紀子の食卓

劇場公開日:

解説

2002年に製作され大きな反響を呼んだ「自殺サークル」の続編。退屈な日常や家族との関係に嫌気がさしていた女子高生・紀子。ある日“廃墟ドットコム”というサイトを発見した彼女は、家出して東京へ行き、サイトを通して知り合ったクミコが運営するレンタル家族の一員となる。一方、紀子と“廃墟ドットコム”の関連に疑いを持った妹ユカも東京へと向かうが……。前作に引き続き、鬼才・園子温監督がメガホンを取る。

2005年製作/159分/R15+/日本
配給:アルゴ・ピクチャーズ
劇場公開日:2006年9月23日

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映画レビュー

3.0面白かったようなかったような。。

2023年11月7日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

自分には理解できない部分が多くて、この作品を正確に評価することはできなかった。
理解できた部分では面白かったと感じられたが、理解できなかった部分が引っかかっており、うーんという感想になってしまった。
こういう作品は他にもあったけれど、やはり同じ感想になってしまう。こういうのが理解できる人に憧れるが、自分には向いていないんだと割り切るしかない。

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take

意味がさっぱりわからないTV版エヴァ最終話のような映画。「わからないテメーが悪いんだよ!」

2023年10月13日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

難しい

先日アマプラで観た『自殺サークル』とリンクしている作品のようなので、観ることにしました。
抽象的すぎた部分を補完してくれるのかな?と思って。
ところが、やっぱりTV版エヴァの最終話を観ているような既視感。
まさに補完計画そのまんまなの。「拍手(おめでとう)拍手(おめでとう)」みたいな。
尖りまくった監督さんのようなので「これエヴァじゃん」とか「理解できっこないよ!できっこないよ!意味がさっぱりわかんないよ!」って言えば
「エヴァだとう!訳わかんねーのはテメーの方だよ!このカス!」って返されそう…
でもさぁ、ほんっと全編に渡ってお話も、カットも観念的すぎるの。
「あなたはあなたの関係者ですか?」「あなたもあなたになる」って、それ何?なのよん。
さっぱりわからないから、始終置いてけぼり感を喰らいました。
そんなんだから、観ていてだんだんムカムカしてきて腹が立ってくるの。
誰にも感情移入できないのに、そんなところでキ〇ガイみたいに爆発されてもなぁ…って感じ。
レンタル家族のくだりで文字通り「クサい芝居をするな…」って思ったり。半ばでの“上野駅54”ことクミコのイミフな台詞や立ち回りにムカついたり。
残り40分あたりになって、やっと見せ場のあるお話になるのかと思いきや、また訳わかんない台詞の羅列なの。
ウサギとライオンの役割がどーたらこーたら、円周率がどーたらこーたら。
それがこの物語の手法だとは思うけれど、お話が混沌としすぎて、さっぱり訳わかんないの。
監督さんや、頭のいい観客さんにとっては、整合性が取れているんだろうけれど。アホの子の私には、さっぱり。
劇場で観ていれば、寝ることすら許してもらえない不快の極み、間違いなく拷問タイムだったろうなぁ。絶対に途中で席を立ってたはずだと思います。
以前に何かの作品のレビューでも書いた記憶があるのですけれど、私って映画を見る目がないのかな?と本気で思って。
だってこの作品も、何かの賞に輝いたり、それなりの喝采も浴びてるんでしょ?
こちらの平均点でも結構いい感じだし。
なのに、私的評価はこんなだから。余計に腹立たしくなってくるの。
私如きが言い過ぎも甚だしいと思うのですが、正直言って観るんじゃなかったよ、こんなクソ映画。いくらタダだって。
終わり近くまで付き合ってしまったことと、残り20分ほどが山場っぽいので、最後まで観ましたけれど。
後に残ったものはと言えば、陰々鬱々感のみでした。心を打たない方の。くだらない方の。
同じ陰々鬱々でも『冷たい熱帯魚』は面白かったのに。同じ監督さんの。
口直しに、大好き映画の『ニューヨーク1997』のDVDでも久々に観ようかなぁ。

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野球十兵衛、

4.0“上野駅54”というハンドルネーム。これは「上野駅にいるkossy」を表している。

2021年4月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 17歳の女子高生・島原紀子(吹石一恵)は“廃墟ドットコム”というサイトの常連になり、主催者とみられる“上野駅54”に次第に惹かれていく。田舎の生活にも飽きて父親との確執もあったことから“上野駅54”ことクミコに会いに行った。早速、クミコの家族を紹介され、おばあちゃんの家へ向かい、そこでも親しげに紹介される。しかし、彼らは“レンタル家族”。言いかえれば、イメクラの派遣会社でもあるのです。もしかすると小泉改革における自由化路線の一環で、ついに家族まで派遣してもいいことになったのか・・・

