込んでバイクを燃やすシーンも最初何やってるのか分かりませんでした。数秒考えて、「あ、バイクも一緒に天国に送ったんだ」と気づきました。
前評判通りクオリティの高い作品でしたが、もっとよくできたんじゃないかと思う点があり、なんだかかゆいところに手が届かない作品だったというのが総評です。
もう、始まっているからね
連載開始当時はまったく知らず、単行本(と呼んで良いのだろうか?)発売でド肝抜かれて、そこから惹き込まれて行ったのは、忘れられない。
当時、劇場でワクワクした割になんだか裏切られた氣持ちだったのも覚えてる。
あらゆる分野に波紋を投じた作品となったが、原作コミックで感じた、映画的な高揚感は、当の劇場版ではスケールダウンに感じていたのかも…。
今回限定配信での視聴で、スクリーンからサブスクで音響もかなりレベル下がってるはずなのに、悪くなかった。
35年の間に、制作秘話や裏設定など吸収した分、ストーリーの流れが視えてきたからかも。
あの時既に“始まっていた”のかもしれない。
機会があればもう一度スクリーンで観直したい。
そして、コミックも読み返してみなければ!
こんなアニメ他にない
最後まで観て、考えさせられました。
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