硫黄島からの手紙 : 特集
硫黄島についての素朴な疑問と答え(3)
Q:映画史上初の2部作と言われてますが?
これまで、前後編に分けての2部作は存在しても、ひとつの土地(事件)を別の視点から描く作品を2本製作するのは、意外にも映画史上初の試み。当初クリント・イーストウッドは、「父親たちの星条旗」のみ監督し、「硫黄島からの手紙」は日本人監督に任せて、製作に回る予定だった。しかし、適当な日本人監督が見つからなかったためか、結局は両方とも監督することに。
Q:クリント・イーストウッドと戦争映画の関係は?
今まで、数多くの「戦争映画」に参加していると思われがちなイーストウッドだが、現在までに戦争映画に参加したのは「Francis in the Navy」(56)、「全艦発進せよ」(56)、「壮烈!外人部隊」(58)での端役での3作と、「荒鷲の要塞」(69)、「戦略大作戦」(70)、「ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場」(86)というスターになってからの3作品のみ。また監督作となると「ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場」(86)ただひとつだけである。「ハートブレイク・リッジ」が、ある一小隊を鍛え上げる鬼軍曹個人の葛藤と活躍をスーパースターである自分の身体を使って描いたのに対し、今回の「父親たちの星条旗」では戦争というものを包括的に捉えたノー・スターキャストによる群像劇になっている。
Q:撮影前、イーストウッドは石原都知事に会ったって本当?
「ミリオンダラー・ベイビー」で2度目のアカデミー賞作品賞を受賞した1カ月後の05年4月5日に、イーストウッドは1962年以来となる43年ぶりの来日を果たし、東京都小笠原村硫黄島での撮影許可を得るために、石原慎太郎東京都知事を表敬訪問。そして、それから1年後の06年4月27日に硫黄島で撮影し(ほとんどの戦闘シーンなどはアイスランドとロサンゼルスで撮影された)、翌日東京で「硫黄島」2部作のクランクアップ記者会見を開いた。
Q:イーストウッドの息子が出ているらしいですが?
名前はスコット・リーブス(Scott Reeves)。マイク・ストランク率いる第2中隊のメンバーで、硫黄島上陸作戦の前夜、皆でラジオを聞いてリラックスしているときに、アイラに日本人が捕虜を扱っている写真を見せられて黙り込んでしまう兵士の1人を演じている。ラジオを聞いている場面では、父親の出世作「夕陽のガンマン」のようにタバコに火をつけるシーンがあるので、要チェック。
Q:これまでにも、硫黄島について描いた映画はあったの?
太平洋戦争最大の激戦だけあって、過去にも硫黄島の戦いは日米で何度も映画化されている。
■「硫黄島の砂」(1949年・アメリカ/アラン・ドワン監督)
ジョン・ウェイン扮する海兵隊の鬼軍曹ジョン・ストライカーの活躍を描いた戦争ドラマ。この作品には、「父親たちの星条旗」における3人の主人公たちがクライマックスで国旗掲揚のシーンで登場している。
■「硫黄島」(1959年・日本/宇野重吉監督)
硫黄島の戦いから帰還した男の苦悩を描いたサスペンスドラマ。寺尾聰の父親、宇野重吉が菊村到の芥川賞受賞作を映画化。
■「硫黄島の英雄」(1961年・アメリカ/デルバート・マン監督)
「父親たちの星条旗」同様、第7次戦争国債に利用されたインディアンの若者が、PRツアーを通して、良心の呵責に苦しむ姿を描いた作品。この作品では、アイラ・ヘイズをトニー・カーティスが演じている。
■「海軍特別年少兵」(1972年・日本/今井正監督)
硫黄島に守備配置された約3800人の「海軍特別年少兵」たちが、海兵団での苦しい訓練を経て、戦地で散るまでを描いた今井正監督作。脚本は「飢餓海峡」の鈴木尚之。出演は地井武男、山岡久乃、小川真由美、加藤武、三國連太郎など中々豪華な顔ぶれ。
■「硫黄島」(1973年・日本/構成:須藤出穂)
太平洋戦争において、最も激しい戦いが行われたという硫黄島攻防戦の全貌を記録していた米海兵隊のフィルムを一般公開用に編集したドキュメンタリー映画。