 家族の絆、人と人との繋がりが希薄になった現代社会。ぎくしゃくした本物の家族よりも金で雇った家族のほうが安らぎを覚えるといった発想は見事です。「あなたはあなたの関係者ですか?」といった言葉からも窺えるように、自分自身さえ見失ってしまっている世の中。偽物であっても心が落ち着くのであればと、そちらを選ぶ人の気持ちも何となくわかります。しかし、本物と虚構の間で働いている彼女たちも精神的におかしくなって、仕事が上達しステージが上がると大変なことまでやってしまうのです。

 「いっせーの、せっ」と、『自・殺サークル』で行われた54人の女子高生が集団で駅のホームから飛び込むシーンが何度も映し出され、その事件の真相が明らかにされるというオマケつき。「命を粗末にする人は現実社会のほうが圧倒的に多い」とうそぶくサークル主催者の意見はさすがに矛盾してましたが、報酬をもらって偽家族を演じることが人間関係を悪くすることも少ないだろうし、なんとなく納得してしまう。

 物語は章立てとなっていて、登場人物それぞれの視点で一人称ナレーションスタイルを貫いている。これが自己喪失感を上手く表現しているので、159分という長尺も苦にならない。演技においても主演女優もさることながら、父親役の光石研の演技が印象的です。ただ、それぞれが別名を持っているので混乱することもあったのですが、名前はそれほど重要ではありませんでした。

 さすがR15だけあって、かなりのスプラッターがありますので、ご鑑賞の際にはご注意を。

【2007年1月映画館にて】

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kossy

5.0映画のシュールレアリズム

2020年7月6日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

園子温監督作品独特の表現の映画です
普通の映画は第三者の客観的な目に見えることを写していますが、園子温監督作品は違うのです
その写されている人物の頭の中のことが写されているのです
映画のシュールレアリズムと言うべきものです

誰しも頭の中にあることを、人に伝えようとするとき、主語と伝えるべき主題が一つの塊として整理されて言葉なり、仕草なり、表情として、それが演技として、実際に起こっているかのようなリアリズムで表現されます

映画もしかりです
時にスローモーションになり、時にあっという間の事になることはあっても、それはその人物の主観がそうであったというリアリズムです

ところが本作をはじめ園子温監督の作品は、登場人物の頭の中のあるがままが映像となっているのです

人の頭の中は普通未整理なものです
何かを見て、何かを感じる
それが頭の中で言語化されます
しかし、それは取り留めのないもので、連想して違うことや、今考え無くても良いことを空想したり、そういえばこうだったと過去の事を思い出して、それがさらに次の連想や空想を呼んでいて、ふと気付くと最初のことからかなり離れた事を思っていたりします
一瞬と思ったことが何分か経っていたりします

その人の頭の中の混沌とした思考そのものが、ずるずると垂れ流がされて映像となり、カットとなりシーンとなって積み重なり映画となっているのです
具象的に正面から見たものではなく、多方面から見たり、感じたことが、絵画となっているピカソの抽象画のような映画なのです
本作はそれそのものだと思います

もしかしたら、本作の物語全てが、食卓の上の灰皿の中でみかんの皮が膨らむ間の一瞬に、紀子の頭の中で浮かんだ空想だったのかも知れません

もしかしたら、あの再現された家での血塗れの惨劇までは本当にあったことで、その後の惨劇の痕跡の全くない、すき焼きの夕飯や団欒、自室での就寝は紀子の空想なのかも知れません

いや、それも全てが空想で、あの豊川の家のことも空想、紀子の家出から始まる物語も、何もかもユカの空想なのかも知れません
再現された家が本当で、ユカがこれから家出するのが本当かも知れないのです

ラストシーンの台詞

さようなら、ユカ
さようなら、わたしの青春
さようなら、廃墟.com
さようなら、ミツコ
わたしは紀子

つまり、それは何もかも全てが、自殺サークルのニュースを聞いた紀子の多感な思春期の空想に過ぎなかった
そういう意味なのかも知れません
ユカすら存在しなかった
彼女は紀子の空想の存在だったのかも知れません

わたしは、わたしの関係者ですか?

わたしという実存は何なのか?
わたしとは何者なのか
本当のわたしとは誰のことなのか?
今考えているわたしが本当のわたしなのか?
本当のわたしは違うわたしで、わたしはわたしが空想した仮のわたしなのか?
関係者ということは、本人ではないのか?
本人を知っているわたしなのだろうか?

あやふやな実存
ならば、生と死もまたあやふやなことだ

なんだか、ギヤをニュートラルのまま、思考のエンジンを思いっきり空ぶかししたかのように疲れました

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あき240
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